4番札所「大日寺」から5番札所「無尽山 地蔵寺(むじんざん じぞうじ)」では約2km。下りだし、さっきのあぜ道と違い舗装された歩きやすい道なのでいっしょになったお遍路のおじさんたちと世間話をしながらのんびり歩く。お遍路1巡目のおじさんに「若い女の子が1人で来て偉いね。お遍路に来たのには理由があるの?」と聞かれる。お遍路に来た理由って質問されるのだろうな~と思っていたら、やっぱり聞かれた。私自身も、お遍路に出る人は不治の病に冒されたり、家族の供養とか特別な理由があったりする人が多いものだと以前は思っていたし、理由を聞いてみたいと思わなくはない。
「弘法大師に興味があって、弘法大師の歩んだ道のりを自分で歩いてみたかったんです。それに、母の供養の気持ちもあって」と答えたら、「そうなんだ。どうりで、なんだかお経に心がこもっていた気がしたんだよ」と褒められた。私は般若心経(はんにゃしんぎょう)を読むのは今回が初めてだったのだが、父方の伯母さんがしょっちゅう私の家にお経を読みに来ていたので、何となくお経を読む独特なのリズムは体に染み付いていたのかもしれない。
「私は、名古屋から来ていてね。いつかお遍路に行きたいとお持っていたんだけど、仕事しているときはなかなか行けなくてさ。定年退職になったので、『区切り打ち』をしながらお遍路を回ろうと思ってやってきたんだ。今回は今日泊まった後、明日には帰るんだ」とおじさんは続ける。
すると、お遍路9巡目のおじさんが「でも、弘法大師に興味を持つなんて若いのに珍しいね」と言ってきたので「私、弘法大師だけでなくて、仏像も大好きで、仏像の本を出したりもしているんです」と答えると、おじさんたちはがぜん興味を持ってくれ、「本!? すごいね。自費出版なの? 」と聞かれた。「本を出している」というと、よく「自費出版? 」と聞かれることが多いが、正直、あんまりいい気持ちはしない。
「いえ、自費出版ではなくて、ちゃんと印税いただいているんですよ」「へぇ~、すごいね。なんて本?」「『仏像、大好き!』という本です」「帰ったら図書館で、探してみるよ」と言われた。できたら、図書館ではなくて本屋さんで買って欲しいのに。もちろん、そんなことは思っても言わなかったけれど。
「五百羅漢」で有名な地蔵寺
そうこう話しているうちに、5番札所の地蔵寺に到着した。仁王門を入ったところに樹齢800年と伝えられているイチョウの巨木がドドーンと植わっていて、遠くからでもよく見える。このイチョウの木は、「たらちね銀杏」と名付けられていて、なんと弘法大師のお手植えなんだそうだ。本当に弘法大師はあっちこっちで木を植えたり、井戸を彫ったという伝説が残っている。
無尽山 地蔵寺の仁王門
地蔵寺は、弘仁12(821)年に、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開基したお寺。お堂は、天正年間(1573~1592)の、長宗我部の兵火により全てを焼失してそれ以降に再建されたものだそうだ。かつては300の末寺があったというだけあって境内は広い。弘法大師自らが刻んだ本尊の勝軍地蔵菩薩は、後に浄函上人が彫った延命地蔵尊の胎内に納められたそうで、見る事はできない。
地蔵寺の看板小僧
弘法大師像
また、地蔵寺の本堂の裏側の石段を上ったところにある奥の院は木造の「五百羅漢」がいらっしゃる。創建は江戸時代の安永4(1775)年だが、大正年間に燃えて復興したもの。だから「五百羅漢」というが、ここの羅漢さんは約200体しかいらっしゃらないという。羅漢とは、阿羅漢(あらかん=悟りを得て、人々から尊敬を受ける人)の略だそうだ。私はまたしても、おじさんたちとしゃべっていたのと、宿にたどり着けるか焦っていたので、すっかり見物を忘れてしまっていた。後でパンフレットの写真で見たら、 カラフルな色が塗られた羅漢さんがズラリと並んでいたので、見なかったのが一層悔やまれた。本堂と大師堂にお参りして御朱印をもらったらお遍路9巡目のおじさんは言った。
「私はこの近くの宿を予約したので、ここでお別れです」
「えっ、そうなんですか!?」
頼りになるおじさんがいなくなるので、私が心細そうな顔をしたら
「次の安楽寺まで、約5kmあるから、今度はバスに乗って行けばどうかな? すぐ先の県道に出ればバス停があるよ」
とアドバイスをもらい、そこでお別れした。そしてもう1人のおじさんと2人で、次の6番札所「安楽寺」を目指して歩き出した。