アメノミミ

降り始めの雨のようにポツポツと言葉が落ちてくるようになった。
時に雨となるその言葉を書きとめるブログ。

推奨と根拠

2020年11月27日 23時00分00秒 | アメ
もし私があなたに何かを推奨するならば

推奨する根拠を明確に伝えなくてはいけない

それが強制ならば尚のこと

揺るぎない根拠を示さなければいけない

例えば

マスクを外す事を推奨或いは強制するならば

マスクが害である事を示すか

マスクをする必然性が全くない事を示す必要がある

これは全く道理であると納得していただけると信じる

そのような根拠を示さず

ただマスクを外しなさい

と言うだけで従う人は「いない」はずである

少なくとも考える頭が在るならば

または根拠が薄弱で反論の余地だらけならば

やはりその推奨及び強制は一笑に伏せられるのが道理だろう

少なくとも考える頭が在るならば

さて一年前我々はマスクをしていない状態がノーマルであった

今は逆である

マスクを強く推奨されそれは殆ど強制に近い

推奨及び強制をするならば

その根拠を明確にしなければならない

ところが未だにこの感染症が存在している事を

証明出来ていないのが事実なのだ

この感染症の原因であると言っているウイルスの構造が

病原性を持つのかどうか

公表されているゲノム構造が正しいのかどうかさえ

確かめるプロセスを省き

感染症対策を銘打つ凡ゆる種類の強制を行なっている

何故人々は何も考えずに従うのか

無数の矛盾があり

少しでも事実と言われているものをめくり上げれば

その中身は嘘である事が分かる

何故こんなにも根拠が薄弱なものに

人々は従うのか

そしてその反対に

マスクをしなくていい根拠は豊富にある

しかしそれらを伝える事は検閲され

排除されている

また伝えても行動を変える人は稀である

自分に課せられている強制の根拠を

人は真摯に求めてよい

彼等が提示している根拠は

突き詰めると

あなたの心に埋め込んだ恐怖

それだけである

そしてその恐怖に根拠はない

騒ぎ立てているコレが

存在しない根拠は十分過ぎるほどにある

少なくともこのウイルスが存在するのならば

施行される強制に根拠を与える為に

存在が証明されるはずである

殆ど全ての人が証明されていると信じ切っている

証明されていなければ

こんなに多くの国や多くの人が動くはずはないと

しかしそれは唯の推論に過ぎない

PCR検査の中身も知らず

陽性者を感染者と報道する事に疑問を抱かず

カウントされる死者の定義も知らず

911 311 の時と同じく

垂れ流される情報にゾンビのように従っている

信じていないものを疑うのは容易い

信じているものを疑うのは容易ではない

しかし信じているものこそ

点検される価値がある

信じているものはあなたの一部だからだ

もしニュースを信じているのなら

もし政府を信じているのなら

もし医学を信じているのなら

もしワクチンを信じているのなら

もし支配者たちの良心を信じているのなら

一つ点検してみるといい

今に情報操作が完了し

ネット上には何一つ真実を見出せなくなる

そしてその時にはネット以外の情報源は断たれている

しかし恐れる事はない

真実は内なる声からもたらされる

心とは真実を指すコンパスである

そしてそのコンパスは魂を持つ全ての人に宿っている

外の声が五月蝿いのは

内なる声をかき消す為である

内なる声を頼りにされては不味いのだ

全ての人が真実と虚偽を見分けてしまうから

もう人を騙し

人と人とを争わせる事が出来なくなってしまうから

バベルの時に破壊された共通の言葉とは

この内なる心の言葉である

内なる声を聴く耳を忘れさせられた





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