☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
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●本日のコトノハ●
西欧の文化の中から生まれたクラシック音楽が、人々のどういう生活の場に生きていたのかを知ること、
それは私たちが西欧音楽をまともに演奏するための前提条件です。
『人を魅了する演奏』紙谷一衞(2009)角川学芸出版より
学生の頃からずっと、悩み続けていることがあります。
私は6才の頃からピアノとバイオリンを始めたのですが、それは音楽家になりたくてなれなかった父の、子供たちを音楽家にしたいという希望によるものでした。
父の意志は病的なまでに固く、例え子供たちが音楽以外の道を望んでも、決してそれを許しませんでした。
結果、音高音大に進んだ二人の兄のうち、一人はどうにか音楽家として活動しているものの、もう一人の兄は音大卒業後に看護学校に通い直し、今は看護師として働いています。
私といえば、音楽高校に進んだものの、将来のことが不安になり(当時は就職氷河期だったので)、音楽以外の大学か専門学校に行きたかったのですが、やはり父が頑なに拒否したため、一浪の末、音楽大学の中ではあまり評価の高くないところへ入学することになりました。
実のところ、子供の頃からずっとバイオリンを続けていれば、周りの生徒と自分の能力の違いは、中学生くらいの時には分かっていました。
私はそんなに下手ではありませんでしたが、上手でもありませんでした。
何より、人前で演奏するのが本当に苦痛で、心臓が破れるのではないかというくらい、ドカンドカン脈打つし、両手両足が震えてまともに演奏ができず、ステージの上が地獄でしかありませんでした。
なんで、こんなつらい思いをして、バイオリンを弾かなくてはいけないのかと、私が思う一方で、兄たちは何の苦労もなく(むしろ、楽しそうに)演奏をしていましたし、親や知人から才能があると、褒められることが多かったのです。
私は、そんなふうに言われることがなかったので、自分には音楽の才能がないと思っていました。
本音を言えば、高校受験の時に普通科の高校を受験したかったのです。しかし、父はそれを許しませんでしたし、その時期は周囲から「音楽一家」だと話題にされる機会が多々あり、自分が音楽をやめてしまったら、家族から仲間外れにされるのではないかと不安になることもありました。
結局、私が音楽を続けようが続けまいが、家族の中で孤立することに変わりはなかったのですが。
そんな理由から、音楽を続けて音楽大学に行っても、自分が何のためにどうして音楽を勉強しなくてはいけないのか、という苦痛に近い疑問に悩まされて、積極的に音楽に取り組むことはできませんでした。
そもそも、クラシック音楽は西洋の文化であり、日本人の自分が演奏する意味などあるだろうか?とまで考えるようになってしまい、それに対してどう解決策を見つければいいのか分からないまま、ただ落ちこぼれないように、淡々と課題をこなす日々を送っていたのです。
今思えば、不毛な学生時代でした。
日本の音楽教育で、西洋音楽を勉強することは、異文化との出会いや受容のプロセスを学ぶという意味で大切なことだと思います。
しかし、職業として西洋音楽を扱う時、私はどうしても自分が日本人であること、そして日本人の自分が他国の文化であるクラシック音楽を演奏したり、教えたりすることにある種の「ひっかかり」を感じてしまうのです。
まして、そんな立場から、クラシック音楽について「芸術」や「正統性」を論じる意味などないと考えるのです。
もしも、私が心から音楽を愛し、情熱を注ぐことができていたら、こんなことは感じていないと思いますし、悩み続けることもなかったでしょう。
親から押し付けられた音楽を、やめようにもやめられず、気づけば30年以上経ちます。
人よりも長く続けているので、できることも、知っていることもあります。
音楽について悩み続けた経験から、似たような問題で困っている人の相談にのることもあります。そうすることで、自分自身の悩みが解決されることもあります。
私が落ちこぼれの音楽人(音楽家とは名乗れない)であることに変わりはないのですが、クラシック音楽に西洋の文化的背景があるように、私自身が表現する音楽にもこれまで過ごしてきた30年の背景があります。
私だけでなく、音楽を奏でる人、一人一人にそれぞれの生い立ちや人生観、音楽に対する動機があり、それらが「想い」となって自ずと演奏に現れるのだと思います。
私にとって「まともな演奏」とは、そういうものです。
ヒトコトリのコトノハ vol.36
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●本日のコトノハ●
西欧の文化の中から生まれたクラシック音楽が、人々のどういう生活の場に生きていたのかを知ること、
それは私たちが西欧音楽をまともに演奏するための前提条件です。
『人を魅了する演奏』紙谷一衞(2009)角川学芸出版より
学生の頃からずっと、悩み続けていることがあります。
私は6才の頃からピアノとバイオリンを始めたのですが、それは音楽家になりたくてなれなかった父の、子供たちを音楽家にしたいという希望によるものでした。
父の意志は病的なまでに固く、例え子供たちが音楽以外の道を望んでも、決してそれを許しませんでした。
結果、音高音大に進んだ二人の兄のうち、一人はどうにか音楽家として活動しているものの、もう一人の兄は音大卒業後に看護学校に通い直し、今は看護師として働いています。
私といえば、音楽高校に進んだものの、将来のことが不安になり(当時は就職氷河期だったので)、音楽以外の大学か専門学校に行きたかったのですが、やはり父が頑なに拒否したため、一浪の末、音楽大学の中ではあまり評価の高くないところへ入学することになりました。
実のところ、子供の頃からずっとバイオリンを続けていれば、周りの生徒と自分の能力の違いは、中学生くらいの時には分かっていました。
私はそんなに下手ではありませんでしたが、上手でもありませんでした。
何より、人前で演奏するのが本当に苦痛で、心臓が破れるのではないかというくらい、ドカンドカン脈打つし、両手両足が震えてまともに演奏ができず、ステージの上が地獄でしかありませんでした。
なんで、こんなつらい思いをして、バイオリンを弾かなくてはいけないのかと、私が思う一方で、兄たちは何の苦労もなく(むしろ、楽しそうに)演奏をしていましたし、親や知人から才能があると、褒められることが多かったのです。
私は、そんなふうに言われることがなかったので、自分には音楽の才能がないと思っていました。
本音を言えば、高校受験の時に普通科の高校を受験したかったのです。しかし、父はそれを許しませんでしたし、その時期は周囲から「音楽一家」だと話題にされる機会が多々あり、自分が音楽をやめてしまったら、家族から仲間外れにされるのではないかと不安になることもありました。
結局、私が音楽を続けようが続けまいが、家族の中で孤立することに変わりはなかったのですが。
そんな理由から、音楽を続けて音楽大学に行っても、自分が何のためにどうして音楽を勉強しなくてはいけないのか、という苦痛に近い疑問に悩まされて、積極的に音楽に取り組むことはできませんでした。
そもそも、クラシック音楽は西洋の文化であり、日本人の自分が演奏する意味などあるだろうか?とまで考えるようになってしまい、それに対してどう解決策を見つければいいのか分からないまま、ただ落ちこぼれないように、淡々と課題をこなす日々を送っていたのです。
今思えば、不毛な学生時代でした。
日本の音楽教育で、西洋音楽を勉強することは、異文化との出会いや受容のプロセスを学ぶという意味で大切なことだと思います。
しかし、職業として西洋音楽を扱う時、私はどうしても自分が日本人であること、そして日本人の自分が他国の文化であるクラシック音楽を演奏したり、教えたりすることにある種の「ひっかかり」を感じてしまうのです。
まして、そんな立場から、クラシック音楽について「芸術」や「正統性」を論じる意味などないと考えるのです。
もしも、私が心から音楽を愛し、情熱を注ぐことができていたら、こんなことは感じていないと思いますし、悩み続けることもなかったでしょう。
親から押し付けられた音楽を、やめようにもやめられず、気づけば30年以上経ちます。
人よりも長く続けているので、できることも、知っていることもあります。
音楽について悩み続けた経験から、似たような問題で困っている人の相談にのることもあります。そうすることで、自分自身の悩みが解決されることもあります。
私が落ちこぼれの音楽人(音楽家とは名乗れない)であることに変わりはないのですが、クラシック音楽に西洋の文化的背景があるように、私自身が表現する音楽にもこれまで過ごしてきた30年の背景があります。
私だけでなく、音楽を奏でる人、一人一人にそれぞれの生い立ちや人生観、音楽に対する動機があり、それらが「想い」となって自ずと演奏に現れるのだと思います。
私にとって「まともな演奏」とは、そういうものです。
ヒトコトリのコトノハ vol.36
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