2018/8/16(木) 曇
桜山神社を後にして、熊本城内を通る「豊前街道」に移動する。
豊前街道は、新町一丁目御門札ノ辻から法華坂を上り左に折れて住之江御門に至る(写真1参照)
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街道は御門直前で土手(写真2参照)になっている。
これは、攻め手を通さないためではない。駆け上って来る将兵のスピードを減速させるためのものと考えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/40/57cd51f1841abd156ca842bd0bd6e338.jpg)
土手(写真3参照)の正面(写真左手)は、この度の地震で崩落しているが本来は石垣がある。
この石垣の上に銃砲がずらっと並んでいたら・・・、そして右に曲がれば枡形の中・・・、周到に考えられた地形と思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/75/575c5e5bc11aac75d24dd2783d41b24e.jpg)
もう一方の豊前街道は、札ノ辻で分岐して二の丸御門の外で合流するのだが、二の丸と藤崎台の間の堀切(写真4参照)を通る。
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堀切を抜けた街道は右に折れ、百閒石垣(写真5参照)の下の三の丸を東の新堀橋へ向かう。
石垣の下を通る軍は、当然上からの攻撃に晒される。
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現在の二の丸御門(写真6参照)は、地震災害で無残にも大きく崩落している。
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