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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

ウィリアム・ルスカ死去  猪木との激闘がしのばれる

2015年02月16日 | オリンピック

柔道家のウィリアム・ルスカ氏が死去しました。

72年のミュンヘン五輪で2階級を制覇した【伝説の柔道家】ですが、
ワタシはその時のことは記憶にないどころか、
当初は名前すらも知りませんでした。

『赤鬼』ルスカを知るのは、
なんと言ってもアントニオ猪木との”異種格闘技戦”の舞台でのこと。

その時の時代の空気として、
『猪木地上最強説』
がしきりに喧伝されていたころ。

当時の子供の頭の中は、
『地上最強と言えるのは、プロレスの猪木か極真空手か』
なんていうのがこびりつくほど、
『猪木は強い!』
で子供の間の話題は一色でした。

思えばこの頃の新日本プロレスのTV中継って、
本当にたくさんの男の子が見ていましたっけね。

クラスの話題をさらっていました。


猪木はその強さを誇示するため、
プロレスという枠を飛び出し、
『異種格闘技』路線を突き進んでいったんですよね。

その最初の相手が、
確かこの『赤鬼』ルスカではなかったでしょうか。
76年のことだったんですね。

柔道着を着たルスカは、
ワタシにはあまり強そうに見えませんでした。

確かに顔を真っ赤にして猪木に飛びかかっていく様は『赤鬼』の面目躍如でしょうけれど、
素朴な疑問として、
『柔道技でどんなに相手を投げても、所詮はマットの上だろ。どうやって猪木をノックアウトするんだよ!』
ということを思っていて、
柔道という一定のルールのもとに”競技”としてやっているスポーツと血なまぐさいプロレスの世界が、
どうしても同じ土俵で戦うべき相手だとは思えませんでした。

そしてこの異種格闘技戦の決着は、
猪木のバックドロップ連発。

痛快な『完勝』に、
とても興奮したのを覚えています。


まあ、
今となっては真剣勝負だったのかエンターテイメントだったのかの区別も分かりませんが、
その頃は『熱く激しい』猪木のファイトに熱狂したものでした。

ルスカは新聞によると、
2001年に脳出血で倒れて闘病していたとのこと。

プロレスラーとして長く活躍した選手の宿命かもしれませんが、
やはり頭をマットその他に何度もたたきつけられるダメージが、
どうしても引退後の生活を脅かすということが、
あるのでしょうね。

実はワタシ、
ルスカ選手自体には、
さほどの思い出も思い入れもないのですが、
訃報を目にして、
あのころの”空気感”が体の中を駆け巡ってきて、
懐かしい気分に浸ることが出来ました。

遠い昔のこと。

でも、
確かにプロレスに熱狂した、
あのころがありました。



今また、
プロレスはブームを呼びそうな気配になってきています。

最近目にする新日本プロレス、
また面白くなってきています。

さすがになかなか実際に会場に足を運ぶことはないのですが、
テレビでやっていれば必ずチャンネルを合わせてしまいますね。

オカダ選手や、棚橋選手。
中村選手なんか、
キャラが立っていて見ていてとても面白いです。

やっぱりプロレスって、
エンターテイメントとしては一流ですね。
つくづくそう思います。


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