アリゾナマニアの知ったか発言集

4巡WRハキーム・バトラーの半生

・4巡WRハキーム・バトラー(アイオワ州立大)の記事
・高校生のときシングルマザーの母が病死
・そのあとからフットボールを本格的に始めた
・荒削りだが6-5の長身と40ヤード4.48秒のスピードがある

□Winding Journey Sets Hakeem Butler On Right Path (チーム公式サイト5月17日金曜の記事)

ルーキーキャンプ初日、NFLでのキャリア最初の日であるにもかかわらずWRハキーム・バトラーは昼食時チーム施設のカフェテリアでプレートに大盛りの食事を乗せ、携帯電話と壁のテレビを交互に見ていた。

この新人にとって新しい環境や新しい人々に囲まれるのはナーバスになる理由にならない。「こういうことをいっぱい経験してきた」。

・メリーランド州ボルティモア

 シェリル・フォードはシングルマザーで3人の子がいる。第二子がハキーム。シェリルがU.S. Postal Searviceに職を見つけ生活が改善したがハキームが14歳のときシェリルが乳がんと診断される。姉アンバーはすでに家を出ていたためハキームが母の世話をしなければいけなかった。そのため学校の成績は急降下。

・ジョージア州メイコン

 母の容態は刻々と悪化しハキームの欠席も増えた。ジョージア州の親戚の家に預けられると学業成績は改善。しかし16歳のとき母が他界した。弟カリルはすぐにおじのテキサス州の家に引っ越したがハキームは学期末までジョージア州にいた。

・テキサス州リッチモンド

 母の死は深い悲しみだったが環境に支えられた。弟カリルと再び暮らせることも喜びであり、年長の従兄弟アーロン・ハリソンとアンドリュー・ハリソンは兄弟のように接してくれた。この双子はそのときすでにバスケットボールの有力選手だった。2人ともその後ケンタッキー大に2年いたあとNBAに進んでいる。

従兄弟はバスケットボールのスター選手だったがハキームはフットボールに打ち込んだ。ストリートでやったことはあったがリッチモンドの高校で初めて本格的なチームに参加。他州からの加入ということで周囲からはスポーツ目的での編入だと思われていた。

高校では選手としてまだ原石で、学業面でも大学で出場資格を得られるか微妙だった。なので当時テキサス工科大のHCだったクリフ・キングスベリー(現アリゾナHC)もスカラシップオファーを出さなかった。

それでもアイオワ州立大がハキームの荒削りな才能に目を付けオファーした。

・アイオワ州アメス

 入学時すでに今と同じ6-6の身長があったが体重は174lbしかなかった。1年目レッドシャツ、2年目9キャッチ。

ゆっくりとだが着実に歯車がかみ合い始めて2年生のとき41キャッチ697ヤード7TD。去年は60キャッチ1,318ヤード(アイオワ州立大の新記録)9TDした。

10月にキングスベリーHCのテキサス工科大と対戦したときは4キャッチ148ヤード1TDの大暴れ。試合後キングスベリーから「君は野獣だ」と声を掛けられた。

出場資格を維持するため簡単なクラスにいたとはいえ3年半でリベラルアーツの学位を取得。「オレの現時点での最大の成果は大学を卒業したことだ。これは永遠に自分について回る」。

・アリゾナ州テンピ

 ハキームは2~3巡で指名されると見られていたが4巡に残っていた。アリゾナが指名することになり電話をかけるとキングスベリーHCは自分の大学に加入させなかったことに触れ「同じ過ちを2度するわけにはいかないからね」。

アリゾナのWRはラリー・フィッツジェラルドとクリスチャン・カークの2人以外はワイドオープンな状態。ハキームは大型でしかもコンバインで40ヤードを4.48秒で走った。実際には4.3秒台だったという話もあるらしい。

ルートランニングと落球癖が疑問視されるが、「世間の人はオレが活躍できなかったときの言い訳を考えてるんだよ。常にそれを黙らせようとしている。そうやって人生を過ごしてきた」。



(波瀾万丈の人生だけど真っ直ぐ育ってくれた)。

(WRとしてはまだまだ才能だけでやってる状態。これが洗練されたらどれだけ活躍できるか楽しみです)。

(ちなみに弟カリル君はDivision3の大学でバスケットボールをやってるようです)。

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