絶対感謝を捧げ、恩返しの絶対奉仕に生きる時のみ、思いの心に陥らずに済むのです。感謝を忘れ、恩返しを忘れたら、必然的に思いの心に、求める心に陥ってゆくものです。思いの心はイコール七難八苦の心です。思いに生きようとすれば、必ず七難八苦が影のように付き纏って来るのです。思い通りになって喜んでいたら、大きい借りを作っているのです。必ずその反動として、借りを返す為の、大きな苦痛を味わうことになるものです。思いの心を生きるのが、思い通りに生きようとするのが、先ず一番の大きい間違いなのです。間違った生き方のままでは、永遠に七難八苦から逃れられないのです。
思い通りにならない苦しみから逃れる為には、思い通りに成りさえすれば、解決すると思っているのは、大きな間違いです。思い通りになっても、その思いは益々エスカレートして、思い通りにならない苦しみが、どんどん大きくなるだけです。思いの心を生きようとしている限りは、どんなにあがいても、七難八苦から逃れることは不可能です。感謝と恩返しの心に戻らない限りは、七難八苦からは永遠に解放されないのです。
少しでも感謝の気持ちがあったら、少しでも恩返しの気持ちがあったら、自分の縁者が自分の思いを背負って、身代わりに地獄の苦痛を受けてくれていることに、気付かなければならないのです。そしてその縁者の苦痛を軽くする為に、一日も早くその思いを消し去ろうとしなければならないのです。全責任をもって、縁者の苦痛を軽くする為に、感謝の真祈りを祈らなければならないのです。縁者を救う為に真剣に祈るということは、結局は自分の思いを消し去って、自分の番組を上げてゆく為ということになるのです。
自分さえ良ければ、自分さえ楽になればと、自分中心の生き方では、感謝が深くなる道理は無いのです。本心の自分・本源の自分は、全責任をもって、全体を支える大きな働きをしようとするのです。縁者の苦痛を自分が率先して背負い、感謝の真祈りを祈りに祈って、すべての問題を解決しようとするのです。だからこそ感謝の心が内から無限に湧き出て来て、感謝の深い自分になってゆくのです。無限に感謝の深い、絶対感謝の自分に戻る為には、3K(危険な・きつい・汚い)の仕事を、喜び勇んですることです。
真の3Kの働きとは、地獄の縁者の身代わりになることです。無限の思いを背負えば、悶絶死する位危険です。地獄の苦痛を身に受けたら、七転八倒する位きついのです。地獄の汚れを取る為には、高温の炉で焼かれなければならないのです。この覚悟さえできたら、感謝の真祈りを真剣に祈れるのです。すべてを神さまにお任せして、感謝一筋・絶対感謝一筋の自分に成れるのです。思いの心でする感謝は、黒雲が白雲に変化しただけです。真の感謝は、光の心に、光源の心に戻ることです。絶対感謝は光源の心の感謝です。
自分の思い通りに、願い通りに生きようとするだけで、周囲に大きなマイナスを、撒き散らしているのです。思いの心を生きるということは、周囲に思いを撒き散らしているのです。マイナスの思いだと、毒ガスと同じです。求める心を一寸起こすだけで、不平不満不足の心を撒き散らし、大きな迷惑をかけているのです。一日も早く、思いの無い自分にならなければ、周囲に大きなマイナスを、与え続けることになるのです。
無意識に使っている様々な言葉が、大きく思いを積み重ねているのです。積極的にプラスの言葉を使い、恩返しの絶対奉仕の心を起こさなければ、知らず知らずの内に、マイナスの言葉を使い、大きく思いを積み重ねてしまうのです。恩返しの絶対奉仕の働きになってこそ、思いを大きく消し去ってもらえるのです。同時に神さまの無限のプラスを、周囲に与えることができるのです。何も悪いことはしていないのにという程度では、大きなマイナスを与え続けているのです。
求める心・思いの心を前面に出せば、その心を鏡に写せば、大きなマイナスが返って来るのは当然です。求める心を起こせば、番組はどんどん下がって、マイナスが殖えて来るのです。過去に心に蓄積して来た言葉が、今現実化して現れ続けているのです。心に積み重ねた言葉は、必ずすべてが形に現れて、消え去ろうとするのです。これから心に積み重ねてゆく言葉は、未来のいつか、必ず現実化して来るのです。
求める心というのは、不平不満不足の心なので、大きくマイナスを積み重ねることになるのです。心に蓄積して来た無限のマイナスの言葉は、順番に七難八苦の姿となって、現れては消えてゆくのです。心の中に在る間に消し去る為には、神さまの光を大きく受ける祈りが、無限の無限のプラスの言葉が必要です。今現実にどんなマイナスの姿が現れ続けていても、それとは無関係に、無限の無限のプラスの言葉を駆使し続けることが、運命改善の一番の方法です。
無限の無限のプラスの言葉を駆使し続け、恩返しの絶対奉仕に生き続けることだけが、最高番組を現実化する唯一の方法です。求める心を起こし、不平不満不足を言ったら、マイナスは大きく増えるだけです。神さまへの恩返しの絶対奉仕の生き方だけが、本当の正しい生き方です。それが自分の確固不動の信念にまでならなければ、未だ最高番組には波が合わないのです。何をしていても自由なのだと言っていたら、そういう信念に成って、好き勝手なことをする、低い番組に波が合ってゆくのです。最高番組に波を合わせ、それを現実化する為には、『神さまへの恩返しの絶対奉仕の生き方だけが、本当の自由自在な生き方です』と、言葉を正しく使うことが大事なのです。
「ありがとうございます」という祈り言葉を、心の奥深くで唱え続けることによって、感謝は必ず大きく深くなってゆくのです。しかしその深まり方は、人それぞれに千差万別なのです。神さまの助けは常に平等に降り注がれていても、その受け方に大きな違いがあるからです。本心の目覚めの程度や、思いの量と質の違いによって、神さまの助けの受け入れ方が、種々様々なのです。
感謝が深くなるということは、神さまの絶対の愛に、無限の大御恩に気付くということです。気付きが、感謝の必須条件です。気付けば、感謝が湧き上がるのです。そして本当に有り難ければ、恩返しに生きる筈です。本当に感謝が深くなれば、絶対奉仕に生きる筈です、絶対奉仕に生きている筈です。だから神さまへの恩返しの絶対奉仕に、どれだけ真剣に生きているかによって、感謝の深さの程度が判別できるのです。恩返しに、絶対奉仕に生きてこそ、感謝は本物に成るのです。
思いというのは、霧や煙や雲のようなものです。思いが一杯というのは、濃霧や黒煙や黒雲の状態です。視界が〇になって、何も見えないので、気付きが無いのです。思いが消えたら、視界が開けて、気付きが殖えて来るのです。心に溜まった思いを、どうすれば早く消し去れるか、真剣に取り組む必要があるのです。思いの心で思いを消し去ることは、煙で煙を消そうとするのと同じで、不可能なのです。どんな思いも、神さまに預けることによって、消し去ってもらえるのです。
神さまへの恩返しに、絶対奉仕に生きることによって、自分の思いを大きく、神さまに預けることができるのです。神さまに預けた思いは、完全に消し去ってもらえるのです。自分の働いた分を他に与え尽くして、自分の思いを他に預ける方法は、消し去ってもらえるかどうかは未知数です。思いを消し去る力が無ければ、思いを身代わりに背負ってもらうだけです。どんな思いも神さまの光に触れて、消え去ってゆくのです。恩返しに、絶対奉仕に生きて、思いを神さまに預けて、消し去ってもらう方法と、祈りに祈って、神さまの光を受けて、消し去る方法とがあるのです。
自分で思いを消し去るのは、至難の業です。他力にすがって、思いを消し去ってもらう方法が、恩返しの生き方です。本源の自分を呼び出し、思いを消し去ってもらう方法が、絶対力の生き方です。絶対奉仕だけに生きて、本源の自分に波を合わせ、本源の自分を引き出すのです。本源の自分が内から輝き出て来たら、すべての思いは速やかに消え去るのです。自分を神さまの御用に使ってもらうのが、神さまが内から輝き出て来て、大きく思いを消し去って下さる、一番の方法です。
思いの世界から感謝の世界へ抜け出る一番の方法は、神さまへの恩返しの絶対奉仕に生きることです。神さまへの恩返しに生きれば、思いを消し去ってもらえるのです。そして光の感謝の心を与えてもらえるのです。恩返しの生き方を徹底すれば、神さまへの絶対奉仕となるのです。一瞬一瞬古い自分を捧げ尽くして、新しい自分に置き換えてもらう生き方です。
神さまの絶対の愛は、宇宙の法則となって現れているのです。法則は永遠に不変です。神さまの自由自在な心が、その自由を完全に捧げ尽くして、絶対奉仕に生きているのが、宇宙の法則なのです。大自然のすべては、神さまの絶対の愛を表現しているのです。石ころ一個も、宇宙を自由に飛び回りたいのです。その自由を完全に捧げ尽くして、絶対奉仕に生きて、じっと静止しているのです。だから人は大地の上を歩けるのです。石ころが自分勝手な自由を主張したら、無限の石つぶてが飛び交うことになるのです。それでは人は瞬時も生きてゆけないのです。
宇宙のすべては、絶対奉仕に生きているのです。自分勝手な自由を、完全に捨て切っているのです。それなのに人だけが、自分勝手な自由を主張しているのは、恥ずかしい限りです。太陽も規則正しく運行してくれるから、人はその愛の光を受け取ることができるのです。太陽が自分勝手な動きをしたら、誰もその愛の光を受け取れないのです。人も他と約束して、その約束を守らなかったら、どんな小さな愛の行為も、受け取ってもらえないのです。
真の自由は、恩返しの絶対奉仕の中に在るのです。神さまの絶対の愛は、絶対奉仕の姿となって、最高の自由を与え続けて下さっているのです。自分自身が同じように、絶対奉仕に生きることによって、最高の自由を受け取ることができるのです。与えたものが与え返されるのです。波の合うものを受け取れるのです。だからこそ恩返しの絶対奉仕に生きるしか、道は無いのです。自分勝手な自由を、微塵も主張できないのです。
神さまは真の自由の本源・本体です。その神さまが自分の自由を完全に捧げ尽くして、絶対奉仕に生きているのです。ここにしか真の自由は無いのだよと、そのお手本を示して下さっているのです。人が他からの縛りを感じるのは、自分の働きが余りにも小さいからなのです。神さまのように無限の働きを与え尽くしていたら、誰からも強制されないのです。すべて自分の自由に与え尽くしてゆけるのです。人も少なくとも3人前以上の働きをすれば、神さまのように、自分の自由意志を先行させ、誰からも縛られることは無いのです。そこにこそ真の自由があるのです。
人は皆誰一人の例外も無く、神さまから、最高のプレゼントを与えられているのです。それは真の自由と真の平等です。このことに気付いた人が、真の幸せ者なのです。真の平等とは、神さまから、天照大御神としての自分を、虚実の無限の無限のチャンネルの番組を、一瞬一瞬新たに新たに、与えられているということです。真の自由とは、自分の自由意志を発揮して、どの番組でも、自由自在に味わえるということです。
神さまの絶対の愛を感受し、自由自在な自分を自覚すれば、常に最高の幸せを味わい続けることができるのです。この世の人も、自分が自由に選んだテレビ番組を、楽しんでいるのだという自覚があれば、どんな番組を見ていても、決して苦しむことは無いのです。そのように天照大御神としての自分が、この世という一つの番組を選んで、楽しんでいるのだと気付けば、どんな番組でも楽しく味わうことができるのです。
先ずは天照大御神としての自分を、一瞬一瞬新たに新たに、受け直すことです。そうすれば自由自在な自分を生きることができるのです。そして無限の無限のチャンネルの番組の中から、どんな番組でも自由に選んで、自在に味わうことができるのです。天照大御神としての本源の自分を忘れたら、自由自在な自分を見失い、番組に囚われ、番組の中に嵌まり込んで、不自由な自分を掴んでしまうのです。自由な自分を忘れるから、自由が無いと錯覚するのです。不覚にも我を忘れた状態に陥っているだけのことなのです。
この世の人も、天体望遠鏡を使って大宇宙を観測したり、顕微鏡を使ってミクロの世界を観察できるのです。どちらも楽しんでいる自分が自覚できていたら、幸せは決して崩れないのです。もし仮に楽しんでいる内に我を忘れてしまったら、見ている世界の姿に囚われて、本来幸せな自分を見失って、不幸な自分と錯覚する可能性は有るのです。移り変わるすべての姿を、神さまから新生して来る、光の流れとして、サラサラと眺められる自分であれば、執着して囚われることは無いのです。その為には、新たに受け直せる感謝の自分を、決して忘れてはならないのです。
どんな番組でも、自分の自由意志で選んだものであれば、楽しめるのです。地獄番組でも、自分の自由意志で選べば、一つの番組として、楽しく眺められるのです。番組の違いによって、幸せが左右されるのでは無いのです。自分が自由意志を発揮しているかどうかによって、幸せは左右されるのです。常に最高の自由意志を発揮できる自分は、天照大御神としての本源の自分です。だから幸せが絶対に崩れないのです。感謝の真祈りを祈り続けるのは、この自由自在な自分を自覚する為なのです。
『天照大御神 今ここに 在します。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます』
感謝を忘れ、恩返しを忘れた時から、古い心・思いの心が積み重ねられてゆくのです。過去に積み重ねた思いは、無限に大きいものです。感謝を忘れたら、神さまからの新しいプレゼントを受け損なうのです。恩返しを忘れたら、神さまに思いを消し去ってもらえないのです。古いものと新しいものとの交換ができないから、必要なものも手に入らなくなるのです。過去を掴む思いの心は、必然的に求める心になるのは、自然の道理です。求める心は、思い通りにならない、七難八苦の心に陥ってゆくのです。七難八苦から解放される為には、すべての思いを消し切らなければならないのです。
神さまからの直接の助けは、どれだけ受けても、思いはくっついて来ないのです。人からの助けには、思いが一緒にくっついて来るのです。他人からの助けを受けて喜んでいたら、思いを一杯背負うことになるのです。他人を助けて喜んでいたら、思いは軽減されてゆくのです。他人からのどんな助けも、借り即ち思いとなって、心に蓄積されてゆくのです。借りは利息が付いて殖え続けるのです。早く返済しなければ、どんどん大きくなるのです。心に思いがどんどん蓄積すると、黒雲のような心になるのです。それが七難八苦の心です。
過去に積み重ねた借り(思い)は、無限に大きいものです。死に物狂いで働いても、その利息すら返せないのです。どうすれば救われるのか? 借金返しの低い番組から、恩返しの高い番組へ、番組を変えてゆくことです。恩返しに生きようとすれば、神さまの護りが大きくなるのです。同じように働いていても、借金返しの為に働くのと、恩返しの為に働くのとでは、雲泥の違いが生ずるのです。恩返しの為だけに働き続けたら、神さまの助けを受けて、借り(思い)はどんどん消えてゆくのです。
更には借り(思い)の無い自分になる為の一番の方法は、神さまのお手伝いに生きることです。この生命を神さまの御用にお使い下さいと投げ出すことです。神さまの御用に使ってもらえたら、大きく徳(貯金)を積むことができるのです。徳(貯金)も利息が付いて、どんどん大きく殖え続けるのです。そして借り(思い)を大きく消し去ってくれるのです。神さまの願いを生き、神さまの手足となって、粉骨砕身して働くことです。
神さまの御用に使ってもらえたら、内から感謝の心が湧き上がって来るのです。湧き上がって来る感謝が、真の感謝です。神さまへの絶対奉仕に生きる時に、真の感謝が湧き上がって来るのです。絶対奉仕に生きる時に、感謝は本物に成るのです。思い(求める心)の感謝は、真の感謝では無いのです。絶対奉仕(与える心)の感謝が、真の感謝です。我の心・我の願いを捨て切らないと、神さまの御用には使ってもらえないのです。
「ありがとうございます」の言葉に力が有るのでは無いのです。「ありがとうございます」の祈りに力が在るのです。時間を無限分の一秒にまで絞り込んで、真の神さまの働きのすべてを受け切った、感謝の真祈りに無限の無限の偉大な力が在るのです。無限の昔から、感謝の真祈りを祈り続け、絶対感謝の道を歩んで来た、無限の神々の祈りに力が在るのです。これらの無限の神々の祈りの力を総結集した、本物の感謝の真祈りに支えられているからこそ、この世の感謝の真祈りにも、絶大無比の偉大な力が降り注ぐのです。
感謝の真祈りによる絶対奉仕こそは、真の絶対感謝の道なのです。自分のすべてを捧げ尽くして、真の神さまへ弟子入りしたことになるのです。過去のすべてを、この世のすべてを、自分のすべてを捨て切らなければ、真実には感謝の真祈りは祈れないからです。神さまと自分との間の真の師弟愛は、この世のどんな愛よりも、無限に大きく無限に深い、永遠不滅の愛なのです。神さまの全力で総力で、護り・支え・助けてくれる愛なのです。絶対感謝の道へ入門し、真の神さまへ弟子入りするだけで、無限の兄弟子にあたる神々から、無限に偉大な護りを受けることができるのです。
絶対感謝の世界は、無限の無限の讃嘆・愛語・和顔が無限に無限に一杯!です。絶対感謝の世界は、無限の無限の愛・護り・支え・助けが無限に無限に一杯!です。絶対感謝の世界は、無限のすべての段階で、天の岩戸は開かれているのです。絶対感謝の世界は、一瞬一瞬が天照大御神との出会いです。ただ天照大御神の感受の仕方には、浅い・小さい・低い受け方から、深い・大きい・高い受け方まで、無限の段階の受け方があるのです。今の地球における絶対感謝の世界は、まだまだ浅い・小さい・低い段階です。
地球における最後の審判は目前に迫っているのです。各自の自由意志をハッキリさせて来るのです。自分の選んだ世界へ振り分けられてゆくのです。自分とそっくりさんばかりの世界へ行くことになるのです。無限の選択肢を与えてくれた、今までのような世界は消えて無くなるのです。後には秩序整然と振り分けられた、厳然と区分けされた世界になるのです。自らの自由意志で、絶対感謝の道を選び、絞り込んで来れば、必ず無限の護りを受けて、入門し弟子入りできるのです。思いに生きる者は、思いに生きようとする者は、絶対感謝の道から遠ざかってゆくのは、自然の成り行きです。
今地球は絶対感謝への門戸が開かれ、天の岩戸が開かれ、『ありがとうございます』の祈りの光が、大きく降り注がれているのです。『ありがとうございます』の祈り言葉を選ぶ者は、大きく助けてもらえるのです。自らの自由意志で、感謝の真祈りを選び実行する者は、必ず真の救われを体感体得できるのです。
何事もすべて常に自分との戦いです。本物の自分と偽物の自分との戦いです。本心の自分と業想念の自分との戦いです。光の自分と闇の自分との戦いです。プラスの自分とマイナスの自分との戦いです。感謝の心の自分と思いの心の自分との戦いです。愛の心の自分と欲の心の自分との戦いです。与える心の自分と求める心の自分との戦いです。努力する自分と怠ける自分との戦いです。決して他との戦いでは無いのです。
本物の自分・本心の自分が勝てば、プラスの姿をとるのです。偽物の自分・思いの自分が勝てば、マイナスの姿をとるのです。だから常に本物の自分が、偽物の自分に打ち勝って、常勝不敗の道を歩まなければならないのです。本物の自分が勝てば、進歩・向上・発展・成功・勝利・栄光の姿となって現れるのです。すべて自分自身の心の状態が、外に環境に映し出されるのです。常に環境は自分の心の影なのです。環境は自分の心を写す鏡なのです。
絶対感謝の道を歩んで、真の神さまの助けを受け続けたら、本物の自分・本心の自分は常勝不敗の道を歩めるのです。感謝の真祈りを祈りに祈って、古い偽物の自分を消し切って、新しい本物の自分を受け直せば良いのです。本物の自分が偽物の自分に打ち勝った程度に応じて、より高い番組になってゆくのです。本物の自分が偽物の自分に負けた程度に応じて、より低い番組になってゆくのです。
高い番組・感謝の世界の幸せは、真の神さまに出会うことと、神さまからのプレゼントを受けることです。低い番組・思いの世界の幸せは、五欲(食欲・色欲・睡眠欲・財産欲・名誉欲)の満足です。真の神さまに出会えたら、何が起こっても、どんな状態になっても、常に無限の無限の幸せで一杯!です。感謝の自分は、すべてをプラスにプラスに受けてゆけるのです。思いの心・五欲の心は、満足させても満足させても、どんどん求める心が強くなって来るのです。止まるところを知らないので、必ず満たされない大きな苦しみを味わうことになるのです。
周囲に見えるどんなマイナスも、自分自身の思いの姿・欲の姿です。心が闇に向いている時は、周りのマイナスの姿は、自分の思いが鏡に写し出された姿です。心が光源に向いている時は、周りのマイナスの姿は、自分の思いの色眼鏡を通して見ている、自分の思いの色眼鏡の汚れの姿です。自分自身のマイナスなら、自分自身が責任をもって、消し去る以外に方法は無いのです。自分自身のマイナスだから、自分自身で消し去ることができるのです。自分自身のマイナスだから、自分自身が消し去らなければ、そのマイナスは永遠に消え去ることは無いのです。他に責任を転嫁していては、大損するのは自分です。
真理とは神さまの働き、神さまの光です。真理は思いを消し、縛りを解き、自由にしてくれるのです。真理の言葉とは、真理を指し示すものであって、真理そのものでは無いのです。真理には無限の力が在るのです。真理は生かす力・幸せにする力・自由にする力です。真理は神さまの言葉、真理の言葉は人の言葉です。人の言葉には優劣があるのです。真理を受け易い言葉が優れた言葉です。
祈りと祈り言葉の関係も同じです。祈りに無限の力が在るのです。祈り言葉には力は無いのです。祈り言葉を使って、神さまの祈りを感受したときに、祈りの力が発揮されるのです。祈り言葉には優劣が有るのです。プラスの言葉は、祈りに波が合い易いのです。マイナスの言葉は、祈りには波が合わないのです。言葉の違いによって、祈りの効果が違ってくるのです。
どんな言葉にも必ず、言葉の縛りが付きまとうのです。真理にまで心を向けなければ、神さまの光を受けなければ、その言葉の縛りは消えないのです。どんな真理の言葉でも、言葉に囚われると、その言葉の縛りで雁字搦めになるのです。真理に心を向けることが大事なのです。真理の言葉やそれを説く人に心を向ける必要は無いのです。逆に真理の言葉や人だけに心を向けていたら、真理そのものに心を向けていないことになるのです。神さまの働きの邪魔をしないように、真理の言葉も人も、謙虚に謙虚に後ろに退かなければならないのです。
大自然の姿で例えれば、真の神さまは地球の大気圏の外の、太陽のような星が無限に一杯の姿です。無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!というのが、真の神さまの本当の姿です。絶対感謝の世界というのは、地球の大気圏の外へ抜け出て、すべての星を太陽のように感じ取れる場に立った世界です。感謝の世界というのは、地球の大気圏で乱反射して生じた、擬似光体としての太陽を仰ぎ見て、雲の上へ抜け出て、光を一杯感受している世界です。絶対感謝になれば、本物を大きく把握するのです。それまでの感謝は、偽物を小さく把握しているに過ぎないのです。雲の世界や雲の下の世界は、思いの世界です。僅かな光と反射光を感じ取る世界です。自分の意識をどこに置いて、どれだけの光を感受するか、人それぞれに雲泥の違い・天地懸隔の違いが有るのです。
過去を掴み、部分を掴み、小さくなっている自分は、思いの心の自分です。地上の姿に一喜一憂しているのは、思いの心の自分です。すべての思いを消し切り、雲の上に抜け出て、太陽の光だけを感受してこそ、感謝に生きる自分です。更には地球の大気圏を抜け出て、宇宙大の大きい自分になってこそ、絶対感謝に生きる自分です。
1.天照大御神 今ここに 在します! ありがとうございます。
2.無限の無限の輝きが 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
3.無限の無限のプラスが 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
4.無限の無限の感謝が 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
5.無限の無限の調和が 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
6.無限の無限の幸せが 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
7.無限の無限の喜びが 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
8.無限の無限の安らぎが 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
9.無限の無限の愛・護りが 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
10.無限の無限の知恵・導きが 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
11.無限の無限の健康・活力が 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
12.無限の無限の恵み・繁栄が 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
13.無限の無限の讃嘆・愛語・和願が 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
14.無限の無限の成功・勝利・栄光が 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
15.無限の無限の発明・発見が 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
16.無限の無限の美しさ・素晴らしさが 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
17.無限の無限の明るさ・朗らかさが 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
18.無限の無限の自由・自在が 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
19.無限の無限の能力・パワー・働きが 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
20.無限の無限の前進・創造・建設が 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
21.無限の無限の若さ・エネルギーが 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
22.無限の無限の感激・感動・感涙が 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
23.無限の無限の神秘・荘厳・尊厳が 無限に無限に一杯! ありがとうございます。
真の神さまに心を向け続けて、新たなる全徳の無限の無限の輝きを無限に無限に一杯! 一瞬一瞬実に着実に受け直して、真の神さまと一体化する道です。どこまでもどこまでも無限に無限に大きく・深く・高く受け直してゆく道です。時間を無限分の一秒にまで絞り込んで、空間を無限に無限に拡大して受ける道です。
神さまに自分の命を捧げ尽くしてゆく人が、神さまへの絶対奉仕に生きる人が、過去の無限の借り・マイナス・思いを、神さまに肩代わりしてもらって、大きく消し去ってもらえるのです。何の代償も支払わないで、、神さまの無限の助けを受け取ることはできないのです。ちょっとお賽銭をあげるだけでは、ちょっと御利益をもらえるだけです。自分の与えた程度に応じて、与え返されるのです。自分の与えた程度に比例して、受け取ることができるのです。これは宇宙の厳然たる法則です。自分の一番大事な命を捧げ尽くしてゆくからこそ、神さまの大きな助けを受け取ることができるのです。自分のすべてを捧げ尽くして、神さまの為だけに生き続けたら、既に与えられている、神さまの無限の護りを受け取れる自分に成るのです。実行してみれば良く判るのです。
絶対奉仕で古い自分をお返しし、絶対感謝で新しい自分を受け直すのです。この真の悟りへの最短コース、一番の易行道、神ながらの大道は、「ありがとうございます」の祈りの神さまが、無限の昔から行じて来た道、宇宙大の光の螺旋階段の道なのです。他の無限のどの道よりも大きく輝いているのです。この絶対感謝の道を歩めるということは、一番の最高の幸せなのです。他と比較してみれば、良く判ることです。この道を歩んでいる無限の無限の神々は、その有り難さを噛みしめながら、真の神さまに毎日毎日どんどん近づいているのです。
この光の螺旋階段の一番下には、光の待合所があるのです。ここへ入門する為の資格・条件というのは、感謝一筋・恩返し一筋の自分に成ることです。すべての思いを消し去ってもらえば成れるのです。少しでも思いが残っていたら、入門できないのです。自分の命を神さまに捧げ尽くし、毎日毎日死に切る練習をすれば、すべての思いを短期間に消し去ってもらえるのです。
感謝の真祈りは、すべての思いを消し去ってもらう為の、恩返しの絶対奉仕の行として用意されているのです。これをしっかりと日常生活の中に組み込むと良いのです。この感謝の真祈りを淡々と祈り続けることによって、自分の命を神さまに捧げ尽くしていることになるのです。それによって自分も縁者も、思いを大きく消し去ってもらえるのです。感謝の真祈りは、思いを大きく消し去ってもらう為の、最後の切り札なのです。そしてゴマ木に記録してゆけば、日々絶対奉仕に生きているという、実感も湧き出て来るのです。毎日毎日を思いを大きく消し去ってもらえるように、真剣に命懸けで生きることが大事なのです。そして一日も早く思いの無い自分に成ることが、神さまへの一番の恩返しになるのです。感謝一筋・絶対感謝一筋の自分が、最も幸せな自分です。
神さまのプレゼントを上手に受け続ける秘訣は、必ず古いプレゼントをお返しして、新しいプレゼントを受け取ることです。呼吸の原理と同じなのです。胸一杯に吸い込んだ空気を全部吐き出して、新しい空気を吸い込めば、本当に生かされているという、幸せ一杯の気持ちになれるようなものです。常に古いものと新しいものを交換していただけば、古いものを貯め込まなくて済むのです。新しいプレゼントを最高に味わう為には、古いプレゼントは邪魔になるのです。古いプレゼントは全部お返しして、新しいプレゼントを一つだけ残しておくのが良いのです。
過去に無限に貯め込んでしまった古いプレゼントは、一度では返せないのです。無限のゴミの山を引き取って下さいと、どんなに頼んでも、断られるだけです。少しずつでも引き取ってもらえる方法を、考え出さなければならないのです。自分にとって一番大事なものを、恩返しに捧げますと言えば、神さまも喜んで受け取って下さる筈です。その時に一緒に、古いプレゼントを上手にくっつけてお返しすれば、古いものをどんどん減らしてゆけるのです。神さまへの恩返しの絶対奉仕は、古いものを神さまに上手にお返しして、消し去ってもらう唯一無二の方法です。心に貯めた古いものを、どんどん減らしてゆけば、新しいプレゼントを沢山受け取れるようになるのです。
人は言葉によって番組選びをしているのです。過去に心に貯め込んだ、プラス・マイナスの種々様々な言葉は、番組選びの予約となって残っているのです。過去のどんな言葉も・どんな思いも・どんなプレゼントも、神さまにお返ししてこそ、消し去ってもらえるのです。神さまへの感謝と恩返しを忘れた期間は、古いものを全部貯め込んで来たのです。新しいプラスの言葉を幾ら加え続けても、新しい番組に置き変わらない原因は、過去に貯め込んだ古い予約の言葉が、働いているからなのです。古い予約の言葉を全部消し切ったら、新しい予約の言葉が働くようになるのです。新しいプラスの言葉を加え続けるだけでは、番組の切り替えに時間がかかるのです。早く新しい番組に切り換える為には、古い番組の予約を取り消すことの方がより重要なのです。
感謝と恩返し、絶対感謝と絶対奉仕が、本当に一つになったときに、新しい番組を現実化する、大きい力を発揮することになるのです。過去の言葉の集積、思いを消し去ってもらうということの大切さに気付いたら、神さまへの恩返しの絶対奉仕に絞り込んだ生き方ができるのです。思い(ゴミ・マイナス・借り)を消し去ってもらえる有り難さがこみ上げて来るようになれば、感謝一筋・恩返し一筋の生き方になっているのです。感謝一筋・恩返し一筋に生きることの有り難さは、実行した人のみが味わえるのです。
感謝一筋に生きるのは、マイナスの一言を使わない為です。恩返しの絶対奉仕に生きるのは、思いを消し去ってもらう為です。真の神さまに心を向け続けて、感謝一筋に生き続けたら、大きなプラスの光を浴び続けることができるのです。そこにはマイナスの言葉は近寄って来れないのです。「この命を神さまに捧げます」というのは、古い自分を死に切り、消し切る為です。「この命を神さまの御用にお使い下さい」というのは、無条件でハイと従う為です。過去の自分を掴んで、条件をつけて、言い訳をしているのは、神さまに古い自分を預けることにならないのです。神さまに預けた分だけ、古い自分を消し去ってもらえるのです。神さまへの恩返しの絶対奉仕に生き続けたら、着実に・確実に、過去に積み重ねた思いを消し続けてもらえるのです。
思いというのは、過去・過去世における借り・借金・負債なのです。自分の働き以上にもらった分は、他からの借り・即ち思いなのです。他人のお世話になった分は、他からの借り、即ち思いなのです。借りの多い人ほど、心に思いを一杯背負い込んでいるのです。借金は放置すれば、利息が付いて殖え続けるのです。思いも同じです。救済の神々が、思いを引き受けて消し去って下さるのは、高利の借金の肩代わりと同じで、大犠牲を払う大変なことなのです。何度も繰り返したら、自分が破産して、思いの奴隷に陥ってしまうのです。無限の徳(貯金)を持った神さまでも、救いの対象を厳選してくるのです。救ってもらう側も、感謝一筋に恩返しの絶対奉仕に生きようとしなければ、救いの対象に選んでもらえる確率が少なくなってゆくのです。救う側にも選ぶ権利があるのです。謙虚な人、素直な人、真剣な人ほど、救いの対象に選んでもらい易いのです。
思いの泥沼には、思いの亡者が無限に一杯、ひしめきあっているのです。一人でも多く引きずり込もうと、足を引っ張りに来るのです。折角救済の神々の涙ぐましい働きによって、思いの泥沼から引き上げてもらっても、今度は自分の自由意志を発揮して、思いの雲の世界から感謝の光の世界へ飛び込もうとしなければ、一寸の油断で思いの泥沼に転落してしまうのです。救済の神々の応援のある間だけが、救われの唯一のチャンスなのです。一気呵成に短期間に、すべての力を結集して、雲の上へ抜け出なければならないのです。それは思いの心・求める心をすべて捨て切って、感謝一筋・恩返し一筋の心になることです。自分中心の求める心を生きていては、思いの世界から抜け出ることは不可能です。自分の立場を捨て切って、恩返しだけに生きる心になれば、光の世界・思いの雲の上へ抜け出た心です。高い神さまの応援の時間は短いのです。短時間で一気に勝負を決着をつけなければ、高い神さまの応援は無くなってしまうのです。
表現の世界を大別すると、正神界と邪神界に分けられるのです。正神界はプラスの言葉を積み重ねて、プラスのものを建設してゆく世界です。邪神界はマイナスの言葉を積み重ねて、プラスのものを破壊してゆく世界です。正神界は光輝く世界、感謝一筋・恩返し一筋の世界です。邪神界は七難八苦の世界、利己的な思い・強欲な願いの世界、すべてを破壊し滅ぼして喜ぶ世界です。プラスの言葉だけを駆使する人は、正神界の住人となり、マイナスの言葉だけを駆使する人は、邪神界の住人になってゆくのです。プラスの善きものをどんどん生み出して喜ぶ世界と、すべてを破壊し滅ぼして喜ぶ世界があるのです。
人は審神(サニワ)の能力を備えなければ、騙されていても気付かないものです。一人の肉体人間の働きを見る場合でも、その背後にどのような神々が働きかけているかを、見抜かなければならないのです。心の波に感応して働きかけてくるのです。五欲の心を生きているときは、邪神界の神々に巧妙に操られているものです。求める心を起こしたときに、邪神の餌食になりやすいのです。感謝一筋・恩返し一筋の心になれば、求める心が無いので、邪神に操られることは絶対に無いのです。正神界からの助け・護りを受け続ける秘訣は、恩返し一筋に生きることなのです。
他界を見る霊能力があっても、騙されることが多いのです。邪神界の頭目のような悪魔やサタンは、化けるのも上手なのです。神々しい神さまの姿に化けて、尤もらしい教えを説き、病気直し等の奇跡を一杯見せて、正しいと思い込ませて、最後にどんでん返しをくらわせてくるのです。欲の心・求める心が少しでも有ると、騙されていても気付かないのです。正神界の神々の働きは、すべての思いを消し去り、光の世界へ戻る手助けをしてくれるのです。先ずは感謝一筋・恩返し一筋の自分に成ることが大事なのです。
思いの世界から光の世界へ抜け出る前には、必ず悪魔やサタンの大きな妨害があるものです。それは魔境という落とし穴です。奇跡を一杯見せて、有頂天にさせてくるのです。これでもかというくらいに五欲を満足させて、五欲の奴隷に引き戻してゆくのです。真の神さまに出会いたいという真剣な気持ちを、いつの間にかどこかに置き忘れてしまうのです。悪魔やサタンはニタニタと笑って、手を叩いて喜んでいるのです。真剣に・いのちがけで、真の神さまに心を向け続けて、感謝一筋・恩返し一筋の自分にならなければ、この魔境を抜け出ることは難しいのです。
長い年月を難行苦行して、五欲を断絶しても、すべては消し切れないのです。心の底から五欲の心が頭をもたげてくるのです。感謝の真祈りを祈りに祈って、すべての思いを消し切る以外に方法は無いのです。
一番優しい神さまは、同時に一番厳しい神さまでもあるのです。手取り足取り優しく導いてくれたと思っていたら、今度は逆に冷たく突き放して、自分の自由意志を最高度に発揮してくるのを待っているだけです。思いの心を捨て切らなければ、光の世界へ入門できないのです。自分の命を捧げ尽くさなければ、神さまへの弟子入りはできないのです。光の世界へ入門し、神さまへの弟子入りを果たす為だけでも、一大決意と一大勇猛心が必要なのです。
真の神さまとの出会いだけを、ただひたすら願うようにならなければ、つまらないものを選んで、そこへ心を向け続けていることになるのです。真の神さまとの出会いだけを選ばなければ、みんな容赦なくふるい落とされてしまうのです。救いの網の中に在っても、最高のプラスを選ばなければ、網の目から抜け落ちてしまうのです。最後の審判が下るということは、人が何を選んで来るか、その自由意志をハッキリさせるということです。無限の無限のプラスだけを、一大決意と一大勇猛心で選んだならば、決してマイナスに心を向けようとはしないものです。
マイナスの言葉を見たら・聞いたら・言ったら、自分がマイナスを選んだことになるのです。法則は厳然と働くのです。マイナスの一言を選んだだけで、番組が下がり、真の神さまから遠ざかってゆくのです。自分の一日に見たり・聞いたり・言ったりする言葉を、総点検すると良いのです。どれだけ多くのマイナスの言葉を、無意識の内に選んでいるかが、よく判るのです。真の神さまに出会う為には、最後のマイナスの一言にも注意が必要なのです。人の意識は、その人の選んだ言葉に付き従うのです。そしてその言葉通りの番組・世界・運命を味わうことになるのです。
思いの心を生きている人は、過去の言葉に雁字搦めに縛られたままです。感謝に生きるようになって初めて、少しずつ過去の言葉の縛りを消し去ってもらい、自由な意識に戻ってゆくのです。自由な意識に戻れたら、すべては言葉通りに成るということが、よく理解できるのです。
『私にとっては天照大御神さまがすべてのすべてです。天照大御神さまの他には何も在りません。天照大御神さま独在です』と断言できる自分になることが大事なのです。絶対感謝の道は、一瞬一瞬が、天照大御神さまとの出会いです。出会いだけです。一瞬一瞬新たに新たに出会う天照大御神さまは、初めて出会う・二度と出会えない・一度切りの・一期一会の出会いの神さまです。
『新たなる無限の無限の輝きが無限に無限に一杯! 無限の無限のプラスが無限に無限に一杯! 無限の無限の調和が無限に無限に一杯! 無限の無限の感謝が無限に無限に一杯! ありがとうございます』