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ごりごりの悪魔崇拝者でも、イエス様は見捨てていない。

2022-10-29 05:00:53 | 聖書

悪魔崇拝者からクリスチャンへ - 彼の心を変えたのは | 死ぬまでに必ず知っておくべきこと - JESUS (ameblo.jp)

 

↑上記のサイトは、悪魔崇拝してる悪いが改心したお話しです。

何だか優しい気持ちになりますね。

 

悪魔崇拝してる人は、客観的に見ても、もう行くところまでいっていてもう救われないんじゃないかと思ってしまいがちなのですが、

神様はそんな人も悔い改めて、自分の元に戻ってきてほしいと思っています。

人は心の弱さがあると罪の方に流れてしまうことがあります。

負い目のある人、自暴自棄になったり自棄になっているも

どうか素直になって神様に元へ帰ってください。

 

イエス様は温かく優しいのです。

皆素直になって、イエス様を信じて、神様に悔い改めましょう🌺

悪いことしたなら、その何倍もいいことをするようにがんばりましょ。

 

そして、一人でも多くの方、ものすごく大変な時代になりましたが、

日本の世界の多くの人が守られますよう、ともに祈ってください。お願いします。

 

世の中罪の誘惑で悪い方向に流れてしまって言ってる人がいます。

最初は些細なつもりが、ずぶずぶと悪い方向に行ってしまい、後戻りができなくなり、

そういった人たちは変わるきっかけを持てていません。

どうかそんな人たちが悔い改めるように心から祈りましょう。

 

たくさん悪いことをしてきて、自分なんか・・変わるチャンスなんかないし、周りの子供の頃からのいい人間で生きてきた優等生なんかにはかなわないし、どうせ・・としょんぼりした気持ちでいる人。

下のお話を読んでみてください。

 

放蕩息子のたとえ話

ある人に二人の息子がいた。弟の方が親が健在なうちに、財産の分け前を請求した。そして、父は要求通りに与えた

そして、生前分与を受けた息子は遠い国に旅立ち、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。大飢饉が起きて、その放蕩息子はユダヤ人が汚れているとしている豚の世話の仕事をして生計を立てる。豚のえささえも食べたいと思うくらいに飢えに苦しんだ。

父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。彼は我に帰った。帰るべきところは父のところだと思い立ち帰途に着く。彼は父に向かって言おうと心に決めていた。

「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」と。

ところが、父は帰ってきた息子を見ると、走りよってだきよせる。

息子の悔い改めに先行して父の赦しがあった。

父親は、帰ってきた息子に一番良い服を着せ、足に履物を履かせ、盛大な祝宴を開いた。

それを見た兄は父親に不満をぶつけ、放蕩のかぎりを尽くして財産を無駄にした弟を軽蔑する。

しかし、父親は兄をたしなめて言った。

「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。

口語訳新約聖書 ルカ15:11-32

 

神様はあなたの帰りを待っています

 


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