あんなに嫌いだったのに

平成29年10月に夫がすい臓がんで先に逝ってしまいました。
定年したら離婚しようと準備していたのに・・・

癌との毎日 その50

2018-03-26 19:35:42 | 主人のこと
「終末期のための個室移動です」と言う看護師の言葉に焦りを感じて子供達とすぐ病院へむかった。

ちょうど面会時間が始まるという時に到着して面会バッジを貰い病室へ向かうと電話をくれた看護師さんが病棟の受付にいた。
子供たちには病室へ行くように促し声をかけた。

昨夜の状態を説明される、再度鼻から管を入れようと試みるも痛みと吐き気でじっとしていることもできず、「お願いだから殺してくれ」との言葉も出たとのこと。
医師も看護師もこれ以上の処置は辛い思いをさせるだけだからと今は心電図とオキシメーター、痛み止めのレスキューと脱水防止の点滴だけがついているとのことだった。
それでもオキシ(血中酸素濃度)は85%ほどあり、処置後(できなかったけど)はひどくは吐いていないので落ち着いていると言っていた。
お礼を伝え子供たちが先に入っていた病室へ入ると子供達と笑っている主人がいた。

ベッドに横になっているがうれしそうに声を出して子供達と話をしていた。
昨日の面会は管が入っていたので会話は携帯ごしやゼスチャーだったので声を出して会話できたのが嬉しかったのだと思う。

子供たちにも「覚悟はしておくように」と道すがら話しながら来ていたので病室に入った私を子供たちがそれぞれ私の顔をみて「(お父さん)全然元気だよ、良かった」とホッとした顔を見せた。

その日一日家族五人で病室にいた。
当然飲み食いはできないので喉が乾いたと言えば氷を一粒二粒口に入れてあげたり、主人がウトウトした隙をついてかわりばんこにラウンジで食事をとったりと誰かが病室に残るようにしていた。

痰が絡んでいるようなねばついたものを出すことはあったが、ひどく吐くようなこともなく面会時間ギリギリまで病室にいたが、次の日は末っ子は学校の試験が始まる日で、うえの二人も勤務のシフトが入っている。
特に長男は九月から決まった仕事だったのでまだ試用期間で有給もない。
後ろ髪を引かれながら一度家に帰ることにした。

医療麻薬が入っているためたまに訳のわからないことも言っていたが、それはウトウトしている前後のことで覚醒すれば自分で「俺今変なこと言った?」などと意識ははっきりしている時間がほとんどだったからだ。
末っ子が明日から試験ということも頭に入っていたのだろう、自分が勤めている会社に長男がいることも心配したのだろう「俺は大丈夫。帰りな。」と言い出した。


癌との毎日 その49

2018-03-19 19:31:18 | 主人のこと
ここ数日の私は眠りも浅く、かと言って一晩中起きていられるほどの体力もなくなっていたため寝落ちしてまってハッと起きたら4時前だった。

携帯を見るがメールも病院からの着信もなくホッとした。
この時私は主人から送られてきた「処置が終わったよ」のメールを鵜呑みにしていて二度寝よろしくいつものように6時まで寝直した。

この日は体育の日で祭日で一番下の息子の学校はお休み。偶然うえの息子も娘もシフトが公休の日だった。
いつものアラームで起きて面会時間開始には病室にいけるようにと洗濯や子供たちを起こしたりと朝のルーチンをこなしてると病院から電話がきた。

8時半すぎ、夜勤帯と日勤帯の交代がすんだ頃だろうと思う、なのできっと昨夜の主人が管を抜いてしまったことの報告だと思った。

でも違っていた。いや、違ってなくもなかった。

私が主人からのメールをみて勝手に管を入れ直してもらっていると思っているだけだった。
主人がゆめうつつで管を抜いてしまったのは事実で、主人がよこしたメールの「処置が終わったよ」は実は『もう管は入れられなかった』だったのだ。

電話をくれた看護師は昨晩の事を説明しながら「ご本人(主人)の痛みと辛いとの訴えと拒否がひどく再度管を入れることはできなかった」と言った。
そして「先ほど個室に移動しました。もう処置(管が入れられない)ができないのでまたいつ誤嚥を起こすかもわかりません、終末期としての個室への移動ですので最後をご家族で過ごしてください」とのことだった。

私からいつもの「おはよう、具合はどう?」のメールに返事も来ていなかった。

変なスイッチ

2018-03-14 18:54:53 | 日記
前回仕事が決まったことを書きました。

その仕事について少しだけ・・・

次の仕事も介護職です。
私としては介護職は自分にとっての天職だと思っています。

たしかにきついし汚いことも多いし、認知の方の理不尽な行動やそのご家族な無理難題の多い環境なので「私は無理」という方も多いのが事実。

でもね、認知になってしまった方々と話しているととても楽しい。
さっき食べた食事の内容は忘れてしまっても、戦時中の辛かった頃、自分が結婚した頃、最初の子供が生まれたとき、その子供が結婚した時など昔の事を話してくれる皆さんと接しているのが楽しいんです。

なので、介護職であればどんな職場であれ働けると思っていました。

今回仕事が決まるにあたり2箇所の施設からお声がかかりました。
自分の中で自宅から近いとか給料がいいとか勤務時間の調整とか実質的なことばかりを考えていました。

どちらもとてもよい施設で雇用条件もほぼ同じ。
ただ決定的なちがいがありました。

片方の施設には「看取り」の方が多いということ。
当然いままで就いてきた仕事場でも「看取り」はあったので何人もの方を看取り見送ってきました。

でも、今はちょっと無理でした。
「看取り」と言う言葉をが面接中に出たときに主人のことがぶわっと思い出されて心臓をギュッと掴まれた気がしました。

「今私に(誰かを)看取ることはできない」

あまりにも引きずっている自分にびっくりしました。
主人がいなくなって5ヶ月近く経ちすっかり日常を取り戻していたと思っていたので自分がここまで動揺するとは思っていませんでした。

まだまだ心の整理がついていないんだと思わされた一言「看取り」

ゆっくり時間をかけて折り合いをつけなければいけませんね。

この変なスイッチがいつ入らなくなるのでしょうかね?・・・


仕事が決まりました。

2018-03-07 17:06:12 | 日記
先月末に急に仕事が決まりました。また介護職です。

2年のブランクが大きく疲れてしまって早々に寝てしまう毎日。

当面以前のスナックでヘルプでと思っていたところに、仕事の方からやってきてくれたような感じでトントンと決まりました。

スナックで知り合ったのにスナックで働くことを嫌っていた主人だったので、なかなか腰をあげない私にしびれを切らしてなにかしたのかもしれませんね(笑)

今は疲れてしまってバタンキューの毎日ですが、また少しずつブログを進めたいと思います。

もし、読んでくれている方がいらっしゃったらごめんなさいね。