賢い女性とは・・・と問われれば、辰巳浜子のような人と真っ先に浮かんでくる。
戦争をくぐり抜け、食料のない時代に鍋でカンパーニュを焼き
どんなときにも、知恵と努力でそのときできる最上の暮らしを紡いだ人
という印象がある。
そんな辰巳浜子が昭和46年に書いた「足元を見て」という文章の一部。
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元々わが国は資源の少ない国です。衣、食、住の大部分は輸入品でまかなわれ、国民の勤勉さの資源でここまで再建をなし得たのです。街にあふれている物資の量は目を見張るばかりで、消費の無駄が大手を振ってまかり通っています。ショウウィンドーに飾ってある衣類のほとんどは今年買って今年捨てなければならぬような物ばかりで、買手のため等考えず売手のためだけに在るようで胸が悪くなるような物ばかりです。資源不足の国民が、間接にこんな資源の無駄をしてもよいのでしょうか?
若者たちの稼ぎの日銭を無造作に使わせることによって各企業が成り立っているかのようなありさまを見ると、地に足が着いていないむさしさで悲しいばかりです。河をよごし、山をよごし、空気までよごして世界一になったとて、心の公害を受けていることに気が付かず自分勝手のカサカサな心の持主になってはどうなるのでしょう。
人間とは、何故に万物の上に置かれてそれらを治めるために存在するかを、足を地に着けて、よくよく考えねばならぬ時のようです。
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今、辰巳浜子著 辰巳芳子編の『暮しの向付』という本を読んでいる。
その中に上記の文がある。
昭和46年・・・私はまだ生まれていなかったけれど、すでに今の時代の
下地はできたかのような文に驚く。
日本人は、消費することでしか幸せを感じられなくなっている・・・
そんなことが言われる時代。
新しい機種の携帯電話は次々に発売され、あの手この手で新しいものや
流行のものの誘惑にさらされている。
今の時代に浜子さんが生きていたらどう思うのだろう・・・
原発の事故を見たらなんと言うのだろうか。
そんなことが頭をめぐる。