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熊本から気ままに山と自転車のブログ

隈庄城跡

隈庄城跡
2023/5/17(水) 晴/曇

今日は最高気温29°真夏日直近まで気温が上がり薄曇りながら陽射しもあり暑い。6回目のワクチン接種をした副反応なのか、急に暑くなったからか気分がファファした感じで身体が怠い。こういう時は汗をかけば良いだろうと、午後13時からポタリングに出る。

流通団地通りを南進し、木部を通り城南橋を渡る。隈庄城跡は、城南町の平野に東から延びる丘陵の先端に位置するので、迷うことなく麦秋の田園の中を進む。
隈庄城跡(写真1参照)に上がる。下から見ると東屋等が見えりっぱな公園に見えたが、草が伸び放題で手入れがされていないようである。


正面に慰霊之塔(写真2・3参照)がある。城跡公園の南側は墓所になっている。面積的には公園部より墓所の方が大きいのではないかと思う。
「隈庄城の石造多重塔礎石」を見に来たのだが見当たらない。墓所の中もぐるぐる回ったが見当たらない。帰宅してから調べると、所在地は「城南町塚原」となっている。


西北に隅が少し高くなっている所がある。そこから眺望する北方向、西方向の風景(写真4・5参照)。


旧城南町の説明板(写真6参照)には、「隈庄城は、中世における益城地方の最も有力な古城です。城南町役場前を走る県道をはさんで西側一帯の南北に拡がる台地と、役場南側の広場がその城跡といわれています。
この古城は鎌倉時代には有力な雑任国司の〇宿〇・○○〇臣らの根拠地となし、南北朝時代から戦国時代に・・・(ほぼ判読不能)」とある。ここを折り返し点として帰途に就く。


帰路の途中、木部の六地蔵(写真7参照)の前を通る。暑熱順化の良いポタリングになったかどうか、ファファした感じは改善しなかった。


17時に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)18km→隈庄城跡19km→熊本(自宅)
総所要時間4時間(実3.5時間) 総計37km 走行累計54,318km


隈庄城跡
2018/12/12(水) 晴

今日は、午後からポタリングする時間が出来た。
久しぶりの自転車だから、往路を強い北風に身を任せて、復路の向かい風を覚悟で南に向かう。
行先は、城南町の隈庄城跡とする。
城南町今吉野から、国道266を右折して旧道を進む。

球磨駅跡から国道266旧道を少し南に進み、右折すると隈庄城跡登り口(写真3参照)が見える。


城跡は公園(写真4参照)になっている。


説明板(写真5参照)では、豊臣秀吉が島津征伐の時にこの城に宿営したとある。
最後の城主は小西主殿介で、慶長5年(1600年)小西行長が敗れると廃城になる。(ウィキペディア)
展望所から熊本平野・金峰山方向の眺望(写真6参照)
この眼前の熊本平野は、縄文海進の頃は熊本湾という海であった。
6・70年前まで、雨期には学校に行くのに船を使った地域もあったという。


邪馬台国と狗奴国の境界は、地理的条件からしてもこの平野にあっても不思議ではない。
更に、弥生時代の甕棺墓もこの平野から南には出土していないようで、埋葬文化も違っているようだ。
私の妄想にすぎないストーリーですが、史実に反する部分、説に無理がある部分については、ご指導ご意見を賜りたいと存じます。


自転車を走らせながら、古代に思いを馳せ、北風の向かい風を心地よく感じて帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)18km→隈庄城跡18km→熊本(自宅)
所要時間3.5時間(実3時間) 総計36km 走行累計26,327km

記事には関係ないが、庭のセンリョウ(写真8参照)に燃えて輝くような朱色の実がなった。


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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