同じ「ありがとうございます」という言葉であっても、その中身の違いによって、次の四つに大別されるのです。
① 世間一般の、お礼・感謝の気持ちを伝える為に使うものです。「ありがとう」「ありがとうございました」と同類のものです。
② 思いや願いを叶える為に、「ありがとうございます」という言葉を、呪文的に念力的に唱えるものです。思いの心・求める心で唱えているので、感謝の心・恩返しの心で唱える、正しい感謝の祈りとは正反対のものです。ご利益信仰に属するもので、思いを大きく積み重ねて、何でも自分の思い通りにしたいという、自我の思いが強くなってゆくのです。従って自我の思いが消えてゆかないので、本心開発にはつながらないのです。思いの心に波長が合って、思いの泥沼に落ちてゆき易いのです。低い番組の波に感応して、低い波に操られ易いのです。思いの心を自分の心として掴んでいるので、利己的・マイホーム主義的な小さな生き方、思いの雲の下の生き方に止まるものです。
③ 神さまへの『恩返しの感謝』です。神さまから与えられている、無限のプレゼント・無限の大恩に対して、恩返しの心で捧げ尽くしてゆく『感謝』です。神さまに対して求める心を一切起こさない、純粋な捧げ尽くす・与え尽くす感謝です。恩返しだけに生きれば、すべての思いや願いは消し去ってもらえるのです。すべての思いが消え去ったら、一点の雲も無い、青空に太陽の輝く心境になるのです。太陽(神さま)だけを見つめて、そこから降り注ぐ光(神さまの恩恵)を受けるだけです。感謝一筋の自分・感謝だけの自分が、神さまに対して、『恩返しの感謝』を捧げ尽くすだけになるのです。これが正しい感謝の祈りの「祈り言葉・ありがとうございます」です。
④ 虚の世界から抜け出て、真実の世界・真の神さまの世界をしっかりと感受する為に、自分の意識を無限大に拡大して、『天照大御神 今ここに 在します』と実感する、感謝の真祈りの真実の感謝『ありがとうございます』です。宇宙の大神さまの働きのすべてを感受する『ありがとうございます』です。祈り言葉としての「ありがとうございます」では無くて、祈りそのものの『ありがとうございます』なのです。絶対の中心から、無限大の外から、全方向からところてん式に、一瞬一瞬新たに新たに新生して来る、無限の無限の天照大御神を、しっかりと直覚するものです。絶対感謝の道・絶対感謝の『ありがとうございます』は、一瞬一瞬が、新たなる無限の無限の天照大御神との、一期一会の出会いだけなのです。
イソップ物語に、肉片をくわえた犬が、橋の上から水面に写る自分の姿を見て、他の犬だと錯覚してワンと吠えたら、自分のくわえていた肉片を川へ落としてしまった、という話があるのです。これを自分自身に当てはめてみると、笑うに笑えない笑い話になってしまうのです。環境は自分の心を写す鏡である、という真理が理解できなければ、これと同じ愚を犯してしまうのです。他の人をマイナスに見て責め裁く人は、自分自身のマイナスが鏡に写って見えているのだという、因縁の理が判っていないのです。
神さまの強い光が降りてくると、自分の心の底に溜まっていたマイナスの思いが、大きく浮かび上がってくるのです。今まで気づかなかったマイナスが、心の中だけでは無く、形にまで出て来て、外部環境にまで大きく投影されてくるのです。同時に明るく照らし出されて、今まで見えなかったものもさらけ出されて、ハッキリと見せつけられるのです。自分自身のマイナスだからこそ、それを認めたくないという思いから、他に責任を転嫁しようとしてしまうのです。すべてのマイナスを、自分の責任として受け止められる人は、本当に強い人です。すべてのマイナスを、感謝の真祈りで、消し去る力を持っているのです。思いの心を生きている人には、思いを消し去るだけの力が無いので、他に責任を転嫁して、逃げ出したくなるのも無理は無いのです。
神さまの強い光で照らし出されると、暗闇の中では区別できなかったことも、細部にわたってそれぞれの違いがハッキリしてくるのです。同じように真理を学び、感謝の祈りをしているように見えても、それぞれの心境の差、心の波の違いがハッキリと示されてくるのです。それぞれが自分に相応しい勉強の場で、波長の合う者同志が一緒に歩むようになるのです。波の合わない者は自然に離れ、波の合う者は自然に集まるようになるのです。心の波の合う者同志が自然に集まって、お互いに助け合い・励まし合って、真理の学びを深め、感謝の祈りを実行して、幸せを大きくしてゆくのです。
過去を掴む思いの心というのは、分別心となってマイナスを掴み、そのマイナスを責め裁いて、自己処罰してゆくのです。マイナスを消し去る為には、プラスを加えるしか無いのに、そのプラスを加える方法を知らないのです。自己のマイナスを責め裁いても、鏡に写った他と見えるマイナスを責め裁いても、すべて自分を責め裁くことになるのです。どれだけ自己処罰しても、過去の罪・マイナスの償いにはならないのです。マイナスにマイナスを積み重ねて、マイナスを大きくしているだけです。マイナスはマイナスに波が合って、マイナスを引き寄せてしまうのです。マイナスを消し去る為には、過去を一切相手にしないで、今を新たに、神さまから無限の無限のプラスを受けるだけで良いのです。
仏教の教えでは、人の心境を十段階に区別して、説いているのです。即ち地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏の十界です。神さまに心を向けて、真理の教えを聴聞し、学ぶ段階が、声聞界です。「立ち向かう人の姿は鏡なり、己が心を写してや見ん」という道歌を、因縁の理を悟った段階が、縁覚界です。自分の見ている世界のすべては、自分の心をそのまま鏡に写すように見ているのである、という因縁因果の法則を本当に理解できたならば、神さまの大犠牲精神の愛の働きに、感謝せずにはおれなくなるのです。いつも大難を小難か無難にして、守り続けて下さって、ありがとうございますと感涙に咽ぶのが、縁覚です。次の菩薩の段階は、恩返しに救いに立つ段階です。感謝の祈りを祈りに祈って、自分の心を変えることによって、自分の世界を変えてゆく段階が、菩薩界です。自分の世界をどこまで大きく変えられるかによって、小菩薩から大菩薩までの段階があるのです。感謝の祈りを感謝の真祈りにまで高め上げて、真実の世界を感受できるようになれば、仏界です。そこは一瞬一瞬新たなる無限の無限の天照大御神が一杯!の世界です。以上の四つの界は、感謝に生きる世界です。
次の地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つの界は、思いに生きる世界です。奪い合う心を生きるのが、すべての幸せを奪い取られる、地獄界です。怠け心を生きるのが、必要なものも手に入らない、餓鬼界です。本能のままに生きるのが、理性も何も無い、畜生界です。競争心を生きるのが、利己的な、修羅界です。与えたら取り返す、ギブ・アンド・テイクが、人間界です。思いの心で貯金を先にする、ギブ・アンド・ギブが、天上界です。
高い番組の救済の神々は、大犠牲精神で思いを身代わりに背負うことによって、低い番組の世界に波を合わせて、救いに降り立つのです。思いを半分背負うことによって、波が合うのです。背負った思いを消しながら、教えを説き、光を与えるのです。この愛の働きが無かったら、思いの世界に居る人が、感謝の世界に上ることは、永遠に不可能です。無限の思いを溜めた人が、感謝の祈りができるようになる為には、救済の神々の無限に大きな助けが必要なのです。感謝の祈りのできるようになった人は、自分の努力や力でなったのでは無いのです。自分に一番縁の深い、救済の神々の無限の愛・護り・支え・助けのお蔭なのです。先に既に無限の無限の大恩を受けているのです。だからこそ恩返しだけに生きなければならないのです。恩返しの感謝を、恩返しだけの感謝を、無限に無限に捧げ尽くしてゆかなければならないのです。感謝の祈りを祈らせてもらいながら、一寸でも求める心が出て来たら、落第・失格です。真実の世界、天照大御神の世界は、恩返しの絶対奉仕だけの世界です。このことを決して忘れてはならないのです。
物事を正しく見抜く、洞察力・眼力が必要です。何が真実で、何が事実で、何が虚偽なのか、しっかりと見抜かなければならないのです。またそれぞれの細部にわたる違いを、しっかりと見抜かなければ、判断を誤ることになるのです。例えば万人が太陽を眺めているとして、万人が同じ光を感受していると言えば、大きな間違いです。それは事実でも何でも無いのです。錯覚であり、間違いであり、嘘なのです。真実というのは、地球の遥か彼方の、本物の太陽を捉えなければならないのです。事実として捉えているのは、地球の大気圏で乱反射して生じた、擬似光体としての偽の太陽です。またそこから一人一人に届いている光は、すべて異なる光です。同じ光を受けることは不可能なのです。この違いが判らなければ、事実をも見誤っているのです。
更には一人一人は、異なる心の色眼鏡をかけて、見ているのです。同じ光も、同じ太陽も、色眼鏡を通した分だけ、変化して見えるのです。黒い心の色眼鏡を通して見れば、太陽も黒く見えるのです。赤い心の色眼鏡を通して見れば、太陽も赤く見えるのです。また心の色眼鏡に汚れが付着していたら、その部分を通して見たら、太陽に汚れが付いているように見えるのです。このように考察してゆくと、一人一人は全く別個のものを、自分の思い通りに翻訳して、好き勝手な感じ方をしているのです。一人一人は全く別個の番組の世界に居るのであって、共通性は全く無いのです。みんなそれぞれに、自分一人だけの世界に住んでいるのです。そして自分の思い通りに感じているだけなのです。思いのある間は、錯覚に生きているのです。思いが消えて無くなれば、その人だけの事実を感じるようになるのです。更に大きな自分になれたら、自分だけの真実を感じ始めるのです。
人を見る場合も、肉体という表面・外見だけを見ていたら、正しい判断はできないのです。肉体という道具・器を動かしている、中身は一体何者かを見抜かなければならないのです。普通は肉体を動かしている中身が、絶えず変化しているのです。宇宙の大神が動かしているのか、本心が動かしているのか、守護神が動かしているのか、守護霊が動かしているのか、副守護神・副守護霊が動かしているのか、先祖霊が動かしているのか、背後霊が動かしているのか、憑依霊が動かしているのか、動物霊が動かしているのか、業想念が動かしているのか、他からの念力が動かしているのか、その他どんな力が動かしているのか、その中身の実体をしっかりと見抜かなければならないのです。肉体という一個の体に囚われて、漠然と同じように見ていたら、大きな間違いです。そこには真実や事実は全く無く、錯覚だけがあるのです。一人の肉体人間を通して現れる姿は、中身の入れ代わり・変化に従って、コロコロと大きく変化し続けているものなのです。
言葉はプラスにプラスに使うことが大事なのです。すべては言葉通りに成るのです。マイナスの言葉もプラスに使うことができるのです。マイナスを打ち消して、プラスにすることができるのです。思い(マイナス)が消えた(マイナス)と使えば、マイナスとマイナスでプラスになるのです。プラスの言葉もマイナスに使うことができるのです。満腹ですと言えば、御馳走を拒絶しているのです。美味しい、美味しいと、今を感謝し喜ぶだけが良いのです。どんなものも自分は沢山持っていますと言えば、新たなプレゼントを拒絶することになるのです。次に必要になっても、与えてもらえないのです。どんな小さなプレゼントでも、常に感謝して受けるのが正しいのです。
プラスのことでも過去を掴んで言葉にすると、新たなプレゼントを拒絶して、マイナスになるのです。私は大金持ちですと言うだけで、泥棒や強盗までやって来るのです。どんなプラスのことでも、過去のことを言葉にするだけで、本当はマイナスになっているのです。本当の正しい言葉の使い方というのは、「新たなる今を生きる」ところから、生まれ出て来るのです。今与えられているものを、褒め称え・感謝し・喜ぶだけです。新たなる今を生きるだけです。過去も未来も相手にしないのが良いのです。
マイナスの一言が、すべてを傷つけ・破壊し・滅ぼすのです。マイナスの一言が、連鎖反応を起こして、極楽を地獄に変えるのです。マイナスの一言が、核爆発よりも大きな被害を与えてゆくのです。マイナスの一言が、地球を滅ぼすのです。マイナスの一言を発することは、大きな罪になるのです。それに同調して、マイナスの言葉を繰り返した人も、同罪です。マイナスの言葉を打ち消して、連鎖反応を止めなければ、マイナスの核連鎖反応に加担したことになるのです。覆水盆に返らず、手折った花は元に戻らず、です。破壊するのは、一瞬です。それを元に戻す為には、何万倍以上の努力と忍耐が要るのです。犯した罪に対してどんな罰を受けても、少しも償いにはならないのです。人は過去の大罪に対して、何の償いもしていないのです。
プラスの一言が、すべてを癒し・生かし・輝かせてゆくのです。感謝の真祈りを祈り続けている人は、地球の平和と万類の幸せへの最大の功労者です。神さまの大きな助けを受けることによってのみ、地獄を極楽に変えてゆけるのです。「ありがとうございます」という祈り言葉は、最高の癒しの言葉です。「ありがとうございます」という祈り言葉は、最高の地球再生の言葉です。「ありがとうございます」という祈り言葉は、最高の天の岩戸開きの言葉です。感謝の真祈りを、いのちかけて祈り続ける人こそが、地球の平和と万類の幸せに貢献する、最高最大の功労者です。
虚実の無限の無限のチャンネルの番組は、絶対が相対の両極に分かれた、光と闇・善と悪・プラスとマイナス・天使と悪魔・建設と破壊・平和と戦争・等々の、その双方の熾烈な一大決戦のドラマが、繰り広げられているのです。それぞれの番組の中において、どちらの側に味方しても自由なのです。自分の味方した側が、勢力を伸ばしてゆくのです。プラスの側に味方すれば、プラスの勢力が大きくなって、番組がどんどん上がってゆくのです。マイナスの側に味方すれば、マイナスの勢力が大きくなって、番組がどんどん下がってゆくのです。
一大決戦のドラマの主役は、言葉です。プラスの言葉とマイナスの言葉の戦いです。言葉というのは、剣です。プラスの言葉は、活人剣となり、マイナスの言葉は、殺人剣となるのです。言葉というのは、種子です。プラスの言葉は、すべてのプラスのものを生み出し、マイナスの言葉は、すべてのマイナスのものを生み出すのです。プラスの言葉は、癒しの薬となり、マイナスの言葉は、毒物となるのです。心の畑に蒔かれた種子は、成長して種々様々なものを生み出して来るのです。プラスの言葉は、神霊や天使や精霊を生み出し、マイナスの言葉は、悪魔や妖怪や化物を生み出すのです。プラスの言葉は、新しいプラスのものを生み出し建設してゆき、マイナスの言葉は、すべてを破壊し滅ぼしてゆくのです。
プラスの一言を使う者は、プラスの側に味方して、平和への貢献をしているのです。マイナスの一言を使う者は、マイナスの側に加担して、すべてを焼き滅ぼす業火に油を注いでいるのです。人は自分の心に種子蒔く言葉を、責任をもって選ばなければならないのです。世界の平和を、万類の幸せを願うならば、プラスの言葉だけを、自分の心の畑に、種子蒔くことが大事なのです。マイナスの言葉は、雑草の種子のように、知らず知らずの内に、どこかから飛んで来て、自分の心の畑に、種子蒔かれてしまうものです。知らずに放置していたら、マイナス(雑草)で覆い尽くされてしまうのです。
マイナスの言葉は、悪魔の放つ毒矢のようなものです。世の中には雨あられと降っているのです。ちょっと油断すると、その毒矢に当たり、その毒気に負けて、正気を失い、悪魔の操り人形になってしまうのです。マイナスの言葉は、真の人類の敵なのです。マイナスの言葉を使うということは、人類を滅ぼす側に加担しているのです。どんな理由があろうとも、マイナスの一言を使うということは、大きな罪を犯しているのです。この世の七難八苦は、すべてマイナスの言葉の産物です。最高のプラスの言葉を駆使して、すべてのマイナスの言葉を打ち消してゆかなければならないのです。
宇宙の大神さまの絶対の愛が、全大宇宙を貫流しているだけです。神さまの全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!なのです。それが無限大の外から、絶対の中心から、一大瀑布となって降り注いでいるだけです。神さまの最高理想の表現が、新たなる天照大御神という姿で、次から次へと不断の創造が続いて、現れ続けているだけです。一瞬一瞬新たなる、無限の無限の天照大御神が、入れ子構造の天照大御神となって、現前し続けているだけです。すべての天照大御神が、初めて出会う・二度と出会えない・一度切りの・一期一会の出会いの神さまばかりです。新たなる無限の無限の天照大御神との、一瞬一瞬の出会いを、最高最大に楽しむだけです。一瞬一瞬新たに新たに、深い感謝の心で受け直し、喜び続けるだけです。
自分の他には宇宙の大神さましか存在しないのです。自分と宇宙の大神さまとの一対一の関係を、しっかりと保つこと、これだけが正しい生き方なのです。自分を宇宙の大神さまの中へ捧げ尽くして消し去れば、残るのは宇宙の大神さまだけです。宇宙の大神さまの他には何も存在しないのです。一瞬一瞬新たに新たに、宇宙の大神さまを感受し続けるだけなのです。
『天照大御神 今ここに 在します。みんな 天照大御神。新たなる全徳の無限の無限の輝きが 無限に無限に一杯!』
入れ子構造の一大天照大御神が、現前し続けているだけなのです。森羅万象のことごとくが、天照大御神の現れです。原子も細胞も石ころも、人体も地球も宇宙も、すべてのすべてが、天照大御神の現れです。みんな無限の無限の輝きで一杯!なのです。すべての移り変わりの奥の奥の奥に、しっかりと天照大御神を認めてゆくということが大事なのです。
『天照大御神 今ここに 在します』という意義を連動させながら、『ありがとうございます』と心の奥深くで唱え続けるのが、感謝の真祈りの祈り方です。ただひたすら「ありがとうございます」と心に唱え続けるだけで、無限の無限の至福感が湧き上がって来るのです。「ありがとうございます」の一言に絞り込んで、呼吸のように唱え続けるだけでよいのです。自分という感覚が残っている間は、古い自分を与え返しては、新しい自分を受け直すという感じです。受け直しながら同時に与え返しているのです。与え返しながら同時に受け直しているのです。自分の中を神さまの光が、連続して流れ続けているだけです。自分という感覚が消えたら、神さまの光が流れているだけです。「ありがとうございます」の自分は、神さまそのものです。「ありがとうございます」の一言に成り切ればよいのです。感謝の真祈りをただひたすら祈り続けるだけで、神さまと一体化するのです。これ以上の幸せはどこにも無いのです。
人の幸せの程度は、神さまから何を受け取るかによって決まるのです。大きくは虚実の無限の無限のチャンネルの番組の中から、どの番組を選んで受けるかです。小さくは選んだ一つの番組の中から、何を選んで受けるかです。神さまから何を選んで受けるかは、人の自由に委ねられているのです。人は自分の自由意志で、何でも受け取れるのです。だから自分の幸せの程度は、自分自身が責任をもって定めなければならないのです。
実の最高番組を選んで、いつも天照大御神に出会える人が、一番幸せです。その為には常に最高のプラスの言葉を選んで、駆使し続けることが大事なのです。「私は常に神さまの最高表現・天照大御神だけを選び続けます。私は常に天照大御神だけに心を向けて、天照大御神だけを受け入れます。私は常に天照大御神の絶対の愛に抱かれている。天照大御神の完璧な護りの中に居る。すべては人知を遥に超えた、神さまの大いなる計らいの中にある。すべては無限の無限のプラスだけです。ありがとうございます。・・・・・・」
『天照大御神 今ここに 在します』
「一瞬一瞬が、新たなる天照大御神との出会いです。一瞬一瞬が、新たなる無限の無限の天照大御神との出会いです。いつもいつも無限の無限の至福感で一杯です。ありがとうございます。・・・・・・」
『みんな 天照大御神』
「有情非情、同時成道、山川草木国土悉皆成仏。森羅万象ことごとく天照大御神。原子も分子も細胞も、石ころも人体も地球も宇宙も、すべてが天照大御神。みんな新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯!」
「みんな既に悟っている。みんな既に祈っている。みんな既に救われている。みんな無限の無限の幸せで一杯! みんな無限の無限の喜びで一杯! みんな無限の無限の安らぎで一杯! ありがとうございます。ありがとうございます。・・・・・・」
『新たなる全徳の無限の無限の輝きが 無限に無限に一杯!』
「神さまの無限の無限の愛・護り・支え・助けが 無限に無限に一杯! 神さまの無限の無限の讃嘆・愛語・和顔が 無限に無限に一杯! 無限大の外から、全方向から、ところてん式に、滝のように降り注いで来る。過去のすべては清められて、今私は無限に無限に輝いている。ありがとうございます。ありがとうございます。・・・・・・」
「感謝の真祈りに絞り込んで祈る私には、一切の迷いは無い! 感謝の真祈りに生命を捧げて生きる私にとっては、天照大御神がすべてのすべてです。天照大御神 独在です! 天照大御神の他には何もありません。一瞬一瞬が、新たなる無限の無限の天照大御神との出会いだけです。一瞬一瞬新たに新たに、宇宙絶対統一神・入れ子構造の天照大御神と出会うだけです。ありがとうございます。ありがとうございます。・・・・・・」
褒め称え・感謝し・喜ぶことが、幸せへの絶対条件です。
『みんな天照大御神 新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯! ありがとうございます。・・・・・・』
この感謝の真祈りの生き方は、最高に褒め称え・最高に感謝し・最高に喜ぶ生き方です。だからこそ神さまの無限の無限の祝福が、光のシャワーとなって、滝のように降り注ぐのです。
鼎(カナエ)の三脚の例えのように、お互いが責め裁き合うと、不調和になり、引っ繰り返るのです。お互いが褒め称え合うと、調和して、安定するのです。プラスの言葉を使うか、マイナスの言葉を使うか、言葉の使い方が非常に大切なのです。プラスの言葉を使えば、すべてはプラスになってくるのです。マイナスの言葉を使えば、すべてはマイナスになってくるのです。言葉だけで、一言だけで、人の心は大きく左右されるのです。
自分の心にプラスの言葉だけを蓄積した人は、すべてがプラスに見えるのです。すべてをプラスに受けることができるのです。自分の心にマイナスの言葉だけを蓄積した人は、すべてがマイナスに見えるのです。すべてをマイナスに受けてしまうのです。自分の周りの環境に現れた姿はすべて、自分の信念(言葉の集積)を鏡に写して見ているだけです。プラスでもマイナスでも、どちらかに徹底すれば、この道理がよく判るのです。
自分の心がプラスの人は、プラスだけに波が合って、プラスだけに出会えるのです。自分の心がマイナスの人は、マイナスだけに波が合って、マイナスだけに出会えるのです。自分の心に波の合うものとしか出会えないのです。自分の心に波の合わないものとは、決して出会えないのです。これは厳然たる宇宙の法則です。だからプラスに出会うのも、マイナスに出会うのも、自分の心次第なのです。プラスを見て褒め称える人は、沢山のプラスに出会うようになるのです。マイナスを見て責め裁く人は、沢山のマイナスに出会うようになるのです。
この世は映画のフィルムの一コマ一コマを、自分勝手に選んで、それを繋ぎ合わせて、残像として虚像として眺めているような世界です。神さまの映画のフィルムは、無限分の一秒で置き変わってくるのです。だからどんな一コマのフィルムでも選べるのです。無限のコマの中から、一秒間で二十六コマのフィルムを、選んで繋ぎ合わせれば、その残像を繋ぎ合わせた姿が、現実の姿として感じられるのです。すべては自分の言葉通りに、自分の信念の通りに、自分の心に波の合うものを選んで、その虚像を作り上げて、自分の現実の姿として眺めているのです。フィルムのコマの選び方は一人一人全部違うので、現実に感じる姿も一人一人全部違うものなのです。
マイナスの言葉を使い、マイナスに言葉を使えば、すべてがマイナスに見えてくるのです。マイナスの一言が、すべてを傷つけ、破壊し、滅ぼしてゆくのです。マイナスの一言で、極楽も地獄に変貌するのです。マイナスの言葉は、見るだけで、聞くだけで、気枯れるのです。マイナスの言葉を見るだけで、聞くだけで、言うだけで、マイナスを増幅しているのです。人はマイナスの一言で、苦海に沈んでゆくのです。消す力が無かったら、マイナスの言葉に近寄らないことです。
過去は既に消えて無いのに、過去を掴む一言で、思いの心に陥って苦しむのです。感謝の心と思いの心では、何事もすべて正反対に受けるのです。過去を掴んだら、思いの心に陥り、感謝を忘れて、新しい神さまのプレゼントを拒絶するのです。神さまに対しては、無礼千万な態度です。過去を言葉にするだけで、思いの心に陥り、神さまから遠ざかることになるのです。
今を新たに神さまに心を向け続けることが大事なのです。過去を、マイナスを一切相手にしないことです。見ざる・聞かざる・言わざるに徹することです。すべては自分の心に受け入れた通りに成るというのが、厳然たる宇宙の法則です。神さまに心を向けるには、プラスの言葉だけを使うことです。言葉が先で、すべては後から付いて来るのです。マイナスの言葉は、悪魔やサタンの言葉です。マイナスの言葉を使えば、悪魔やサタンに操られるのです。プラスの言葉は、神さまや天使の言葉です。プラスの言葉を使えば、神さまや天使に守られるのです。
プラスの言葉を使えば、プラスに言葉を使えば、すべてがプラスに見えてくるのです。プラスの一言が、すべてを癒し、生かし、輝かせてゆくのです。プラスの一言で、地獄も極楽に変貌するのです。プラスの言葉は、見るだけで、聞くだけで、輝いて来るのです。「ありがとうございます」と祈り続けたら、どんな苦しい思いも必ず消えるのです。すべての移り変わりを、楽天的無常観で眺めることです。
真実とは、神さまの絶対の愛がすべてである、ということです。神さまに心を向け続けることです。神さまだけを相手にすることです。感謝の祈りを、感謝の真祈りを祈り続けることです。「ありがとうございます」の一言に絞り込んで、心に唱え続けていたら、必ず無限の無限の幸せが湧き上がって来るのです。神さまの愛を感じるだけ、神さまのプレゼントを受け取るだけでよいのです。一瞬一瞬が、新たなる無限の無限の神さまとの出会いです。
『天照大御神 今ここに 在します。みんな天照大御神。新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!』
『天照大御神 独在!』これが真実です。一瞬一瞬新たに新たに、入れ子構造の天照大御神が、現前し続けているのです。新たなる無限の無限の天照大御神が、次から次へと現れ続けているのです。
『天照大御神 今ここに 在します! みんな天照大御神! 新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!』
この真実のすがたを、感謝の心で受け続けている限りは、一切の執着は起こらないのです。即ち、思いは消え去って無いのです。一切の苦しみの原因は、過去への執着にあるのです。執着が思いとなって積み重なり、七難八苦の心となるのです。
地球は例えれば、人生学校です。今までの地球は、思いの心を生きる人の為の、思いの小学校だったのです。ところが近い将来に、感謝(光)の高校に格上げされることになったのです。今までは人類の思い(ゴミ)を背負って、耐え続けてくれたのです。でもこれからは思いを振り払い、排除し始めるのです。地球自体が内から輝きを増し、外からは太陽の助けを受けて、思いを消し去ってくるのです。今地球は急速に進化し・変化し続けているのです。人類も同じように進化しなければ、波が合わなくなって、新しい地球には残れないのです。即ち思いの心を捨て去り、感謝の心を生きるようにならなければ、新しい地球に、感謝(光)の高校に入学できないのです。
思い(ゴミの山)の自壊作用が、思いを振り払う天変地異が、次から次へと出て来るのです。そして地球の浄化が進むのです。人類も感謝の心を生きて、思い(ゴミ)と別個にならなければ、思いが消し去られる時に、自分も傷つき苦しむことになるのです。思いの心を生きようとし、思い(ゴミ)を蒔き散らそうとしているのなら、清掃された新しい高校には残れないのです。自分に相応しい、他の星の小学校か中学校へ、転校させられるのです。過去の古いものを消し去り、新しい輝いたものを受け続ける生き方に、大きく変化しなければならないのです。
感謝の真祈りは、思いを消し去り、感謝の自分になる為の、最短コースの特訓です。小学校のレベルから、高校のレベルにまで、自分を引き上げるようなものです。短期間の猛特訓が合否を決定するのです。先ず自分自身が真剣に祈らなければならないのです。自分が真剣に祈れるようになれば、他の人も真剣に祈れるようになるのです。それが他を大きく助けることになるのです。人に自由意志があるように、地球も自由意志があるのです。いつまでもゴミ捨て場のような地球では嫌なのです。ゴミ(思い)を溜めない、光輝いた地球になりたいのです。波長の合うもの同士が集まるというのが法則です。自分の心の波を高めあげてゆくことが、何よりも大事なのです。
神さまの救いの働きのお手伝いをさせていただく為には、「どうかこの生命を神さまの御用にお使い下さい」と全託して、心を神さまに向けて、ただひたすら「ありがとうございます」と心で唱え続けることです。地球人類は過去を掴む思いの集積によって、七難八苦の状態に陥っているのです。だから思いを消し去ることによって、七難八苦は無くなるのです。思いは神さまの光を照射することによって、完全に消滅するのです。お祈りする人は、神さまの光を通すパイプ役です。
過去を言葉にし、過去を掴めば、思いの心に陥るのです。思いは思いを引き寄せて、パイプが思いで詰まるのです。そうすると神さまの光が通りにくくなって、神さまの救いの働きの邪魔をすることになるのです。この世に心を向けるということは、過去を掴むことになるのです。自分の心をこの世に向けている限りは、お祈りにはならないのです。神さまの光を受け取ることができないのです。だからこの世の救いは神さまに委ねて、自分はただひたすらに心を神さまだけに向けて、「ありがとうございます」と感謝し続けることが大事なのです。その時に神さまの光は、自分を通して、大きく必要な所へ照射されるのです。
自分が他を救おうとして、力む必要もなければ、つかむ必要もないのです。神さまが一番良いように救って下さるのです。自分はただパイプ役として、神さまの光を受けるだけで良いのです。無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!の神さまの光を、ただただ感謝して受けるだけで良いのです。それが神さまの救いの働きの、真のお手伝いになるのです。ただひたすら感謝し続けていたら、奇跡が起こるのです。人類救済は神さまこそが、真に願っているからです。
「新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」これに具体的な徳性を当てはめて、神さまに心を向ける為の、中心定めの言葉にすることができるのです。
『新たなる無限の無限の (幸せ) が無限に無限に一杯! ありがとうございます』
(喜び・安らぎ・平和・調和・恵み・栄え・健康・元気・美しさ・素晴らしさ・清らかさ・明るさ・謙虚・素直・自由・パワー・エネルギー・感謝・感動・知恵・・・・・・)
心を神さまに向けて、ただひたすら「ありがとうございます」と感謝し続けるだけで、神さまと一体化するのです。神さまから新たに新たに光のプレゼントを受けさえすれば、過去の一切は必要ないので、すべての過去をつかむ思いは消え去るのです。過去に心を向けることが、過去を言葉にすることが、マイナスの一言を使うことが、自分自身を神さまから遠ざける一番の原因なのです。
神さまの最高番組・天照大御神の世界は、恩返しだけに生きる世界です。一瞬一瞬感受した恩(因の心)(天照大御神)を、即座に与え返す世界です。恩返しだけに生きていたら、最高番組に波長が合って、常に神さまの完璧な護りの中に、自分を置くことができるのです。恩返しを忘れた途端に、自分から護りの外へ出てしまうのです。神さまへの絶対感謝も、恩返しの絶対奉仕になった時に、本物になるのです。
神さまの最高番組の世界は、恩返しの心で与え尽くし合う、順流の流れです。自分のすべてを与え尽くすから、周囲から必要なすべてのものが、豊かに流れ入って来るのです。恩返しだけに生きる世界は、小さい自分が消えて無くなり、自分の与えた以上に大きく与えられ、すべてが大きい自分のものとなるのです。神さまの順流の世界は、感謝だけの世界、恩返しだけの世界、一切の報いを求めることなく与え尽くし合う世界です。
天照大御神としての本当の自分は、常に照らす(与え尽くす)働きをしていないと、内から無限に輝いて来ないのです。だから与え尽くすだけに生きるのです。求める心は微塵も必要としないのです。神さまの絶対の愛を生きるだけです。愛は与え尽くすだけです。相手に何も求めないのです。相手の自由を縛らないのです。恩返しは相手の立場に立つだけです。だから求める心が一切無いのです。
恩返しだけに生きていたら、一切の報いを求めることなく、与え尽くす愛の心を生きていたら、天照大御神に波長が合って、天照大御神は喜んで出て来てくれるのです。地球の天の岩戸開きを加速する為に、私達が仲間として必要としているのは、感謝だけに生きる人、恩返しだけに生きる人、神の愛を生きる人です。感謝の真祈りは恩返しの行です。天照大御神への絶対感謝が、恩返しの絶対奉仕に具体化したのが、感謝の真祈りです。
思いの心・求める心を生きるのは、自分中心の小さな生き方です。必ず逆流を起こし、求める心で取り込んでも、すべて自分の器の中から、抜け出て消えてしまうのです。恩返しの心を生きている時は、神さまからのすべての恵みは、無償のプレゼントであって、借りにはならないのです。しかし恩返しを忘れた途端に、神さまからの恵みは、すべて借りになるのです。何故ならプレゼントとして与えても、お礼を言って受け取ってくれなければ、引き上げるのは当然です。それを黙って自分のものにしたら、泥棒と同じです。だから借りになるのです。利息を付けて返さなければならなくなるのです。恩返しの心が無ければ、お礼の感謝一つも無ければ、借りを増やし続けて、借金地獄に落ちてゆくのです。思いの心をすべて消し切って、感謝の心・恩返しの心を生きなければ、本当の正しい生き方はできないのです。
真に真に絶対感謝に生きるということは、天照大御神としての自分を生きることです。肉体の自分や魂の自分を生きているのは、未だ過去を掴む思いの心を生きているのです。自分の内なる・奥なる・中心なる天照大御神へ、絶対感謝を捧げるということは、一瞬一瞬新たに新たに、天照大御神としての自分を受け直すことなのです。天照大御神への絶対感謝は、恩返しの絶対奉仕になった時に、本物となるのです。与え尽くすだけの生き方に成った時に、自分の内奥から天照大御神が輝き出て来て、真の絶対感謝となるのです。絶対感謝は絶対奉仕と一つになった時が本物なのです。
宇宙の大神さまからの最高のプレゼントを、新たに新たに受け続ける為には、過去のすべてを与え尽くして、空っぽの自分になることが必要です。天照大御神としての自分は、照らす(与え尽くす)働きをすることによって、空っぽの自分になり、内奥から新たなる全徳の無限の無限の輝きを、受け続けることができるのです。絶対感謝と絶対奉仕は、天照大御神としての自分の呼吸です。絶対奉仕で与え尽くしてこそ、絶対感謝で受け尽くせるのです。絶対感謝と絶対奉仕に生きるのが、最高番組の世界の生き方です。
感謝の真祈りを祈りに祈って、天照大御神としての自覚を深めることが、何よりも大事なことなのです。自分のすべてを与え尽くすことによって、内奥から湧き上がる幸せが本物です。他に与え尽くして喜ぶのが、本物の大きい喜びです。他から受けて喜ぶのは、小さい喜びです。与え尽くす生き方に徹し切れば、天照大御神としての自分が、大きく輝き出て来るのです。
すべてに対して責任を持つ総責任者の立場に立って、限界を破り、全力を尽くそうとすれば、天照大御神は力を添えに出て来てくれるのです。天照大御神が輝き出て来れば、思いは消し去られ、感謝の心が湧き上がって来るのです。恩返しだけに、絶対奉仕だけに生きようとすれば、天照大御神と波が合うのです。波さえ合えば、天照大御神が輝き出て来るのです。天照大御神としての自覚は、徹底して与え尽くす生き方を実践することによって、与えてもらえるのです。
天照大御神としての自分は、天の自分です。肉体や魂の自分は、地の自分です。地の自分を天の自分に捧げ尽くせば、天の自分と地の自分は一つにつながるのです。天の自分が地の自分を道具として、自由自在に使いこなせば、すべては調和するのです。その反対に地の自分が主導権を握れば、道具に振り回された状態になって、調和が崩れ去るのです。霊主体従は、一大調和の根本神律です。天の自分はしっかりと地の自分を従わせなければならないのです。地の自分は謙虚に素直に天の自分に従わなければならないのです。
一瞬一瞬新たに新たに、天照大御神を受け直し続けるということが、最高の幸せを永続させる為の絶対条件です。新たに受け直すということを忘れた為に、人は古い心、過去を掴む心、思いの心に陥ってしまったのです。新たに受け直せば、常に新生する光の心、最高に輝いた心でいられるのです。新たな心になれば、古い心は必要ないので、思いはすべて消え去って、青空に太陽が輝いているような心境でいられるのです。
「ありがとうございます」という言葉は、一瞬一瞬新たに新たに、天照大御神を受け直す言葉です。一瞬一瞬新たに新たに、天照大御神を受け直す気持ちで、「ありがとうございます」と真心を込めて、一心に祈り続けるのがよいのです。そうすれば最高に輝いた心になって、すべての思いが消えるのです。
宇宙の大神さまの最高表現・天照大御神は、絶対の愛そのものです。神さまの絶対の愛は、①大犠牲精神の愛、②思いやりの愛、③寛容の愛、④赦しの愛、⑤一体感の愛です。
① すべてのマイナスを身代わりに背負って消し去る愛。
② 必要なものを的確に与え尽くす愛。
③ すべてを光一元に拝み上げてプラスに観る愛。
④ 新たに新たに天照大御神を受け直す愛。
⑤ すべては自分であると一体に感じる愛。
「愛する」ということは、「感謝する」「拝む」ことであり、「恩返しする」「与え尽くす」ことなのです。人は先ず神さまを愛することによって、その愛を本物にしてゆけるのです。神さまを愛することによって、神さまとの心の交流・融合・一体化が成され、神さまの愛を自分のものにできるのです。神さまの愛をいくら求めても、求める心では、神さまの愛を感受できないのです。人は神さまを愛することによって、神さまの愛を感受できるのです。だから常に常に絶えず絶えず、「神さま 愛しています。無限に無限に愛しています。」と積極的に神さまを愛する言葉を駆使して、呼びかけることが大切です。そうすれば必ず、神さまの無限の無限の愛を実感できるようになるのです。
この世のすべての愛は、神さまの愛にまで高め上げてこそ、本物に成るのです。恋愛・夫婦愛・親子愛・兄弟愛・友愛・師弟愛・人類愛・生類愛・博愛等々、すべての愛は、一切の報いを求めない、純粋な与え尽くす愛になった時が本物です。「愛」は与え尽くすだけです。相手に何も求めないのです。相手の自由を決して縛らないのです。「思いの心」は求める心であり、相手の自由を縛る心です。「愛」は光です。愛することによって、思いの闇は消えてゆくのです。大きく輝いた愛は本物になるのです。人は神さまの愛の光を感受して、幸せな心になれるのです。他を幸せにしたければ、神さまの光のよく通る、思いの無い自分に、輝いた自分になることです。