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浦和学院は、横浜高校の歩いた道をたどれるのか!

2011年11月08日 | 高校野球

高校野球の『秋の陣』がクライマックスを迎えています。

各地の秋季大会が終了し、
優勝校が続々と決まっています。
その優勝校が集い『秋の日本一』を決める明治神宮大会は、
11月23日から開幕します。
去年は『秋の日本一』日大三が最後まで力を落とすことなく一年を駆け抜け、
選抜4強、選手権優勝、国体優勝という輝かしい戦績を残しました。

今年はどこが、
高校野球界を引っ張っていく存在になるのでしょうか。
明治神宮大会は優勝地区に『明治神宮枠』もかかっているので、
センバツ出場のボーダーラインにいる学校にとっても、
その結果を注視する大会になりそうです。


さて、
そんな秋季大会の中、
関東地区では埼玉の浦和学院が、
大会2連覇を果たし選抜の出場をほぼ確定づけています。

今年のチーム、
昨年の経験者がたくさん残り、
関東では最も充実した戦力を誇っています。

明治神宮大会でどのような戦いぶりを見せるのか、
注目されます。


浦和学院と言えば、
『強打』と『剛腕』の印象が強いチームですね。

プロ野球選手も、
かなりの数輩出しています。

強打の選手としては、
元西武の鈴木健に始まり、
元巨人の清水、元西武の石井義らが浮かびます。

剛腕の選手では、
木塚(元横浜)、大竹(広島)、坂元(西武)、須永(巨人)、赤坂(中日)
らが思い浮かびます。

何しろ毎年一人は大型選手がドラフトされる、
”才能の宝庫”のようなチームです。


この浦和学院、
初代監督が上尾高校を全国の強豪に押し上げた野本喜一郎氏だということは、
あまり知られていません。

県立校という制約の中であれだけの強豪を作り上げた野本氏が、
自由にチーム作りができる新設私立校に移ってどんなチームを作るのか、
大いに注目された中での船出でした。

ちょうど時期的には、
取手二から常総学院に移った木内監督と重なります。

しかしその野本監督は、
手塩にかけたチームが甲子園初出場を決めたその夏、
倒れて甲子園で采配を振るうことはかないませんでした。

初出場の時の浦和学院は、
甲子園の試合直前に急逝した野本監督の遺影をベンチにおいて、
快進撃を続けました。
昭和61年のことです。

それまで埼玉県の高校野球は『私立高校不毛の地』の様相を示し、
大型チームがなかなか出現しづらい状況でした。

しかし彗星のように出現したこの浦和学院は、
これまでの埼玉県の常識を覆すような大型チーム。
特に鈴木健、伊藤、半波らの”超大型打線”は、
全国の舞台でも猛威を振るい、
準決勝まで進出。

その名を全国にとどろかせました。

その後の歩みも、
正に順風満帆。

初出場の翌年に、
エース谷口と主砲鈴木健が残ったチームは圧倒的な強さを見せて選手権に2年連続出場。

92年には、
センバツ初出場で準決勝まで進出しました。

そのころは、
『近いうちに浦学は全国制覇するだろう』
『甲子園に強い浦学』
という声がもっぱら。

その後は毎年のように実績を重ね、
圧倒的な実績で『関東の雄』の座にまで上り詰めます。

毎年好選手を輩出し、
若くしてすでに【名将】の貫録を備えた森監督が、
自信を持って全国の舞台に送り出したのが2002年のチーム。

好投手・須永を擁して守りを固め、
打線の破壊力もあったこのチーム、
センバツでは8強に進出。

そして夏は、
その春の選抜で敗れた報徳学園を相手に、
初戦で見事なリベンジ。

『浦学の上位進出間違いなし』
といわれました。

しかしここに落とし穴が待っていた。

2回戦で『絶対優位』と言われた浦学は、
伏兵・川之江に8・9回で4点差をひっくり返されるまさかの大逆転負け。

それでもその時2年生だった須永を擁し、
翌春は『有力な優勝候補』として選抜に臨みました。

しかしそこでも、
2回戦の智弁和歌山戦で、
脂の乗り切った智弁和歌山の打線に須永がつかまり、
サヨナラHRを食らっての悔しい敗戦。

そしてその夏は、
狂ったリズムを取り戻すことができず県予選でまさかの敗退。

ここから、
苦難の道が始まります。

それからあとは、
大型チームを作って甲子園に行けども行けども、
勝つことができなくなってしまいました。

毎回のように、
甲子園の事前の戦力分析ではAランクをもらうチームであったものの、
その戦績は

04年夏 1回戦〇 2回戦●
05年春 1回戦●
06年夏 1回戦●
07年夏 2回戦●
08年夏 1回戦●
11年春 1回戦●

殆ど全国の大会では勝てなくなってしまいました。
近年では、
09年、10年の春の関東大会を連覇しながら、
両方ともに甲子園を逃すという悔しさも味わいました。

森監督。

今、まさに悩みの淵に立っているのだと思います。
『なぜだ、なぜ勝てないんだ』
という思いは強いのではないでしょうか。


しかしワタシは、
この浦和学院というチーム、
来春にエポックメーキングな出来事が起こる気がしてなりません。

すべての呪縛から解き放たれるかもしれませんよ。


思えばこの歩み、
80年代から90年代にかけての横浜高校にそっくり。

80年の優勝以降、
この年代の横浜も、
ドラフト指名選手を毎年多数そろえ大型と言われるチームを毎年作ってきていましたが、
作れども作れども、
甲子園に出場すれどもすれども、
その都度跳ね返されていた苦しい時期がありました。

あの横浜高校の名将、渡辺監督をもってしても、
その壁を破るのは容易ではなかったということです。

しかし98年、
あの松坂を擁したチームがすべての壁を取り払ってくれました。
その後の横浜高校の歩みについては、
今更語るまでもありません。

98年のチームがきっかけとなり、
横浜は生まれ変わったかのように『勝負強い』チームへと変貌を遂げていったのです。

ちなみに98年以前の横浜と98年以降の横浜の戦績、
以下の通りです。

◇横浜高校 81年~97年までの戦績
81年 夏 1回戦 〇  2回戦 ●
85年 春 1回戦 〇  2回戦 ●
89年 夏 2回戦 ● 
92年 春 1回戦 ●
93年 春 2回戦 ●
94年 春 1回戦 〇  2回戦 ●
     夏 2回戦 ●
96年 春 1回戦 ●
     夏 2回戦 〇  3回戦 ●
     
     出場9回  4勝9敗  最高成績;3回戦

これらの年にも、ドラフト指名選手は毎年輩出していました。
鈴木(元横浜)、高橋(元広島)、多村(SB)、斉藤(元巨人)、紀田(元横浜)、戸坂(元阪神)、横山(元横浜)らは、
すべてこの時期の卒業生で、プロ野球で活躍した選手達です。

◇横浜高校 98年以降の戦績
98年 春 1回戦 〇  2回戦 〇  準々決勝 〇  準決勝 〇  決勝 〇  
     夏 1回戦 〇  2回戦 〇  3回戦 〇  準々決勝 〇  準決勝 〇  決勝 〇 
99年 春 1回戦 ●
00年 夏 2回戦 〇  3回戦 〇  準々決勝 ●
01年 夏 2回戦 〇  3回戦 〇  準々決勝 〇  準決勝 ●
03年 春 2回戦 〇  3回戦 〇  準々決勝 〇  準決勝 〇  決勝 ●
04年 夏 1回戦 〇  2回戦 〇  3回戦 〇  準々決勝 ●
06年 春 1回戦 〇  2回戦 〇  準々決勝 〇  準決勝 〇  決勝 〇  
     夏 1回戦 ●
08年 春 2回戦 ●
     夏 1回戦 〇  2回戦 〇  3回戦 〇  準々決勝 〇  準決勝 ●
11年 春 1回戦 ●
     夏 2回戦 〇  3回戦 ●

     出場13回 33勝9敗  優勝3回 準優勝1回 ベスト4;2回 ベスト8;2回

わずか14年の間に、
優勝3回をはじめ、13回の出場で8回以上が8強以上という、
驚くべき実績を上げています。

松坂を擁した98年のチームは、
チームや監督に大いなる自信を与え、
相手チームには脅威を与えたのでしょうね。

いわゆる”ユニフォームで戦える”チームとなっているのが、
近年の黄金期を迎えている横浜高校なんでしょう。


その横浜高校と比較しても、
そん色ない実力を備えている浦和学院というチーム。

厚い殻を破って、
同じように羽ばたいていけるのでしょうか。

そのきっかけとなるチームとして、
2012年の浦和学院というチームに、
大いに期待しています。

まずそのためには、
23日開幕の『明治神宮大会』で全国の強豪チームにどのように対峙していけるかが、
大きなポイントになるような気がします。

浦和学院にとって、
この明治神宮大会はある意味、
秋季関東大会よりも大事な戦いになるのではないかと踏んでいます。

選手たちにその意識があるのか。

森監督はどうか。

昨年伝統のユニフォームの一新を図った浦和学院。
チームカラーも一新して、
全国の舞台に殴り込みです。


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