あんなに嫌いだったのに

平成29年10月に夫がすい臓がんで先に逝ってしまいました。
定年したら離婚しようと準備していたのに・・・

大晦日

2017-12-30 17:44:59 | 日記
実を言うとうちの主人は鉄道員でした。
なので、付き合ってた一年をたして17年間大晦日を一緒に過ごしたのは数えるほどです。

大晦日に勤務に出てしまうとその出番は終日運行があるので、いつもの出番のように仮眠が取ることはできず、元旦の朝に帰ってきても布団に直行が多かった。

逆に大晦日に家にいても次の日は出番なので、元旦の朝にいつもどおりに出勤していくため、夜更かしはできなかったな~

ここ3年くらいは大晦日~元旦に休みを取ったりもしていたけど、それでも自転車で出かけてしまったり、お互いの実家に挨拶に出たり、逆に私自身が介護の仕事があって自宅でのんびりという記憶はほとんどない。


癌がみつかって、仕事も休職扱いにした頃、「今度の年末年始は普通のお宅みたいにゆっくりできるね。人並みなお正月が初めて迎えられるんじゃない?」なんて話をしていた。
「そうだね、今年はがっつり大掃除をするかな」なんて心にもないことも言っていた。


今年長男が同じ会社に入ったので、主人よろしく盆も正月もない生活になった。
まぁ、普通に年末年始休暇がある会社でも若い子たちは家にいないのだが。

主人はいなくなり、成人したうえの子二人は普通に仕事で、末っ子もバイトを入れたと言う。
今年の年越しは一人で・・いや、主人のお骨遺影となんちゃって二人で静かに過ごそうとおもう。


年末・・・

2017-12-28 18:52:06 | 日記
主人が亡くなってしまったのでもうじき来るお正月の準備はしなくてもいいはずなのですが、やはり年の瀬となるとやることが多く、あまり家でゆっくりすることはできません。

相続関係も年末年始の休業にかかってしまったりするので、年内にできることはやってしまわないといけないし・・・

と、思ってバタバタしてましたがいよいよ今年も残すところあとわずか。
今日が仕事納めの方も多いことでしょう。

スーパーに買い物に行っても8割はお正月商品で、価格もお正月価格(›´_`‹ )
野菜のお高さにびっくりしました。


そして困ったのがお花です。
今主人のお骨が家にあるので週に一回近くの農協で控えめな色目のアレンジを買って置いてあるのですが、今日も買いに行くとお正月用のアレンジばかり。
気にしなくてもいいのかもしれませんが、やはり赤い南天とか金色に吹き付けてある枝もの、松は飾る気になれなくて、でも普通に売ってるいる生花や花束は仏花ばかり・・・

自分でアレンジするセンスは皆無だし、結局ネットで探して年内に届けてくれるお花屋さんで供物用の控えめアレンジを注文しました。

ちょっとお高いけど主人へのお年玉ってことで許してもらいましょうww


お正月はないと言いながら、ちょっとだけいいお酒を買ったので大晦日の夜はそれで晩酌しましょうね( ^^)/🍻\(^^ )


癌との毎日 その29

2017-12-26 17:14:12 | 主人のこと
クリスマスでしたね。
喪中はがきを見た方々から思いがけず連絡を頂いたり、主人と知り会ったかつて働いていたスナックの皆様からお誘いを頂いたりと寂しくないクリスマスでした。
昨日は二日酔いでブログどころではなく・・・
続けますねm(_ _)m

面会時間になり主人の病室へ行く。
横にはなっていなくてベッドに腰をかけてクロスワードをしていた。
顔色は悪くないし、午前中のリハビリで気分転換もできたのだろう。
とても機嫌が良くてよく喋った。
食事もその日の朝から3分粥にレベルアップしていて、お粥嫌いな主人でも「米の粒がわかるっていいよな」などと喜んでいた。「明日は五分粥になるって♪」とこれまた嬉しそう。

私はどんな顔をしていたのだろう。いたっていつも通りに「お!よかったね。お粥嫌いでも重湯よりはましか。」なんて言いながら先ほどドクターとした面談内容を思い出していた。

幸い主人に悟られてはいなかったので名女優といったところだっただろう。

以前に書いたお墓の話が出たのはこの時だった。
前日にドクターから退院の話が出たからだと思う。「退院したらあれこれ片付けないといけないことがいっぱいあるな~」とも言っていた。主人なりにそう長くはないと思っていたのだろう。
本当にドキッとした。このタイミングでこの話。実はドクターとの面談がバレているのか?と焦った。「軽い気持ちで」とその時に書いているが、本当は苦し紛れにでた言葉だった。

改めての(主人は知らないが)面談までの時間は私の心が落ち着かないながら、もとてもとても穏やかに過ごせた。

予定していたドクターと3人(もうひとり病棟担当のドクターが同席で厳密には4人だった)の面談が始まった。
いつもどおりの明るいハキハキとした口調でドクターが切り出す。
「今日はお呼びだてしてすいません、ありがとうございます。」とまず私に頭を下げた。つい数時間前に会って話をしていたのにそんな素振りは欠片もない。「あぁ、この先生は何人もこうやって診てきて、患者やその家族に話をしてきたのだろう。慣れてもいるんだな。」と慣れてしまう境遇にちょっとだけ可哀想になった。

ドクターを目の前にすると意外に冷静になっている自分がいて、主人にどう話を進めるのかと黙って隣に座っていた。

癌との毎日 その28

2017-12-22 19:40:50 | 主人のこと
ドクターに聞いたり言ってやりたいことはたくさんあったはずなのに、言葉にすることはできないままなんと言葉にすればいいのか考えていると、「では、他に何か聞きたいことはありますか?」とドクターから面談を終わらせるそぶりのことを言われた。

聞かなきゃいけない事も言いたいこともあるはずなのに頭の中は「面会時間になってお父さん(主人)の顔を見たときに平静を保てるだろうか???」とそればかりが気になってしまって、今まで感じてきた不信感の文句も言えず「いえ、あとは夕方の主人と一緒の時に聞きます」と答えていた。

ドクターも「そうですね、なによりご主人が一番気になっていると思うので、今後のことは夕方にしましょう」と、面談が終わった。

「では、また夕方よろしくお願いします」と頭を下げ診察室を出るが、心臓はバクバクしたままふわふわと駐車場までいく。

車に乗りエンジンをかける気力もなく「大丈夫か私?」と放心していると、どこかで見られていたのか?と思うタイミングで主人からメールがきた。
「リハビリ行ってきたよ、自転車を5分ばかり漕いできた。楽しかったけど体力が全然ダメで息があがったよ」と。

とりあえずは自分(主人)の状況報告で、見られていたわけではないとほっと一安心し、「ここのところあまり食べてないから体力も落ちるよ。今日5分なら明日は6分を目標に」と療法士さんが言いそうなことを返し、これから一度自宅に戻るのに「そろそろそっちに出る準備をするね、何か欲しいモノある?」と、しらじらしいことを返した。

体を動かしたこともよかったのか、暇つぶしにもなったのか、私が一度自宅に戻っている最中にも他愛のないメールはちまちまと送られてきた。

ふわふわとした気持ちで一度自宅に戻るが、30分もしたらまた病院に向かわなくてはいけない。
主人からのリクエストや着替えを準備して再度病院へいく。
運転しながら「絶対泣かない」「泣いたらばれる」「私は大丈夫」と心の中で繰り返しながら車を走らせていた。

癌との毎日 その27

2017-12-20 20:28:54 | 主人のこと
ドクターと目を合わせられなくなり、目が泳いだと思う。そのままドクターは「今回の入院ははっきり言ってもうダメだと思いました。歩いて家に帰ることはないだろうと入院にさせてもらいました。」と聞きたくない言葉を次々と話し始めた。それをまるで他人事のようにただ「はい」とか「えぇ」としか返せなかった。

しかしドクターが「でもこの一週間ですごく回復しました。食事も取れるようになってきて明日は三分粥から五分粥に変更の指示も出しています。今リハビリにも行っていますので、一度家に帰れるようにしましょう。」と言った。

初めの余命宣告でどん底に落とされた私が「え?退院できるんですか?」と聞くと「はい、一週間後を目処に痛みのコントロールができるようにして、退院しましょう。それがご家族で家で過ごせる最後になると思います。」と再度どん底に突き落とされた。

「あまり長い時間ではないと思うので、どうぞご家族の皆さんでご主人と過ごしてください。次に入院となればもう家には帰れないでしょう」と淡々としたわりには明るい口調で説明された。「えっと、あの・・・退院したあとの治療は・・・」と尋ねると「もう抗がん剤は入れても弱っていくばかりになるので入れません。もし(抗がん剤を)入れて効果が出たとしても年内までは持たないと思います。」とまたまた突き落とされた。

「でも今ご主人に(抗がん剤)治療を辞めると言うときっとがっくり来てますますダメに(弱って)なって行くと思うんです。なので今までのように外来の予約は入れておきます。最後までご主人には希望を持っていてもらいたいんです」と、なんだかよくわからないことを言われた。

頭の中で整理がつかなかった。治療打ち切りならそれを主人に告げてもらい退院後に家で在宅の緩和ケアで痛みや辛さを軽減するだけのこともできるのに、実際は治療打ち切りなのに緩和ケアの手はずも取れないまま弱るのを待って、次に入院になればそれが最期だと言われているのだ。

「主人には治療打ち切りとは言わないんですか?本人は癌が見つかった時に「痛いのは嫌だから緩和ケアがいいな」と言われてるんですが・・・できれば最後は辛い苦しい思いをさせずに家で穏やかに過ごしてもらいたいと思っているんですけど・・・」とやっと私の気持ちを吐き出した。
すると「奥様からご主人に(余命を)話しますか?」とこれまた返事のできないことを言われてしまった。「僕から言ってもいいんですけどね、でも僕は今は言わないで希望をもって一度退院してもらいたいんです。再度入院となった時に僕から言いましょうか?」と言われ、私から主人にはきっと話せないなと思い「そうしてください」と答えていた。