『古事記上巻』
【序文】
『古事記』の序文によると、まずはじめは天武天皇(在位六七三~六八六年)の発案によって、正しい歴史と系譜を確立して後世に伝えるために史書の作成を企画した。天皇は、これは国家運営のための根本に関わる事業であると言っている。当時、稗田(ひえだ)の阿礼という二十八歳の大変聡明な人物がいた。天武天皇はこの稗田阿礼に命じて天皇家の物語と系譜を諳(そらんじ)させるが、在世中に目標とする歴史書は完成しなかった。その後、持統天皇(じとうてんのう 在位六九〇~六九七年)文武天皇(もんむてんのう 在位六九七~七〇七年)の御世を経て、元明天皇(ゲンメイテンノウ 在位七〇七~七一五年)が前代の事業を引き継ぎ、和銅四年(七十一年)九月に、稗田阿礼(ヒエダノアレ)の諳んじる物語を太安万侶(オオノヤスマロ)に筆録させ、翌年の一月に『古事記』が完成した。
【天地のはじまり】
天地のはじまりの時、高天原という場所に、神々が出現した。はじめに出現したのは天之御中主(アメノミナカヌシ)の神、次に高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)その次に神産巣日神(カミムスヒノカミ)だったその後、地上世界がまだ未成熟で、水面に浮いた脂と同じく、クラゲのように漂う状態であった時に、葦の若芽のように萌えあがるものによって出現した神は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)ついで天之常立神(アメノトコタチノカミ)であった。 ここまでの五柱(ごはしら)の神は、「他と区別された、特別な天神(アマツカミ)」である。
次に国之常立神(クニノトコタチノカミ)と豊雲野神(トヨクモノノカミ)が出現した。ここまでに出現した七柱の神はみなペアとなる神を持たずにそれぞれ単独で出現した神で、その身を隠しなさった。これ以後に出現する神はそれぞれ男女ペアで出現することになる。まず宇比地邇神(ウイジニノカミ)・妹須比智邇神(スイジニノカミ)、次に角杙神(ツノグイノカミ)妹活杙神(イクグイノカミ)次に意富斗能地神(オオトノジノカミ)妹大斗乃弁神(オオトノベノカミ)次に於母陀流神(オモダルノカミ)妹阿夜訶志古泥神(アヤカシコネノカミ)次に伊耶那岐神(イザナキノカミ)妹伊耶那美神(イザナミノカミ)が出現した。
【神の結婚】
天つ神から国土の修理固成(しゅうりこせい)を命じられ、天沼矛(アメノヌボコ)を授かった伊耶那岐(イザナキ)と伊耶那美(イザナミ)は、天の浮き橋に立って沼矛を下界に指し下ろして掻き回した。そして引き上げた矛の先から滴り落ちた塩が重なって島ができあがった。それがオノゴロ島である。
イザナキとイザナミはオノゴロ島に降って二神で男女の交わりをして国々を生もうとする。天(あめの)御柱(みはしら)を左右から廻って声を掛け合い、結婚して子をなしたが、最初に生まれた水蛭子(ひるこ)は、葦船(あしふね)に入れて流してしまった。次に生まれた淡島(あわしま)も、子の数には入れなかった。
二神は、女神の方から先に声を掛けたのが良くなかったのだと思って天つ神にそのことを確認した上で、婚姻のやり直しをし、改めて国生みを開始。淡路島・四国・隠岐島・九州・壱岐島・対馬・佐渡島・本州を生み、それから六つの小島を生み、その後に今度はさまざまな神々を生んだ。神々を生み続けていくうちにやがて火の神を生んだイザナミは、病になってしまう。
【黄泉国】
火の神を生んだことで身を焼かれ、異界に行ってしまったイザナミを連れ戻すため、イザナキは黄泉国(よもつくに)へと出向く。イザナキは、出迎えに来たイザナミに共に戻るように説得するが、イザナミは黄泉戸喫(よもつへぐい)をしてしまったのでもう帰れないと言う。けれど、とりあえず黄泉神と相談してくるから、その間決して中を覗いてはならないという禁忌を科してイザナキを待たせるが、なかなか戻ってこない。待ちきれなくなったイザナキは、右の髻(もとどり)にさしていた櫛に火を付けて中を覗いてしまう。すると、そこには蛆(うじ)がたかり、躰(からだ)の八箇所に恐ろしい雷神を生じているイザナミの姿があった。驚き恐れたイザナキはその場から逃げ出すが、イザナミは見られたことに怒り、予母都志許売(ヨモツシコメヤ)雷神を追っ手に遣わす。身につけていた髪飾りや櫛を投げつけながら逃走していたイザナキだったが、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本まで来たときにとうとう雷神に追いつかれてしまう。そこでイザナキは、そこに生えていた桃の実を使って雷神どもを追い返す。すると今度はイザナミ自身が追いつき、イザナキが塞いだ大きな岩を間に挟んで、お互いに言葉を掛け合う。イザナミが「一日に千人を縊(くびり)殺す」と言ったのに対し、イザナキは「一日に千五百の産屋(うぶや)を建てる」と言った。これが人口増加の起源というわけである。
【須佐之男命】
黄泉国(よもつくに)から逃げ帰ったイザナキは、黄泉国のけがれを祓おうとして日向(ひむか)の阿波岐原(あわきはら)というところで禊(みそぎ)をする。そこで自身が身につけていたものや体に付着していたものを払ったところ、そこからまたさまざまな神が出現するのだが、最後に左の目を洗ったところ天照大御神(アマテラスオオミカミ)が、右の目を洗ったところ月読命(ツクヨミノミコト)が、鼻を洗ったところ須佐之男命(スサノオノミコト)が出現した。
三柱の貴い神を出現させてイザナキは大喜びして、アマテラスに高天原(たかまのはら)を、ツクヨミに夜の食国を、そしてスサノオには海原を統治するように命じた。 ところがスサノオは、自分は亡き母のいる根の堅州国(かたすくに)に行きたいと言って泣いてばかりいて、そのおかげで父のイザナキの怒りを買って追放されてしまう。その後は高天原(たかまのはら)に行って姉の邪魔をし、大暴れをして姉の石屋籠(いわやこもり)の原因となる行為をする。高天原の神々の働きによってアマテラスは再び出現するが、その原因を作ったスサノオは追放される。
その直後、スサノオは大気津比売神(オオゲツヒメノカミ)という女神を殺害するが、出雲に降った後には八俣大蛇(ヤマタノオロチ)を退治し、大蛇に食われる運命にあった女神を救うことになる。
【天の石屋の神話】
スサノオが高天原にやってきたとき、アマテラスは「弟はこの国を奪いに来たに違いない」と疑いの心を抱いた。自らの潔白を証明しようとしてスサノオはお互いに「うけひ(占い)」をして子神を生もうと提案する。
お互いの持ち物(スサノオの剣、アマテラスの玉)を交換し、それぞれに口に含んではき出した息の中から、スサノオは五柱の男神を、アマテラスは三柱の女神を出現させるが、アマテラスは、子神の所属はそれぞれの持ち物の元の持ち主によると宣言する。するとスサノオは、自分が女神を生んだのだから、自分の勝ちであるとの勝利宣言をし、その勢いに乗じてさまざまにあばれる。
まずアマテラスが営む田の妨害をし、その田で取れた稲を食す儀式を行う場所に糞をまき散らす。アマテラスは、はじめはその行為をとがめないで寛大な態度を示すが、スサノオはさらに暴れて、機織(はたおり)の作業をする殿に皮を剥いた馬を投げ入れた。するとそれが原因で、機織殿で機を織っていた女神が驚いて梭(ひ)(機織りで、よこ糸を巻いた管を入れて、たて糸の中をくぐらせる、小さい舟形のもの)で陰部を衝いて死んでしまった。
【八俣大蛇退治神話】
高天原を追放されたスサノオは、出雲の肥の河上、鳥髪山の地に降り立つ。川の上流から箸が流れてきたのを見て、上流に誰かいるのだろうと思って訪ね上る。すると、真ん中に少女を置いて、両側で泣いている老父と老女に出逢った。
スサノオはその者たちの名と、泣いている理由を尋ねたところ、「自分たち夫婦は足名椎(アシナヅチ)手名椎(テナヅチ)間にいるのは娘の櫛名田比売(クシナダヒメ)だ」と答え、「自分たちには八人の娘がいたが、毎年八俣大蛇(ヤマタノオロチ)が訪れて娘をひとりずつ喰われてきた。今、最後の一人が喰らわれる時期となったので、泣いているのだ」と答えた。
スサノオはそのヤマタノオロチの姿形を尋ね、退治するための秘策を練り、娘を自分の妻として奉るように要求する。老父の言ったとおり現れたヤマタノオロチをスサノオは酒で酔わせ、眠ったところを剣で斬り刻んで退治する。
その時、大蛇の尾から一本の剣が出現し、ただの剣ではないと感じたスサノオはこれを天上界のアマテラスに献上した。これが後の草薙(くさなぎ)の剣(つるぎ)である。
【大国主神の神話】
クシナダヒメと結婚したスサノオは、出雲の須賀に宮を作り、そこで結婚をし、子神を誕生させる。子神はさらに次々に次代の子神を生んでいく。やがてスサノオの六世孫として誕生したのが大国主神(オオクニヌシノカミ)であった。この神には、またの名が四つあった。大穴牟遅神(オオアナムジノカミ)・葦原色許男神(アシハラノシコオノカミ)・八千矛神(ヤチホコノカミ)・宇都志国玉神(ウツシクニタマノカミ)である。
オオクニヌシ物語が始まってからは、オオアナムジの名で表される、兄の八十やそ神がみたちと一緒に稲羽いなばの八上比売(ヤガミヒメ)に求婚に出かける。その際に稲羽の素兎(シロウサギ)を助け、シロウサギからは「あなたがヤガミヒメを得るでしょう」と予言される。その予言どおりにヤガミヒメから求婚の承諾を得たオオアナムジであったが、それがもとで兄神たちの恨みを買い、命を狙われてしまう。二度も殺されてしまったオオアナムジであったが、母神の助力によって二度とも復活する。
しかし、このままでは本当に殺されてしまうと危惧した母神は、オオアナムジにスサノオのいる根の堅州国へ行くようにと指示する。指示に従って根の堅州国に出かけたオオアナムジは、そこでスサノオの娘、須勢理毘売(スセリビメ)と出逢って結婚する。
その後、スサノオからいくつかの試練を与えられたオオアナムジは、スセリビメの助力を得てそれらの試練を乗り越え、最後にスセリビメを連れ、スサノオの琴・弓・矢を持って根の堅州国から逃げ出すことになる。逃げるオオアナムジに向けてスサノオは、「お前はわが娘を正妻とし、その弓と矢でもって兄神たちを追い払い、オオクニヌシとなり、またウツシクニタマとなって、立派な宮殿を作れ」という言葉をかける。
その後は、ヤチホコの名で高志の沼河比売(ヌナカワヒメ)を妻問いに行く話と、スセリビメの嫉妬を描いた話が四首の歌と短い説明文とで綴られる。これを「神語かむがたり」というと伝える。
【国譲りの神話】
アマテラスは、かつてスサノオとの「うけひ」で産んだ男神五柱のうちの長男である天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)に、「この地上世界は倭が御子であるオシホミミが統治する国だ」と宣言をして、派遣する。オシホミミは、いったんは天浮橋(あめのうきはし)に立ち、地上の様子を窺うが、地上世界はとても騒がしいと言って、高天原に還り上り、報告をする。報告を受けたアマテラス・高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)は、高天原の神々と相談し、「この地上世界(葦原中国)は荒ぶる国つ神どもが跋扈(ばっこ(思うままにのさばること)している国だ。誰を派遣して言向(ことむけ)(服従)させようか」とたずねた。
相談の上、まずはオシホミミの弟にあたる天菩比神(アメノホヒノカミ)を派遣するが、この神は相手に寝返ってしまって、還ってこなかった。次に天若日子(アメワカヒコ)を派遣するが、この神は自らが地上の主になろうという野心を抱いていたために、自分が天上界に放った矢を投げ返されてその矢に射られて死んでしまった。
三番目に派遣された建御雷神(タケミカズチノカミ)は、オオクニヌシとその子神の事代主神(コトシロヌシノカミ)・建御名方神(タケミナカタノカミ)を服従させ、国譲りを成功させる。オオクニヌシは、「天神御子の宮殿と同じように壮大な宮殿を、自分が鎮まるために建ててもらえるならば、出雲国に鎮まるだろう」と言って国を譲り渡した。
【天孫降臨神話(一)】
国譲りの交渉が無事に終わり、ようやくアマテラスは子神を降臨させることができるようになる。当初降臨を予定していたオシホミミにアマテラスと高木神(タカギノカミ=タカミムスヒノカミの別名)が改めて降臨を命じたところ、オシホミミは、自分に子ができたので、この子神を降臨させようと言う。その子が番能邇々芸命(ホノニニギノミコト)である。ニニギは五柱の随伴神を伴い、天あまつ久米命くめのみこと・道臣命(みちのおみのみこと)を先導役とし、筑紫つくしの日向(ひむか)の高千穂(たかちほ)の久士布流岳(くじふるだけ)に降臨する。
【天孫降臨神話(二)】
筑紫(つくし)の日向(ひむか)の高千穂(たかちほ)の久士布流岳(くじふるたけ)に降臨したニニギは、「ここは韓国(からくに)に向かい、笠沙御前(かささのみさき)にまっすぐに通っていて、朝日がまっすぐに差す国、夕日の照り映える国だ。ここはとても良いところだ」と言って、壮大な宮殿を立てなさった(これが高千穂宮である)。
【日向神話】
日向(ひむか)に降臨したニニギは、その後、笠沙の御前で一人の美女に出逢う。
名を尋ねたところ、大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘で木花佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)であるという。ニニギは求婚するが、娘は、返事は父がするという。話を聞いた父神はたいそう喜び、姉の石長比売(イワナガヒメ)と併せて嫁がせようと言う。
しかし姉のイワナガヒメはたいそう醜かったので、ニニギは妹のサクヤビメだけを娶(め)とり、姉の方は返してしまった。父神は怒り、「姉を嫁がせたのは、天神の御子の命が永遠につづくためであった。妹を嫁がせたのは、天神の御子たちが繁栄するためであった。今、姉を送り返したことによって、歴代天皇の命は木の花のようにはかないものになるであろう」と言った。
その後、ニニギはサクヤビメと「一夜婚」を行う。するとサクヤビメは一夜で懐妊をした。ニニギはそのことを疑わしく思い、「その子は地上の神の子であろう」と言ってサクヤビメを責めた。サクヤビメは、自身の潔白を証明しようと思い、戸のない室に籠もり、火を放ってその中で出産をする。「これで無事に生まれなかったならば、この子は地上の神の子でしょう。無事に生まれたならば、そのときは間違いなく天神御子であるあなたさまの子なのです」と言い、決死の出産を行うのであった。
やがて無事に生まれたのか、火照命(ホデリノミコト・海幸彦)、火須勢理命(ホスセリノミコト)、火遠理命(ホオリノミコト・山幸彦)であった。
この後にいわゆる「海幸山幸の神話」が展開し、結果的に兄であるホデリは弟のホオリに従うところとなる。このホデリは、隼人(はやと)の祖であるという。
【鵜葺草葺不合命の誕生】
ホオリは、海神宮の娘、豊玉毘売(トヨタマビメ)を妻としていた。あるときトヨタマビメが、ホオリの子を懐妊したが、天神の子を海原で産むわけにはいかないと、海神宮からやってきた。トヨタマビメは、「私たちの国の者は、出産のときには本国の姿になって産むので、その姿を見てはならない」と言い、鵜の羽を茅葺(かやぶき)とした産屋(うぶや)に籠もって出産をしようとする。ところが産屋が完成する前に産気づいてしまい、ヒメはその産屋に籠もって出産しようとする。「見てはならない」と言われていたホオリは、見たいという気持ちを抑えることができずについ覗いてしまった。するとそこに見えたのは、八尋和邇(ヤヒロワニ)の姿となってのたうっているトヨタマビメの姿であった。ヒメは無事に子神(鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を出産するが、見られたことを恥に思い、ホオリを恨んで海神宮の世界に戻ってしまう。
中巻につづく。