日記の下書き

思いついたことを断片的に書いています。日記の下書きだと思ってください。

父からの電話

2020-03-05 23:51:37 | 日記
先週取材してきたインタビューのテープ起こしをしようとシェアオフィスにこもったのだけれど、認知症の父から携帯にひっきりなしに電話がかかってきてまったく集中できないまま夕方に。知った声で「あなた誰でしたっけ」とか言われると理解していてもふと落ち込みそうになり、そのたびにコンビニで好きな物を買っていいことにして持ちこたえている(太る)。

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父は平成30年ごろから認知症を発症した。思い返せばもうちょっと前からなんとなく言動がおかしかったような気がするのだけれど、はっきりと「認知症」と診断されたのはこの頃だったと思う。

はじめのうちは徘徊がひどくて、一人でどこでも行っちゃうので翌31年の1月から3月まで入院させてもらった。入院中は心を鎮めるための薬をいろいろと調整してもらい、平行して家の中を整え、おだやかに生活できそうなめどがたったところでいったん退院。

退院後はデイケアのサービスを受けながら母がひとりでケアしていたんだけれど、令和元年5月、なにかの拍子に(自分でもわからないらしい)腰骨を骨折、寝たきりになった。

これによりひとりでケアしていた母の負担が増加。母も介護中に腰を痛めて八方ふさがりとなり、しばらくは僕が週末ごとに帰っていたんだけどらちがあかず、いそいで行政に相談、介護認定を申請、要介護3。平行して終日ケアしてくれる介護施設を探す旅に。

4か所の施設と面談をして、すべての施設でウェイティングリストに入れてもらった。父の前には60人くらいが待っている状態らしく(どの施設も60人くらい待っているって言われたので同じ60人なのではないかと思う)、入所できるのはいつになるのかわからないとのこと。

しかし実際は先着ではなく、支援の必要性の高さで優先度を決めてくれているらしかった。何度も面談して話を聞いてもらい、家を見にきてもらい、現状のやばさを訴え続けた結果、一か所でわりとすぐに受け入れてもらえることになった。ほんとうにありがたかった。

その後半年くらいその施設で生活をしていたんだけど、腰も治って歩けるようになったタイミングで母としてはやはり家でケアしたいということで、週の半分を自宅で、残り半分を施設で、という方針でやってみようということに。今に至る。

そしてやはり父は一日一日、確実にいろいろなことを忘れていっている。

忘れることに順位はあるのだろうか。彼の頭の中にもウェイティングリストがあって、それにしたがって忘れているのか、それともやはりなにかしらの優先度があって、どうでもいいことから順に忘れているのか。

僕のことはかなり最初の段階ですっかり忘れてしまったようだった。

もういいやこの話は。最近しっかりと走れてもいないので、やっぱり無理やりにでも走らないといけないなと思う。さぼると気持ちで負ける。

TwitterとかFacebookにはこういうことは書かないけれど、ブログは自分に向けた日記みたいなものなので(ですよね)記録として書いておきます。

家の近くの空き地が放っておかれたままで草原みたいになってきた。春ですね。