
父の弟(叔父)が10月26日亡くなりました。
私の父が57歳で亡くなっていたので、叔父は生まれた里の家長的な存在でした。
私は妻と二人で和歌山県田辺市へ通夜と葬儀それに初七日に出席して来ました。
大正13年生まれ数え歳84歳、一昔前なら大往生です。
叔父は復員後昭和24年縁があって隣村に婿養子として入りました。
妻の両親を看取り妻と共に農業に励み、共にいたわり子供3人を立派に育てた
一生です。
私の周りで、明治・大正・昭和初期の生まれの方は苦労を苦労と思わず本当に
仕事した様に記憶しています。
朝は早く(まだ日が昇っていません)夜は遅くまで働き通しでした。
本当にその頃の大人は子供の為、家の為に自己を犠牲にしていた様にさえ
見えました。
従兄弟達と幼い頃の話に花が咲きました。
祭りの話で父と叔父の作るすき焼き(年に一度)の味が・・・・・・。
若い孫(私から見れば甥や姪)から見れば理解しがたい時代の話しと映っていたのでは。
その叔父が遺言として喪主の息子に「農地を守れ」と言ったそうです。
叔父には立派に後を継いだ息子がいます。
彼は役所の務めと農業を兼業していますが、
どちらも立派に勤めそして農地を大切にしています。
ところが、里(私の実家)には後を継いだ者がいません。
当然農地は荒れるに任せています。
「父は心の隅に実家の農地の荒廃を嘆いていたのでは」と従兄弟から複雑な気持ちを伝えられました。
叔父は大金を残しているのでは有りませんが、地域を愛し、家族を愛し、
大切な農地を愛し、作物の収穫の喜びを息子に伝えました。
これが人として大切ではないでしょうか。・・・・・・合掌