アメノミミ

降り始めの雨のようにポツポツと言葉が落ちてくるようになった。
時に雨となるその言葉を書きとめるブログ。

苦痛

2018年11月01日 12時21分00秒 | アメ
突き詰めれば苦痛は魂が目覚めるためにある

しかし何を苦痛と感じるかは各々の発達段階によって異なる

魂と低我の開きが甚だ大きい場合

より大きな苦痛でしか魂は目覚め得ない

魂と低我の距離が縮まるにつれて

小さい苦痛によって目覚めるようになる

ただしそれは客観的な苦痛の度合いであり

本人が味わう苦痛の大きさとは別である

魂と低我が近づくほどに苦痛の鮮明さは増すゆえに

客観的に些細な苦痛

例えば人から冷たくあしらわれるなどの苦痛でも

拷問に匹敵する主観的苦痛を伴うのである

新しい世代が繊細であるのは

一重に魂と低我との距離が縮まっているからであり

弱いわけではないのだ

客観的に大きな苦痛に耐えうる世代は

その世代で起きる出来事と果たすべき役割のためにそのような仕様になっている

今の世代においては滝行や断食を始めとする苦行は

必ずしも必要では無くなってきているように見える

刺激を和らげた行で同じ効果が上がると推測される

もちろん同世代であっても旧世代の仕様になっている人もいる

次世代仕様になっている人もいる

自分の繊細さは各々がこの社会の中で感じているはずなので

それに合わせれば良いであろう

やがては想像上の中の不和だけで苦痛を感じる段階に達する

しかしそのころには苦痛によって魂が目覚めるのではなく

甘美な刺激によって目覚め得るようになる

例えば音楽や絵画や香りや味などの刺激によって

今でも条件が整えばそれらの刺激で目覚めうるが

往々にして慣れてしまい不感症になり

より強い刺激でなければ感応しなくなる

そのために非常に刺激的な音楽や食べ物が流行している

今でも魂の目覚めに近づいている多くの人は

強すぎる刺激を避けより繊細な味や音や色や香りを好む


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