ダメ。ゼッタイ。No!集団ストーカー

集団ストーカー犯罪への挑戦。

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次のステージに向けて

2019年09月15日 | 日記
集団ストーカーと言う犯罪を認知
この犯罪を初めて知ることになったのは某巨大掲示板での書き込みを通じてである。

当時は「集団ストーカー」という行為、個人に集団で付き纏い嫌がらせをされているという被害者さんの書き込みを見ても、それがどうゆう状況なのか理解が出来なかった。

何故かと言えばそれは匿名掲示板への書き込みのため、最初はふざけた書き込み程度の認識しかなかった。これは1990年頃の話である。

当時の書き込みの内容は記憶するところ、「大勢の人が自分を毎日24時間監視している」、「大勢の車で追いかけ回された」、「自分しか知らない事を仄めかしされた」と言う書き込みが多く、関東方面の被害者さんが多かったと記憶する。

まだインターネットも常時接続ではない時代、NTTのテレホーダイというサービスを利用して深夜にダイアルアップ接続でプロバイダーへ接続し、インターネット検索をする日々が続いた。

ただ何故自分がターゲットになっているのかが分からないため、某匿名掲示板への多くの被害者さんの書き込みを読み、この犯罪の状況を理解していった。

劇場型ストーカーの被害者に
組織的嫌がらせはどれも共通して言える事だが、人海戦術で大勢でターゲットを精神的に追い込み、24時間監視、仄めかしを実行する行為が基本行為として実行されている。この犯罪は大きな組織において、不都合な者を社会的に抹殺するひとつの手段であると言える。

私の被害状況であるが、ある日を境に身の回りに不思議な出来事が起こるようになっていった。偶然にしては出来すぎ、そう、劇場型ストーカーの被害者になっていたのだ。(被害の具体的内容については別記事にて投稿したいと思う)

私が勤めている会社はいわゆる大企業と呼ばれる規模の会社であり、労働組合もある。比較的大きな組織が労働組合も巻き込んで、この劇場型ストーカーを行っているように思われる。

劇場型ストーカーは、回りの加害者が結託してターゲットとなる被害者を印象操作していく、いわゆる思考統制の心理的手法である。

私はこの犯罪のターゲットにされる原因や対処方も分からないため、Twitterのアカウントを取得し情報収集と情報発信を試みた。次第にフォロワーさんも増え心の支えになっていった。

うつ病の発症
私は過去に2回うつ病を患っている。
最初は1999年頃から約2年半。
岐阜市内の心療内科にかかり、デパス、パキシルの薬物療法で治療をしていった。

2回目は2016年頃から約2年半。同じ診療内科へ通った。2回目はうつ病と不眠症の症状が現れ、デパス、パキシルに加えマイスリーとロヒプノールでの治療となった。

幸い2回とも仕事を休職する事もなく完寛するに至った。当時は医療利権については無知であったため先生を信じて投薬治療に専念する日々が続いた。

同志との出会い
今年2月になり、少しうつ病の症状が上向いてきて何か新しい事をする気力が微かに湧いてきた。

このままではいけない」と。

ある日、TwitterのフォロワーさんよりJR岐阜駅前の街宣へお誘いがあり参加することにした。

今年2月の事である。

JR岐阜駅前街宣はマイクを使わずチラシ配りがメインとなっている。このような被害者の会に初めて参加したがとてもアットホームな会であり、うつ病と不眠症が徐々に快方に向かっていった。

4月になり、抗うつ薬と睡眠導入剤を断薬することに成功した。平成も終わり令和という新しい時代になった。新たな目標も見つかりそれに向かって行くことにした。

何か新しい事を始めようと思いこの会のPR動画を製作する事にした。

中部ストーカー被害者委員会(youtube)
(※現在この団体には所属しておりません)

そして私の中での大きな成果は、愛知県にあるJR尾張一宮駅前街宣での弁士デビューである。人前で話すことに非常に抵抗があったがこの犯罪の周知のため頑張ってみた。

話してみると意外と気持ちがいい。
気が付けば3回も弁士をしている私がいた。ストレス発散にはもってこいかも知れない。

こうして会を通じていろんな経験や貴重な出会いがあり次第に心が軽くなっていくのが感じられた。

そう、もう一人じゃないんだと。