早いもので時節は、春分を過ぎて、見渡せば美しい春が広がっています
生き生きとした生命力にあふれる春を、楽しまれている方も多いと思います。
私は、相変わらず曼荼羅を描き続けています。
ここ暫くの年月、私は、華曼荼羅、宇宙曼荼羅と、曼荼羅を描いているのですが、
ふっとなぜ自分は、曼荼羅に惹かれるのだろうかと思い、その答えを自分の中に探してみました。
現在進行形で、曼荼羅を描き続けている私が、その確固たる答えがつかめるわけはないのですが、
どうぞ、創作中のひとり言だと思って、お聞きいただけたら嬉しいです
曼荼羅というと、皆さんは何を想像されるでしょうか。
私の場合は、何か地上にはないような天界の整った美しい秩序のようなものを、彷彿させられます。
仏閣や美術館で見ることができる、たくさんの仏様達が美しいく並ばれている絵図も浮かんできます。
長い長い歴史の中で残されてきた曼荼羅は、さらにとても美しいです
それは小さな額に入れられたものでも、寺院の広い天井に描かれたものでもです。
私は、美しいものには、何か真理のようなものが整っていると思っています。
特に、曼荼羅の場合は、仏門に入り真理を求めた方々の、世界観や宇宙観や悟りの境地が描かれているからこそ、
歴史を越えて人を魅了してやまないほど、美しいのだと思います
私も、曼荼羅を描き続けています… 自問自答を繰り返しながら…
私は、どういう曼荼羅が描きたいのか?
これを他の人が見て、美しいと感じるだろうか?
仏様を描いてはいないけれど、仏が描きたいのか?
仏様を人間の姿にしたのは、人間で、もしかしたら、形は、無いのかもしれない…
宇宙と、細胞の大きさは、共通なんじゃないか?
…そんな中でも、ペンは、どんどん進むので、それに任せているような、不思議な感覚もあります。
私は、若い頃から、美しいと感じるものに強く惹きつけられていく傾向を持っています。
その中でも今の私が、曼荼羅に惹きつけられるのは、何か、曼荼羅に秘められいると私が感じている、
普遍の美のような、普遍の秩序のようなものを求めているのかもしれません。
私という人間が、生きている間に、どんな境地に達することができるかは分からないです。
でも、絵に真摯に向き合っていこうと思った時から、私はある意味、求め続けるしかない道を持ったのかもしれません。
仏門においても、どの道においても、その人自身が求め続け、気づき目覚めていく他はないのだと思います。
私の場合は、まだまだ、自分の技術的な部分の未熟さにさえ煩悶する時も多いです。
でも私には、絵を通して到達したい何かがあるのだと、改めて思い、曼荼羅を描き続けていきたいと思います
林 杉子 HPはこちらからご覧ください
4Points Hayashi
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生き生きとした生命力にあふれる春を、楽しまれている方も多いと思います。
私は、相変わらず曼荼羅を描き続けています。
ここ暫くの年月、私は、華曼荼羅、宇宙曼荼羅と、曼荼羅を描いているのですが、
ふっとなぜ自分は、曼荼羅に惹かれるのだろうかと思い、その答えを自分の中に探してみました。
現在進行形で、曼荼羅を描き続けている私が、その確固たる答えがつかめるわけはないのですが、
どうぞ、創作中のひとり言だと思って、お聞きいただけたら嬉しいです
曼荼羅というと、皆さんは何を想像されるでしょうか。
私の場合は、何か地上にはないような天界の整った美しい秩序のようなものを、彷彿させられます。
仏閣や美術館で見ることができる、たくさんの仏様達が美しいく並ばれている絵図も浮かんできます。
長い長い歴史の中で残されてきた曼荼羅は、さらにとても美しいです
それは小さな額に入れられたものでも、寺院の広い天井に描かれたものでもです。
私は、美しいものには、何か真理のようなものが整っていると思っています。
特に、曼荼羅の場合は、仏門に入り真理を求めた方々の、世界観や宇宙観や悟りの境地が描かれているからこそ、
歴史を越えて人を魅了してやまないほど、美しいのだと思います
私も、曼荼羅を描き続けています… 自問自答を繰り返しながら…
私は、どういう曼荼羅が描きたいのか?
これを他の人が見て、美しいと感じるだろうか?
仏様を描いてはいないけれど、仏が描きたいのか?
仏様を人間の姿にしたのは、人間で、もしかしたら、形は、無いのかもしれない…
宇宙と、細胞の大きさは、共通なんじゃないか?
…そんな中でも、ペンは、どんどん進むので、それに任せているような、不思議な感覚もあります。
私は、若い頃から、美しいと感じるものに強く惹きつけられていく傾向を持っています。
その中でも今の私が、曼荼羅に惹きつけられるのは、何か、曼荼羅に秘められいると私が感じている、
普遍の美のような、普遍の秩序のようなものを求めているのかもしれません。
私という人間が、生きている間に、どんな境地に達することができるかは分からないです。
でも、絵に真摯に向き合っていこうと思った時から、私はある意味、求め続けるしかない道を持ったのかもしれません。
仏門においても、どの道においても、その人自身が求め続け、気づき目覚めていく他はないのだと思います。
私の場合は、まだまだ、自分の技術的な部分の未熟さにさえ煩悶する時も多いです。
でも私には、絵を通して到達したい何かがあるのだと、改めて思い、曼荼羅を描き続けていきたいと思います
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