食べる
飲食によってわたしたちの生命は維持されると言われています。
人間は雑食性なので毒でなければなんでも食べられます、食べようと思えば。
スーパーへ行けばいろんな食べ物が並んでいます。
賞味期限や消費期限が設定されるようになってだいぶ経ちました。
少し過ぎれば食べられないと思い込んで捨ててしまう人たちも少なくないそうです。
食べ物と言われるもの、それは生きものたちです。
どうか無駄にしないでほしいのですね。
少し前にお嫁に行った子が話してました。
嫁ぎ先では食べ物を平気でたくさん食べ残して捨てているから悲しくなる、と。
最近自分は肉や魚が食べられなくなってきました。
主に
食べるのは植物系です。
以前はなんでも食べていたのですが、いろいろ考えるうちに受け付けなくなってきました。
思い起こせば子どもの頃もそうでした。
お菓子とチーズとソーセージとキュウリばっかり食べてました。あとお肉は脂身
だけ。
たぶん赤身は血を感じるので食べられなかったのだと思います。
魚も食べられませんでした。
お魚さんがこっち見てるから怖い、そんなふうに言っていたそうです。
食べ物に対する 心的抵抗感と いうのは、対象が人間に 近いほど大きくなる 、という説がありますが、国や文化、地域などにより差はあると思います。あと宗教も。
トラックで食肉を運んだことがあります。
縦半分に切った大きな牛の半身?をクレーンで釣って積み下ろししてました。
頼まれて鶏を絞めたことがあります。
とても後味が悪く、後悔しました。
小学校で外国人講師の提案で、食肉センターのようなところへ小学生を連れて行き食肉がどのようにして作られるかということを見学させたところ、吐いたり倒れたり、具合の悪くなる子どもたちが出たことにより、問題になったという記事を見ました。
でもね、大切なことだと思うのです。
日本では主に、牛、豚、鳥が食肉とされています。
その生きものたちがどのような環境 で飼育され、どのような経路を辿り店頭に並ぶのか、ということを知れば、食べられなくなる人もあるでしょうし、食べるにしても無闇に無駄にはしなくなると思うのですね。
以前鶏を 飼っていたことがあります。
養鶏場から逃げ出したらしい雌鶏がいたのでウチのニワトリさんたちと一緒の 小屋に入れてみたところ、ウチのニワトリさんたちが産んだ卵を次々と つついて割っていました。
まるで恨みを卵にぶつけているかのように感じてしまいました。
もしかすると、初めて外に出て自由を感じていたのにまた閉じ込められたことへの怒りだったのかもしれません。
わたしが子どもの頃には荷台が檻のようになっているトラックが牛や豚を乗せて国道を走っているのをよく見かけました。
そのトラックの後ろにいると、牛さんや豚さんと目が合うのですね。
泣いてる子たちもいました。
目から涙を流していたんです、本当に。
ニワトリがカゴに詰められていたり、ケージごと運ばれて行くのも見かけました。
そんな様子を見かけなくなってだいぶ経ちます。
隠してしまったんでしょうね。
いろんな理由で。
彼らは生きものです 。
こころも感情も あります。
以前 静岡県焼津 に行った時に 、スーパーにイルカの切り身が並んでいたので驚いたことがあります。
また、捕鯨は日本の文化だなどとも聞きますが、海外からは かなり非難されているそうです、野蛮 だと。
イルカや クジラ などの海獣は精神性の高い生きものだと自分は思っています 。
「いただきます」「 ごちそうさまでした」
単なる習慣で済ませてしまってはいけないのだと思います。
そこに哀れみや慈しみのこころが伴っていたのが本来のこの国の人々の在り方 だったのではないかと思いたいです。
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