熊本から気ままに山と自転車のブログ

下津原六地蔵・宮地嶽神社・阿蘇神社

下津原六地蔵(町指定文化財)
2017/2/19(日) 晴

京塚古墳を後にして、菊池川に沿って下り椿井集落の古墳を探訪する予定であったが、うろ覚えのため通過してしまった。
和水町下津原地区の六地蔵(写真1・2参照)に立ち寄り、県道6、県道3経由で帰途に就く。





和水町下津原宮地嶽神社・阿蘇神社
2016/9/24(土) 晴
今日の最高気温予報は、真夏日の30度。一週間ぶりの古墳探訪のポタリングに出る。
9時半出発。最初の目的地は和水町下津原の「堂の上古墳」。
今日も熊鹿ロードを北へ走る。
今の季節、田圃の畔には彼岸花があちこちに見える。
ここ米塚辺りでは自転車道の両側に彼岸花(写真1参照)が咲いている。
花はどうやって季節を知るのか、全く同じ時期に花を咲かせる。


植木町宮地から国道3に出て、夢大地館で弁当を買い、岩原古墳群の有る丘陵の谷間を県道16に抜ける。
焼米地区から県道16を逸れて菊池川沿いに県道6に出て、下津原地区に至る。
Web上の地図をプリントアウトして来れば良かったものを、メモ紙に書き移した概略図で探す。
集落と台地の上を数度上下するが分からない。
元古墳ではなかったかと思われる宮地嶽神社(写真2参照)に上がり昼食とする。


登り口に石室石棺材ではなかったかと思われる石碑(写真3参照)が建立されていた。


この小さな社は、宮地嶽神社の宗像3女神を祭神として祀っている(写真4参照)という。


古墳があっても不思議ではないよう地形の場所には地区の墓所があった。
その東側に阿蘇神社(写真5参照)がある。


この神社の由来書(写真6参照)に由ると阿蘇社のご祭神「健磐龍尊」は、初代天皇「神倭磐余彦尊」の孫に当たるという。
この系譜図を見て疑問が湧く。
この系図が本当ならば、神武は本当に奈良ヤマトに東征したのか?
茂賀に浦湖の神功皇后伝承の「健磐龍尊」は、史実か?史実とすれば、神武と神功皇后は並列の存在でないか?


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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