にんにん日和

5年間の不妊治療の末に宝物を授かりました。

2008年12月25日、男の子を出産。

出産しました。

2010年03月14日 | Weblog
大変、ご無沙汰していました。

実は2008年12月25日に第1子を出産しました。

今、このブログを見ておられる方がいるかどうかわかりませんが、

その後どうなったか知りたい方もいるかもしれないと思い

記録も兼ねて久々に記事をUPすることにしました。
(育児に余裕も出てきたこともあります)



残った、左卵管を通しての妊娠をするべくタイミングを取ろうとしていましたが

なぜか1年間左の卵巣からの排卵がまったくない状況でした。

たまたま職場の同僚が不妊治療(IVF)をしていて、妊娠したのもあり、

このままでは埒があかないし、ついでに妊娠菌をわけてもらおう♪と思い、

再びIVFをすることに。


(この職場の同僚は2度のIVF経験者で、2度目がダメだった後、不育症の検査を

してみたら、見事に当てはまり、不育症を乗り越えての妊娠だったので

かなりの勇気をもらいました。しかも当時彼女は38歳!私も見習わなければ!と)



す○うの誘発とは違い、転院先では卵が8個も採卵できました。


ただ、採卵時に体調を崩して38度台の熱があり、採卵できないんじゃないかと

焦りましたが、採卵時に熱があっても問題はないと言われたのが幸い?でした。


が、熱があったせいなのか、私の卵巣から採れるもともとの卵の質が悪かったのかは

わかりませんが、受精したのは3つでした


採卵した時に先生は8個も採れたから大丈夫ですね~なんて言ってくれてたのが、

受精卵の説明を聞きに行った時には う~ん・・おかしいねぇ・・ と

難しい顔をしてました

(ま~・・不妊治療の期間が長く、クロミッドも多用してましたしね・・・)



結果的には胚盤胞2個と受精卵1個を凍結する事ができたので少しホッとしましたが


これでダメなら同僚の彼女と同じように私も不育症だろうな。。

とある意味覚悟(?)を決めつつ、翌周期に胚盤胞1個を戻しました。


結果は、なんと陽性がでました。


す○うの時は着床出血がありましたが、今回はありませんでした。

同じ妊娠なのに不思議です。共通してあった体の変化としては

胸のヒリヒリ感でした。といっても、妊娠による体の変化は

個人差もあるので、皆さんそれぞれなんでしょうけども。



不妊治療中の辛い気持ちは未だに忘れることができません。

と同時に、辛かったけど経験としては私のプラスになったのだなぁ

実感するこの頃であったりもします。



現在も治療中の方もおられると思います。

でも、我が子を抱きたいと願っていれば必ず叶います。

腕に抱くというビジョンを持っていれば不思議とその方向に向かって

無意識に行動してしまうのでしょうか?



私の場合、丸5年という時間がかかり、流した涙の量と

困らせた人の数も数知れないですが(笑)


流した涙の量だけ、その後の幸せも大きく感じます。

普通に妊娠していれば感じなかったであろう小さなひとつひとつの

出来事が夢を見ているようでした。


今となっては、

長い間、支えてくれたダンナ様に感謝。

私がどんなに泣き喚いても優しく接してくれた両親に感謝。

治療中、心配をさせ、気を使わせてしまった義両親と義弟夫婦に感謝。




医療がもっと進んで不妊で悩まなくていいような世の中になれば

いいのですが、現実はそうもいかないのがとても残念です。

せめて保険適用になってくれないのかしら?と何度思ったかわかりません。


治療中の皆さんのもとに、一日でも早く赤ちゃんが舞い降りてきますように

皆が笑顔でいられますように


心から願っています。



それでは。


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