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レビュー「Supergirl Archives」
※2003年7月頃に書いた文章です。
~決して戦わないスーパーヒロイン~
先日、テレビ番組のコーナーで、映画「007」シリーズにおけるボンドガールの変遷というのを紹介していた。それによると、シリーズ当初のボンドガールは受け身的で、主人公のジェームズ・ボンドに助け出されるのを待っている被害者タイプだったのが、時代とともに変化してきて、最新作ではボンドと肩を並べて戦うほど強くたくましい女性へと進化してきたのだという。
もちろん、これはフェミニズムの台頭により、男女平等社会の基礎がつくられ、女性の社会進出の機会が増加したことと無縁ではない。あらゆる偏見が取り除かれ、誤った社会的イメージが修復されるというのは、大変よろこばしいことではある。しかし、本当にこれでいいのだろうか? 男性と同じように表舞台で活躍すること、男性と同じ行動パターンをすること、それが女性にとっての理想的な生き方だろうか? 果たしてそれが本当に“女性の持っている力”なのだろうか? 今回紹介するのは、ある意味もっとも“女性らしい女性”スーパーガールの物語である。
ある日、メトロポリス郊外に、一機のロケットが不時着する。現場に駆けつけたスーパーマンの目の前で、ロケットのなかから胸にSマークのついた青いコスチュームを着た少女が飛び出してくる。驚くスーパーマンに対し、少女は自分の生い立ちを説明する。実はクリプトン星が爆発した時に、巨大な岩盤の破片が宇宙空間に吹き飛ばされた。その岩盤の上には、一つの都市とその住民が無傷で残されていた。そのまま何年かが過ぎ、その都市もクリプトナイトの放射線に冒され破滅を余儀なくされた時、地球にスーパーマンというクリプトン人の生き残りがいることを知った科学者が、娘である自分をロケットに乗せてここに送り込んだのだという。しかも、運命のいたずらと言うべきか、彼女(カーラ・ゾー=エル)とスーパーマン(カル=エル)はいとこ同士の関係にあったのだ。
カーラはスーパーマンと同じ超能力を持っていたものの、スーパーマンはまだ若く経験の浅い少女を危険な目に遭わせるわけにはいかないと判断し、彼女にスーパーガールとして人前に出ることを禁じたうえで、ミッドヴェール孤児院へと送り込む。こうして、リンダ・リーと名乗ったカーラはスーパーマンと離れ、スーパーガールとしての正体を隠したまま、孤児たちに囲まれて生活を始めることになった。
この『Supergirl Archives』では、リンダ・リーが自分の正体を隠したまま、超人的な能力を使ってさまざまなトラブルを解決していく冒険の数々を描いている。ただし、冒険と言っても、派手な敵と戦うわけではない。スーパーガールの正体を探ろうとする少年をごまかしたり、年少の子供たちに妖精の存在を信じさせたり、クリプトナイトの影響を受けて超能力を得たネコと遊んだり、自分を養女にしようとする善良な夫婦を救ったりといった、ごくごく日常的な事件を扱っている。一般的なスーパーヒーローコミック(特に暴力シーンだらけの現代のアメコミ)とは、雲泥の差である。彼女がスーパーパワーを使うのは、倒れる木から子供を救うためであり、ビニール袋をかぶってしまった赤ん坊を救うためであり、イヌにいじめられているネコを救うためなのである。
力には2つの種類がある。戦う力と守る力である。男性は(オスは、と言ったほうがいいかもしれないが)主に戦う力を使って、この世界のなかで生き延びようとしている。相手を征服することで、自分という存在を守ろうとしているのだ。しかし、この世界はそんな強引な駆け引きだけで成り立っているのではない。時には戦うことも大切だが、それ以上に何かを守ろうとする力のほうが大切なこともある。昨今の映画や小説に登場するヒロインというと、精神的にも肉体的にも強くてタフな男性型の戦うヒロインが多いように見受けられる。別にそれはそれでかまわないのだが、何か違和感を感じることも確かである。もちろん、男性は戦う力を使って、女性は守る力を使うべきだなどと言っているのではない。そうではなく、男も女もその2つの力をうまく両立して使い分けることが必要ではないかと思う。この作品のなかで、スーパーガールはスーパーマンに匹敵するほどの大いなる能力を持ちながらも、決してその力を使って誰かと戦おうとはしない。彼女はあくまでも大切な何かを守るためにだけ、その超能力を使うのである。他国を征服することで、自国の優位を証明しようとするような低レベルな外交政策しか考えられない各国首脳にも、ぜひ読んでもらいたい作品である。
少々堅い話になってしまったので、最後に軽い話を一つ。『Amazing Spider-Man』のなかで、スーパーガールが描かれた『Action Comics』の表紙を見たピーター・パーカーが、「このミニスカートの女の子が好きだったんだ」という場面が出てくる。『マーヴルクロス』でも翻訳されていたので、ご記憶のかたも多いだろう。このピーターの淡い恋心は、よく理解できる。と言うのも、リンダ・リーはしばしばページのなかから読者に向かってウインクするのだが、これがまた何とも言えずかわいいのである。しかも、スーパーガールの正体がリンダであることを知っているのは、スーパーマンを除けば、リンダ自身と読者のみ。これはいわば2人きりで秘密を共有しているようなもの。憧れの女の子に「誰にも言わないでね」と言われて、秘密を打ち明けられるようなものである。ピーターのような内向的な男の子なら、これだけでノックアウトだったろう。さあ、あなたも本書を読んで、ぜひスーパーガールに恋をしてほしい。値段は少々高いが、それだけの価値はあると断言しよう。
追記:現在は総集編の合本が刊行中。
Supergirl: Silver Age vol.1
Supergirl: Silver Age vol.2
~決して戦わないスーパーヒロイン~
先日、テレビ番組のコーナーで、映画「007」シリーズにおけるボンドガールの変遷というのを紹介していた。それによると、シリーズ当初のボンドガールは受け身的で、主人公のジェームズ・ボンドに助け出されるのを待っている被害者タイプだったのが、時代とともに変化してきて、最新作ではボンドと肩を並べて戦うほど強くたくましい女性へと進化してきたのだという。
もちろん、これはフェミニズムの台頭により、男女平等社会の基礎がつくられ、女性の社会進出の機会が増加したことと無縁ではない。あらゆる偏見が取り除かれ、誤った社会的イメージが修復されるというのは、大変よろこばしいことではある。しかし、本当にこれでいいのだろうか? 男性と同じように表舞台で活躍すること、男性と同じ行動パターンをすること、それが女性にとっての理想的な生き方だろうか? 果たしてそれが本当に“女性の持っている力”なのだろうか? 今回紹介するのは、ある意味もっとも“女性らしい女性”スーパーガールの物語である。
ある日、メトロポリス郊外に、一機のロケットが不時着する。現場に駆けつけたスーパーマンの目の前で、ロケットのなかから胸にSマークのついた青いコスチュームを着た少女が飛び出してくる。驚くスーパーマンに対し、少女は自分の生い立ちを説明する。実はクリプトン星が爆発した時に、巨大な岩盤の破片が宇宙空間に吹き飛ばされた。その岩盤の上には、一つの都市とその住民が無傷で残されていた。そのまま何年かが過ぎ、その都市もクリプトナイトの放射線に冒され破滅を余儀なくされた時、地球にスーパーマンというクリプトン人の生き残りがいることを知った科学者が、娘である自分をロケットに乗せてここに送り込んだのだという。しかも、運命のいたずらと言うべきか、彼女(カーラ・ゾー=エル)とスーパーマン(カル=エル)はいとこ同士の関係にあったのだ。
カーラはスーパーマンと同じ超能力を持っていたものの、スーパーマンはまだ若く経験の浅い少女を危険な目に遭わせるわけにはいかないと判断し、彼女にスーパーガールとして人前に出ることを禁じたうえで、ミッドヴェール孤児院へと送り込む。こうして、リンダ・リーと名乗ったカーラはスーパーマンと離れ、スーパーガールとしての正体を隠したまま、孤児たちに囲まれて生活を始めることになった。
この『Supergirl Archives』では、リンダ・リーが自分の正体を隠したまま、超人的な能力を使ってさまざまなトラブルを解決していく冒険の数々を描いている。ただし、冒険と言っても、派手な敵と戦うわけではない。スーパーガールの正体を探ろうとする少年をごまかしたり、年少の子供たちに妖精の存在を信じさせたり、クリプトナイトの影響を受けて超能力を得たネコと遊んだり、自分を養女にしようとする善良な夫婦を救ったりといった、ごくごく日常的な事件を扱っている。一般的なスーパーヒーローコミック(特に暴力シーンだらけの現代のアメコミ)とは、雲泥の差である。彼女がスーパーパワーを使うのは、倒れる木から子供を救うためであり、ビニール袋をかぶってしまった赤ん坊を救うためであり、イヌにいじめられているネコを救うためなのである。
力には2つの種類がある。戦う力と守る力である。男性は(オスは、と言ったほうがいいかもしれないが)主に戦う力を使って、この世界のなかで生き延びようとしている。相手を征服することで、自分という存在を守ろうとしているのだ。しかし、この世界はそんな強引な駆け引きだけで成り立っているのではない。時には戦うことも大切だが、それ以上に何かを守ろうとする力のほうが大切なこともある。昨今の映画や小説に登場するヒロインというと、精神的にも肉体的にも強くてタフな男性型の戦うヒロインが多いように見受けられる。別にそれはそれでかまわないのだが、何か違和感を感じることも確かである。もちろん、男性は戦う力を使って、女性は守る力を使うべきだなどと言っているのではない。そうではなく、男も女もその2つの力をうまく両立して使い分けることが必要ではないかと思う。この作品のなかで、スーパーガールはスーパーマンに匹敵するほどの大いなる能力を持ちながらも、決してその力を使って誰かと戦おうとはしない。彼女はあくまでも大切な何かを守るためにだけ、その超能力を使うのである。他国を征服することで、自国の優位を証明しようとするような低レベルな外交政策しか考えられない各国首脳にも、ぜひ読んでもらいたい作品である。
少々堅い話になってしまったので、最後に軽い話を一つ。『Amazing Spider-Man』のなかで、スーパーガールが描かれた『Action Comics』の表紙を見たピーター・パーカーが、「このミニスカートの女の子が好きだったんだ」という場面が出てくる。『マーヴルクロス』でも翻訳されていたので、ご記憶のかたも多いだろう。このピーターの淡い恋心は、よく理解できる。と言うのも、リンダ・リーはしばしばページのなかから読者に向かってウインクするのだが、これがまた何とも言えずかわいいのである。しかも、スーパーガールの正体がリンダであることを知っているのは、スーパーマンを除けば、リンダ自身と読者のみ。これはいわば2人きりで秘密を共有しているようなもの。憧れの女の子に「誰にも言わないでね」と言われて、秘密を打ち明けられるようなものである。ピーターのような内向的な男の子なら、これだけでノックアウトだったろう。さあ、あなたも本書を読んで、ぜひスーパーガールに恋をしてほしい。値段は少々高いが、それだけの価値はあると断言しよう。
追記:現在は総集編の合本が刊行中。
Supergirl: Silver Age vol.1
Supergirl: Silver Age vol.2
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