2022/3/4(金) 曇
今日の最高気温予想14°でいまにも雨が降りそうな曇天に、出かけるのを躊躇っていたが、テレビは理不尽なウクライナのニュースばかりで気が滅入る。降水確率が10%に下がり回復傾向の天気予報になったので、14時から4時間以内限定のポタリングに出る。
目的地は、ブログ「くまもと自転車紀行」の「のぶ」さんに教えて頂いた菊池市下橋田の六地蔵と前川の六地蔵とし出かけた。が途中、梶迫で馬渡(蛇塚)城跡に寄り、前川では「第四代目澤村友武五輪塔(澤村さんの五輪塔)」も見る。
下橋田六地蔵から前川六地蔵に移動する途中、御堂の横に馬渡城跡の標柱(写真3参照)を見て、蛇塚古墳探訪で来たことはあるが久しぶりに寄ってみることにする。
左奥に蛇塚古墳(写真4参照)の塚が見える。
墳頂には、御堂と説明板(写真5参照)がある。
説明板(写真6参照)には「馬渡城址(菊池十八外城)
別名を蛇塚城といい、代々蛇塚氏の居城であったといわれます。この蛇塚氏は打越城主林原氏より分家しておりよってこの城は打越城より後に建てられたと考えられます。
この城の周辺を「陣の内」といい、水運を利用して人馬・物資の集積する要衝の地であったようです。そのため馬渡城はこの場所を守るために配されたと考えられます。
また、この城は古墳の上に建てられており、この古墳は前方後円墳で、七世紀頃のものといわれ、現在はかなり削平されているため頂上部には石室の巨石が見えています。菊池川流域には非常に珍しく円筒埴輪が出土しており残欠は現在でも散在しています。」とある。
墳頂には馬渡城址の標柱と説明板(写真7参照)がある。石は石室の一部で、黄土色の土器は埴輪の残欠か。
馬渡城址を後にして、前川の六地蔵に移動する。
蛇塚(大塚)古墳
2018/1/29(月) 晴
冬は天候が変わり易いので走れる日には走ろうと、午後から曇り空だが降水確率0%の予報に、菊池市七城町内の史跡探訪ポタリングに出た。
「遺跡ウォーカー」を検索して、橋田の日羅山橋田寺跡、蛇塚の「馬渡城址」、水次の「神尾城址」をメモって出発する。
熊鹿ロードを北へ走り、植木温泉から県道53を菊池市方向へ走る。
先ずは、橋田の橋田寺跡を目指す。
橋田寺跡は、火葦北国造阿利斯等の子、百済達率日羅創建の寺跡という。「日羅」は白村江の戦いの前段の人で、古代史のなかでも大きな転換期に生きた人である。
飯田山常楽寺にも日羅伝承があり、この時代のことが明確になれば古代史のモヤモヤが少しは晴れるではないかと期待をもって探訪したのだが、場所の勘違いで到達できたかった。
橋田寺探訪を諦めて、県道37を横断して菊池18外城のひとつ馬渡城址を探す。
馬渡城址=蛇塚(大塚)古墳(写真1参照)は集落の中央部あり、微高地ということもあり私有地の中ではあるが直ぐに分かった。
塚頂(写真2参照)には御堂が設置されているようだ。「遺跡ウォーカー」では前方後円墳とあるが、全容は見えない。大塚の名称のとおり堂々とした形状で迫力がある。
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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