2023/4/4(火) 曇
今日は最高気温予想23°フードパル熊本入口の民家にフジの花が咲いているというので、その見物に午後14時からポタリングに出発する。その延長として、内村熊野座神社の藤棚を見物に行く。更にその延長として「正院厳島神社」の50m程南にある「正院の五輪塔」を訪ねる。
googleマップを開くと、以前探訪したが分からなかった「正院の五輪塔」(写真11・12・13・14参照)がヒットした。ならば是非とも訪れたいと移動する。
「正院の五輪塔」の墓石群正面が「内古閑元貞之墓」、左側が「市安左衛門貞英之墓」、右側が「牧野弾正貞俊之墓」と刻んである。
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道路から石段を登ると、説明板(写真15参照)がある。
説明板には、「戦国時代後期に旧山本郡(ほぼ現在の植木町)を支配した豪族内空閑氏の初代内空閑基貞の墓といわれている。
水輪に「内空閑備前守基貞之墓 永享四年九月」と彫られている。墓前にも二基の墓があり、それぞれ「市安左衛門貞英之墓 永享四年十月二十日」「牧野弾正貞俊之墓 永享四年十月二十日」と刻んである。
内空閑氏は伊賀国上野城主服部氏が南北朝末に下向したと伝えられ、市安・牧野は基貞に殉死した重臣の墓という。この基貞の墓は江戸時代文化年間に再建したと記録にあり、再建の折に旧家臣が寄付したとされる奉加帳が残っている。内空閑氏は秀吉により滅ぼされたが、町内の旧家の多くは内空閑家の旧家臣であったことを誇りとし、系図を大切にしている。」とある。ここを最後に帰途に就く。
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17時半に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)19km→内空閑神社18km→熊本(自宅)
総所要時間3.5時間(実3時間) 総計37km 走行累計53,386km
正院厳島神社
2021/4/12(月) 曇
今日は、8時半出発、気温18°午後から雨予報に4時間限定のポタリングに出る。
取敢えず北方向へ走る。
山本橋まで来て、県道3に左折する。「正院入口」バス停標識を見て、以前から気になっていた「宮地」「宮原」「正院」等古代国家を反映したと思われる名称に興味を惹かれ「正院厳島神社」を探訪することにする。
手前に熊野座神社があるが、先ずは正院厳島神社(写真1参照)を訪れる。
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境内は、この季節よく見かける小さな花の野草(写真2参照)がいっぱい咲いていた。
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唐破風の入口の拝殿がある立派な社(写真3参照)と、横にイチイガシの市指定保存木がある。
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神殿の棟に、並び鷹の羽の神紋(写真4参照)がある。菊地氏である。
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拝殿の扁額の下に祭神名の額(写真5参照)が掲げてある。主祭神は、天照大神と宗像三女神、相殿内古閑○○公とある。
近所の方のお話では、内古閑氏が創建し、近年六百年祭があった言う。
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