妄想ジャーナル

 神仏から日常のささやかなことまで
  ネットという海を得た管理人の妄想はもう誰にも止められない。

援交少女に捧ぐ。(前編)

2012-08-19 11:52:14 | 日記
 もう高校生ともなれば立派な大人。
 自分のやったことは自分で責任がとれる年齢なんだから、ブルセラでも援助交際でも、それは個人の自由である。誰に迷惑をかけているわけでもない。
 ──以上が、援交少女についての私の持論なのですが、先日、友人から「もしお前に娘がいて、援助交際をやってても、同じことが言えるのか?」と言われました。
 私は何も言い返せませんでした。
 冗談じゃないですよね。自分の娘がその辺の脂ぎったオッサンに体を売ってるだなんて──。矛盾だろうが、身勝手だろうが、こりゃあ冗談じゃない。
 そして私は考え込みました。
 もしも私が父親で、もしも娘が援助交際をやっていたら、何と言ってやればいいのだろうか、と。
 売れない演歌歌手になるのも、ホームレスになるのも、売春婦になるのも、それは人間の自由。
 誰にも迷惑をかけていない。
 ──そう「正しい」ことを主張してくるだろう娘に、いったい自分は何を言ってやれるだろうか、と。

 ずいぶん考えたのですが、答えは見つかりませんでした。
 なにせ、相手は正しいのだから──。〝恥の文化〟が破壊された今、「ガキが屁理屈言ってんじゃねえよ!」と平手打ちをしても逆効果にしかなりません。
 日本がまだ〝恥の文化〟であった頃は、そんな売春婦を受け入れてくれる場所はどこにもありませんでした。
 それこそ裏社会の暗いひと隅ぐらいしか思い浮かばず、娘はやむなく家にとどまり、やむなく援助交際もやめ、やむなく父親の話を聞くことにもなったでしょう。
 けれども今の社会には大勢の仲間がいて、子供の言い分は何でも聞いてやらなければならないという大勢の理解者もいて、娘は簡単に家出ができるのです。

 それでも、ただ一つ、思いついたことはあるにはあるのですが、しかしそれも、援交少女に鼻で笑われるような、世迷いごとでしかなかったのでした。
「もしもお前が本当に好きな人に出逢ってしまったら、どうするのか?」と。



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