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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

シリーズ ≪スポーツ懐古主義≫  その1 テニス   ボルグとマッケンロー

2013年06月03日 | スポーツ懐古主義

新しいシリーズとして、
≪スポーツ懐古主義≫
をアップします。

それこそ毎日のように、
日本、いや世界のどこかでスポーツの試合が行われています。

私たちは、
そのスポーツの一つ一つに、
歓声や拍手喝さいを送り、
時には落胆や怒りを感じながらも、
胸の奥にそのシーンを深く刻みつけています。

ふとしたことで、
そんな胸の奥底にしまったスポーツシーンが、
思い起こされてくることがあります。

それも鮮明な画像や音声とともに。

そんな【昔懐かしい】スポーツシーンを、
なんの脈略もなく、
”思いついたが吉日”とばかりに、
書き綴っていこうと思っています。

もちろん、
『思いついたら』
ですから、
不定期にアップ・・・・・ということでご容赦を。


それでは第1回。
錦織選手の『全仏オープンベスト16入り』というニュースで思い出した、
70年代後半~80年代にかけて、
テニスが熱かったころの『宿命の対決』

ボルグvsマッケンロー

についてです。


70年代の終わりから80年代にかけて、
日本におけるテニスシーンは、
とにかく熱かった。

ボーリングブームが一段落した後、
テニスは健康志向の世相と相まって、
爆発的なブームとなりました。

70年代終わりごろ”テニス”という競技の存在を知ったワタシは、
家族がやっていたということとともに、
『エースをねらえ』
に影響されて、
テニスに興味を持ちました。

その頃世界のテニス界は、
ボルグとコナーズのライバル対決に沸いていました。

アメリカの”正統派”コナーズに対して、
スウェーデンの”貴公子”ボルグは、
その当時まだプレースタイルの主流を占めていなかった【トップスピン】を駆使して世界のトップに上り詰めていました。

コナーズとボルグは、
残念ながら少しその実力に差があったため、
『宿命のライバル』として、
幾多の名勝負を繰り広げた……
とまでは言えないライバル関係。

しかしそこに、
勇躍あらわれた”アメリカンヒーロー”という名の”悪ガキ”マッケンロー。

プレースタイルも、
たたずまいも、
そしてその言動も、
全てにおいてボルグとは正反対のタイプでした。

『マンハッタンからやってきた悪ガキ』に、
しかしアメリカのファンは熱狂、
そのうねりは世界に広がっていきました。

モハメッド・アリもそうですが、
程よい”悪さ”は、
人々を熱狂させるためのスパイスになるようで、
マッケンローの人気ぶりはすごいものでした。

1試合に1回は必ずジャッジにクレームをつけるといわれた彼の試合中、
一番盛り上がるのはその【クレーム】をつけた時だったとも言われています。

プレースタイルも破天荒そのもの。
”世界のレフティー”マッケンローは、
深いクラウチングスタイルから回転のきいた素晴らしいサービスを武器に、
ネットプレーで勝負するプレーヤー。

ネットでのプレー、
特にボレーのタッチなどは天性の”カン”を感じさせるもので、
ワタシをはじめその頃のすべてのサウスポーのプレーヤーは、
『マッケンローのようになりたい』
と思っていたと思います。

常識では測れない、
天才肌の選手でした。

マッケンローの試合の解説をしていた坂井利郎さんが、
『マッケンローのプレーを見ていると、テニスが本当に簡単に感じますねえ』
と話していたのを、よく覚えています。


対するボルグ。

スウェーデンの貴公子と言われるように、
そのプレースタイル、言動、たたずまいなど、
全ては『落着き・冷静』というキーワードでくくられる世界最高のプレーヤーでした。

強烈なトップスピンの利いたフォアハンド、バックハンドは、
強烈にそして正確無比に相手コートに突き刺さりました。

ネットに出てきた相手を抜き去る絶妙のパッシングショット。
その精度の高さ、
何度も唸ってしまいました。

ちなみに、
ボルグはそのプレーで、
無名のスポーツギアを一躍トップに押しあげるという効果も果たしました。

ボルグの使ったラケット、『ボルグプロ』で、
”ドネー”はいくら儲けたのでしょうね。

そのボルグ・プロに、
カチカチの硬さでガットを貼ってトップスピンを打ちまくる…。
「おいおい、肘壊すでえ」
というプレーヤーが続出したものでした。

シューズはディアドラ。
ボルグ以前は「だーれも知らねー」と言われていたブランドも、
ボルグが身に着けると一躍・・・。

このころからですかね、
プロが使うということで、
そのブランド価値が青天井まで上がっていったのは。


対するマッケンローは、
やわらか~いガットを貼ったラケットを使用。


彼でよく覚えているのは、
タッキーニのウェアに身を包み、
シューズがナイキの『フォレストヒルズ』。
そしてクリクリの髪にはヘアバンド。

何ともかっこよかったなあ。



何もかもが対極にあったこの両者。

この両者はしかし、
何度も【テニス史に残る】戦いを繰り広げたライバルでした。

特にウィンブルドンや全米オープンなど、
舞台が大きくなればなるほど、
両者のプライドは熱く燃え上がるようでした。

その両者の対決の頂点が、
1980年のウィンブルドン決勝、
そして同年の全米オープン決勝
ではなかったかと思っています。


≪1980年 ウィンブルドン≫ 決勝

B・ボルグ  3 (1-6,7-5,6-3,6-7,8-6) 2  J・マッケンロー


ボルグはウィンブルドンで前人未到の5連覇をかけて大会に臨み、
それを阻止すべく若手のマッケンローも決勝に進出。

決勝はまさに実力伯仲。
流れがコロコロと変わる凄まじいゲームとなり、
特に第4セットのタイブレークは今でも『伝説』として語られています。

一進一退を繰り返し、
まさに『手に汗握る』戦いとなったこのセット、
決着はなんと18-16!!

しかしこのセットを取ったマッケンローがファイナルセットも取って初優勝!と思いきや、
ボルグが驚異の精神的強さで巻き返して、
3時間55分という≪史上最高の戦い≫を制して、
ウィンブルドン5連覇を成し遂げました。

この試合、
ワタシの記憶の中では、
深夜に絶叫しながらNHKの衛星中継を見た覚えがあります。

試合終了後の、
ボルグの両膝を地面について祈るような姿、
深く深く、
ワタシの記憶に沁みついています。


しかしこの二人の≪名勝負数え歌≫は、
これだけでは終わりませんでした。

ボルグはウィンブルドンでは5連覇を達成、
更に全仏オープン(ローランギャロス)では4連覇を含み6度の優勝を飾っていましたが、
どうしても全米オープン(フラッシングメドウス)は優勝できませんでした。

なぜか・・・・

分かりません。

特に”ハードコート”というサーフェースを苦手にしていたわけでもなければ、
準優勝4回という実績を見ても、
苦手な大会ではなかったはず。

それでもなぜか、
全米においては【テニスの神様】はボルグに微笑むことはありませんでした。

しかしながら、
ボルグがその悲願の全米制覇に一番近づいたのが、
この1980年だったと思います。

先のウィンブルドンを見るまでもなく、
この1980年というのは、
ボルグのキャリアの≪最高峰の年≫だったと確信しています。

とにかく、
ものすごいプレーをしていました。

【正確無比】

それ以外に、
彼を形容する言葉が見つかりません。

最近に例えて言うならば、
62連勝を飾っていた時の横綱・白鵬。

要するに、
『勝って当然。負けるわけはねえ』
状態だったのです。


そして【今年こそ】の気合いとともに、
全米オープンに臨むボルグ、
鬼気迫るものがありました。


だが、
そこに立ちはだかったのが、
先のウィンブルドンでボルグの前に一敗地にまみれた、
全米オープン連覇を狙う、
宿敵のマッケンローでした。


ワタシはその大会の始まる前、
仲のいい【テニ友】と、
連日舌戦を繰り広げていました。

『絶対ボルグの初制覇』
を譲らない友人に対し、
『今度はマックの圧勝さ。ボルグが全米で、優勝できるわけはねえ』
と言い放ち、
決勝での対決を心待ちにしていました。

果たして、
両選手ともに順当に決勝に進出。(さすが!!)

そして決勝はまた、
ウィンブルドンに『勝るとも劣らない』激闘になりました。


≪1980年 全米オープン≫ 決勝

J・マッケンロー 3 (7-6,6-1,6-7,5-7,6-4) 2  B・ボルグ  


この試合も、
本当に最後まで勝敗の行方が分からない試合でした。

確かこの試合、
日本では平日の午後(?)かなんかに放送されていたんです。

ワタシと前述の【テニ友】は、
いずれも【携帯式テレビ(3型ぐらい?)】をこの日のために(?)購入して、
授業の合間にこっそりと、
膝上に隠して見ていましたっけ。

今にして思うと、
『我ながら大胆だなあ』
と思いますが、
この時代はなんだか、
おおらかだったなあなんて言う記憶もあったりしますね。
(先生も、お目こぼしがあったような気がします・・・・日本シリーズとか…)


最後はなんだかやけにあっけなく、
『今までの死闘はなんだったの???』
と思われるような決まり方だったというのが、
ワタシの記憶の中にあるこの試合です。


マッケンローは、
その時、
ひざまづくわけではありませんでしたが、
自らのサービスのように深くひざを折り曲げたまま、
天高く両腕を掲げて、
力の限り叫んでいたんでしたっけね。

そんな記憶があります。


とにかく、
【テニスが熱く燃えた季節】
でした。

あの戦いからもう33年もたつのですが、
あそこまですごい戦いは、
お目にかかったことがありません。


両者の力があれだけ拮抗して、
更にプレースタイルが対極にあったというのが、
何とも面白さを演出してくれていたのだと思います。


この後ボルグがすぐに引退し、
2強時代はあっという間に記憶の彼方に去ってしまいました。

その後、
レンドルやエドバーグ、ベッカー、アガシ、
サンプラス、そして現在のフェデラー、ナダルなど、
数多の名プレーヤーが生まれましたが、
この80年のボルグvsマッケンローの激闘を超えるものは、
見当たりません。


しかし、
錦織が4大タイトルをかけて決勝に臨むとなれば、
これこそが『歴代NO1』になるだろうことは、
想像に難くありません。

その時が来るまで、
しばし休憩しておくことにします。



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