SPORTS! SPORTS! 寝てもさめても

16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

あのマッチが・・・

2019年02月04日 | オリンピック

今しがたニュースを見ていたら、
スキージャンプの『鳥人』、
あのマッチ・ニッカネンが亡くなったということをやっていました。

ショックです。

フィンランドの鳥人と言われたニッカネン。
ワタシが印象に残っているのは、
何と言っても84年のサラエボ五輪です。

旧ユーゴのサラエボ。
その名称を聞くだけで、
何だか本当に遠い遠い昔の話に思えますが、
目を閉じるとあのスピードスケートの黒岩さんなどの姿が浮かんできます。

日本のジャンプ陣も、
札幌五輪の金銀銅独占からその力を落としていましたが、
80年のレークプラシッドで八木が復活を高らかに宣言する銀メダル、
そしてこのサラエボでは秋本選手に銀メダルの期待がかかったりしていました。

しかし本番で、
若い北欧の鳥人が現れ、
見事なジャンプで金メダルをかっさらっていったのですが、
それがニッカネン。

マッチという名前から、
日本のスポーツ紙では、あのマッチ(近藤真彦)になぞらえて、
よく記事に載っていました。
性格もあっけらかんとした、
その時代によく言われた「新人類」的な佇まいで、
コメントも結構振るっていたという記憶がありますね。

ライバルの東ドイツ、バイスフロク選手はやはり共産圏の選手だったので固い・マジメ一本やりみたいな選手でしたんで、
そのコントラストがとても面白かった記憶があります。
マスコミも2人の対比を、
かなり面白おかしく扱っていたように思います。

しかし2人の優勝争いは、
そのレベルの高さがすごかった。
そんな記憶のある、
思い出深い選手です。

冬季五輪も今のように競技数も多くなかったんで、
目立つ選手には話題が集中したということがあったんでしょうね。

次の88年のカルガリー五輪でも、
相変わらずの強さを見せつけてくれて、
日本は彼に全く対峙できませんでした。

日本ジャンプ陣が復活して、
世界の頂点を伺うのはこの後。
原田、船木、葛西に岡部と、
次から次に世界を獲る選手が飛び出してきて、
その集大成があの98年の長野五輪の金メダルでしたね。

なんか、
あの時あんなに若くてヤンチャで、
「世界に怖いもの無し」って感じだった選手の訃報に触れると、
本当になんか、
ショックですね。

目を閉じると、
見事なジャンプとヤンチャな笑顔が浮かんできます。
合掌。


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