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好きな和歌:落窪物語から(13)

2020年08月19日 | 和歌
 暦の上では立秋を過ぎましたが、まだまだ暑い日が続きそうな今日この頃です。

 夏の暑い時期には、池や川、海などでの水難事故が多くなりますが、地域によってはその季節に地獄の釜の蓋が開いて、現世の人間を呼び込んでいると考えたり、水辺から里に続く道の草刈りをして、彼岸から家に帰ってくる故人の霊が通りやすくするという風習があったりするようです。

 さて、日本で古来より続く夏のイベントといえば七夕祭りですが、七夕がお盆に関連する行事だったことはあまり知られていないかもしれません。

 七夕という言葉は「棚幡(たなばた)」という故人の霊を迎えるためのアイテムから由来しているという説があり、7月7日はそれを用意する日だったようです。
 元々、お盆は旧暦の7月15日頃に催されていましたが、農繁期と時期を同じくするため、明治時代以降は新暦の8月15日へずらして行う地域が増え、七夕祭りだけが7月7日に催されるようになったとのことです。(諸説ありますが)

 ですから、本来的な意味での七夕は8月7日という考え方もできます。

 七夕に欠かせない天の川も、7月よりは8月の方が見やすいという話も聞いたことがあります。
 もっとも、天の川銀河の光はそんなに強くないので、月が出ていたり、街の灯りが多いところでは見るのが難しいようです。

 ろうそくや提灯の淡い灯りが主流だった昔ならば、美しい天の川を見ることができたかもしれません。
 闇の深い夜などは、ちょっと怖くて、強盗や通り魔がはびこっていたかもしれませんが、星がきれいに見えていたという点については、昔の人の生活に羨ましさを感じます。

 七夕や天の川を詠んだ歌は、万葉集にも見られるのですが、この時代の七夕は先ほどの「棚幡」ではなく、古くからある「棚機津女(たなばたつめ)」の伝説と中国から伝わった七夕が融合した行事のことらしく、七夕の由来や起源については様々な説があるようです。

 織姫と彦星の話は5~6世紀頃に見られ始め、この二つの星がそれぞれ農業と養蚕を司るものとして、五穀豊穣を祈願する祭りに転じて行ったとも考えられています。

 とにかく、現代のヴァレンタインやクリスマスのように、元々の意味合いとは関係なく、何かのイベントとくれば機会を逃さない色男が昔からいたようで、七夕にかこつけて手紙や歌を送ってくる男たちは何人もいるものの、本命の彼氏からは何の音沙汰もないことを、平安のモテ女・和泉式部が《和泉式部日記》の中で愚痴っています。

 このように、七夕の伝説や実際に夜空に見える天の川が人々にロマンチックな幻想を抱かせるのは時代を問わないようで、やはり意中の相手を口説く時には、天の川や棚機津女を詠み込んだ歌を贈るのが常套手段だったようです。

 《落窪物語》でも、男君が再三、歌を送っても返事をしようとしない女君へ、四度目に送った歌で天の川を詠んでいます。


 ☆第4位☆
  天の川 雲のかけはし いかにして
  ふみ見るばかり わたしつづけむ

 《落窪物語》巻の一 男君の歌


 私は言葉の音の響きであったり、同音異義を使ったダジャレのような言葉遊びが好きです。
 文学作品でも、長編小説よりも短編小説が好きですし、もっと言えば、詩や和歌など限られた字数の中に凝縮されている世界に触れるのが好きです。

 特に万葉の時代や、平安初期に詠まれた和歌は、枕詞や掛詞の技法が面白く、一つの歌から複数の意味が生まれ、まるで同時に何枚もの浮世絵を見ているような感覚になります。

 この男君の歌であれば、雲のかけはしに「ふみ見る→足を踏み入れる」ということと、女君からの「ふみ見る→文を見る」ということが掛けられています。
 (「橋を渡す」と「手紙を渡す」を掛けてもいます。)

 「天の川」というロマンチックな言葉で受け取り手の心をグッと引きつけておいて、結局はこのダジャレを言うための布石に過ぎなかったのね…、と肩透かしをくらわせる軽妙な恋愛歌です。

 いまいち、送り手の真剣さが伝わってこないためか、女君はこの歌にも返事をしませんでした。


 現代ならば、オヤジギャグとして若い娘たちに冷ややかに受け止められることでも、当時ではセンスが良く、モテ要素の一つだったのかもしれません。
 スベリ倒している芸人さんたちも、平安時代では言葉の天才としてもてはやされていたかも・・・(?)


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