柔道家のウィリアム・ルスカ氏が死去しました。
72年のミュンヘン五輪で2階級を制覇した【伝説の柔道家】ですが、
ワタシはその時のことは記憶にないどころか、
当初は名前すらも知りませんでした。
『赤鬼』ルスカを知るのは、
なんと言ってもアントニオ猪木との”異種格闘技戦”の舞台でのこと。
その時の時代の空気として、
『猪木地上最強説』
がしきりに喧伝されていたころ。
当時の子供の頭の中は、
『地上最強と言えるのは、プロレスの猪木か極真空手か』
なんていうのがこびりつくほど、
『猪木は強い!』
で子供の間の話題は一色でした。
思えばこの頃の新日本プロレスのTV中継って、
本当にたくさんの男の子が見ていましたっけね。
クラスの話題をさらっていました。
猪木はその強さを誇示するため、
プロレスという枠を飛び出し、
『異種格闘技』路線を突き進んでいったんですよね。
その最初の相手が、
確かこの『赤鬼』ルスカではなかったでしょうか。
76年のことだったんですね。
柔道着を着たルスカは、
ワタシにはあまり強そうに見えませんでした。
確かに顔を真っ赤にして猪木に飛びかかっていく様は『赤鬼』の面目躍如でしょうけれど、
素朴な疑問として、
『柔道技でどんなに相手を投げても、所詮はマットの上だろ。どうやって猪木をノックアウトするんだよ!』
ということを思っていて、
柔道という一定のルールのもとに”競技”としてやっているスポーツと血なまぐさいプロレスの世界が、
どうしても同じ土俵で戦うべき相手だとは思えませんでした。
そしてこの異種格闘技戦の決着は、
猪木のバックドロップ連発。
痛快な『完勝』に、
とても興奮したのを覚えています。
まあ、
今となっては真剣勝負だったのかエンターテイメントだったのかの区別も分かりませんが、
その頃は『熱く激しい』猪木のファイトに熱狂したものでした。
ルスカは新聞によると、
2001年に脳出血で倒れて闘病していたとのこと。
プロレスラーとして長く活躍した選手の宿命かもしれませんが、
やはり頭をマットその他に何度もたたきつけられるダメージが、
どうしても引退後の生活を脅かすということが、
あるのでしょうね。
実はワタシ、
ルスカ選手自体には、
さほどの思い出も思い入れもないのですが、
訃報を目にして、
あのころの”空気感”が体の中を駆け巡ってきて、
懐かしい気分に浸ることが出来ました。
遠い昔のこと。
でも、
確かにプロレスに熱狂した、
あのころがありました。
今また、
プロレスはブームを呼びそうな気配になってきています。
最近目にする新日本プロレス、
また面白くなってきています。
さすがになかなか実際に会場に足を運ぶことはないのですが、
テレビでやっていれば必ずチャンネルを合わせてしまいますね。
オカダ選手や、棚橋選手。
中村選手なんか、
キャラが立っていて見ていてとても面白いです。
やっぱりプロレスって、
エンターテイメントとしては一流ですね。
つくづくそう思います。