春分、夏至、秋分、冬至は
地球という惑星で季節の変わり目となる重要な日です
春分と秋分は地球上全ての場所で昼と夜が同じ長さになる日であり
太陽は真東から昇り真西に沈みます
夏至は最も日が長くなる日
冬至は最も日が短くなる日です
これらは人が勝手に決めたものではなく
地球という惑星において決定していることです
故にこれらの特別な日は細胞レベルで刻まれており
この日に大地や天と繋がるために
古来から人は祈りを捧げてきました
天地が新しい季節へと移り変わる日
世界が生まれ変わる日であり
その変化を身体と心で感じ同調し
新しい世界と共鳴するためです
そのような日にかれこれ数年前から私は音楽会とお話会というものを開き
次の季節で重要となることを話し
またその時に相応しい音楽を通して
新しい世界・季節との同調を促すのです
この日が近づくと私を通して今生きている人たちに語り掛けたい存在達が集まってきます
そして今回伝えるべきこととその情報を様々な形で教えてくれるのです
今までは来てくださった方に伝えるだけでしたが
今回からはアメノミミにも記録していくことにしました
何故ならそのメッセージは個人的なものではなく
主に今の日本に生きている人たちへ向けられているものだからです
2019年秋分の音楽会とお話会は23日に行われます
この文章を書いているのが22日なので
この通りの内容が伝えられるかどうかは定かではありません
瞬間的にメッセージが降りてくる場合もあるので
付け足される可能性が大ですが
今のところ来ている内容をお伝えいたします
今回は罪と穢れについてです
真の罪とは一般的に言われているものではありません
罪とは積むことを意味しています
どこに?何を?
外に出せない言葉や想いを心の中に積んでいくことです
それによってあなたの波動は重くなり
波動の重い世界ではさらに制限が厳しくなり
さらなる罪を心に積むことになります
そして下へ下へと沈んでゆきます
なぜそれがいけないのでしょう
いけなくはありません
苦しい世界が好みならば
しかし本来のあなたの波動は積みのない状態です
という事は本来の波動ではない世界に行くということになります
それは苦しいことなのです
本来の自分でいられないというのは不幸なことです
そしてあなたという存在を害しているという点で
宇宙にとっての損失でもあります
自分にとっても他人にとっても罪は積まない方がよいという事です
穢れとは氣が枯れることを意味しています
汚れと同じく普通に生活していれば穢れます
そのためお風呂に入って身体の汚れを落とすように
心の汚れも落としていかなくてはいけません
穢れには外からくるケガレと内から出るケガレがあります
外から来るケガレは清めれば良いです
それは沐浴や香で祓います
穢れは溜まっていくと運気が落ちます
健康も害し良い縁が紡げなくなります
内から来るケガレも生きている限り不可避な事象です
垢が溜まったり便を排泄して体内のゴミをださなくてはいけないのと同じです
心の新陳代謝が活発ならば内から来るケガレも多く出ますがそれはそれで良いことです
お通じが良いという事です
問題は内なるケガレが出てこないことです
これは罪と関係しています
罪を積む精神構造を持っている人は内なるケガレを外に出せず溜めてしまいます
溜まった毒は心と身体の中に浸透していきます
そしてその人自身がケガレの塊になります
こうなると洗っても落ちません
軽い場合は風邪などで済みますが
そのように罪を溜め込む精神構造を持っている人は
風邪のごときは封じ込めてしまいます
そしてやがて大きな病気や事故といった生命を脅かす事象へと繋がります
事そこに至って今までの考え方が間違っていたことに気付くのです
気付きとは精神構造の変革です
自分の本心に気付くことによって罪がいくらか解消され
流れが良くなりケガレもそれに応じて少なくなります
さて日本人の特性は無垢にあります
それは積みのない状態です
無垢なものを尊ぶ心が深いのです
気の枯れた土地をケガレチといい
気の良い土地をイヤシロチといいます
日本人はイヤシロチを作ることの出来る民族です
神社という場所は人工的に作られたイヤシロチです
元々イヤシロチだったところに造ることが多いですが
それもまたイヤシロチを尊び維持しようという心の顕れです
またそうでない土地に神社を作り
イヤシロチに準ずる土地にしていくことも多いです
そうすることで周囲の土地の気の流れが良くなり
実りが良くなり人々の病気も少なくなります
どのようにイヤシロチを作るのでしょう
それを説明するにはまず神社とは何かを知る必要があります
神社とは人なのです
人こそ神が宿る社なのです
我が身を清めること
あなたに与えられた空間である肉体を清め
癒すことこそイヤシロチを作る第一歩であり神髄なのです
神社には神の御霊が宿る依り代があり
依り代が安置される本殿があり
参拝者が入る拝殿があります
神の御霊の宿る依り代はあなたの魂です
そして魂の宿る心が本殿であり
身体が拝殿です
人に会うとは神社に参拝することを意味しています
またあなたの姿は神社の宮であり境内です
それが祀られているあなたの魂を神格を十分に現わしているかどうかが重要です
あなたの魂は何者なのか
どの様な性質なのか
知らなくてはいけません
そしてあなたの本殿に入れるのは基本的にあなただけなのです
自らの心という本殿に入り魂を感じます
魂と心が共鳴しているのか
不協和音を発していないか
深く聴きいります
共鳴しているならば次のステップに移行できます
心と身体は一致しているか共鳴しているか
思っていることや言っていることと行っていることがズレていないか
よくよく観察します
全てが共鳴してようやく人として生きることが出来るのです
魂の顕れとして生きることが出来るのです
それは罪のない状態であり
穢れを洗い流せる状態です
必要以上の穢れを溜めず貰わない状態です
この無垢の状態を生み出すことこそイヤシロチを作ることです
身体をイヤシロチにすることが出来るならば
それを外の世界に表現することも可能なのです
さて穢れは結果のようなものです
罪は穢れの源流に位置しています
罪を作らない積まない生き方を覚える必要があります
罪には二つあります
自分を赦さないこと
人を赦さないこと
の二つです
自分を赦さないとは
思っていることを言わないやらないこと
思う事すら許さないことです
そんなことしてはいけない
言ってはいけない
望んではいけない
思う事すら許されない
そんな思いこそが罪を作ります
一般には
そんな罪深いことを考えてはいけない
などと言いますが
真実は考えないようにすることこそが罪なのです
まず自分の望んでいることを素直に認めることです
自分とはそのような欲望や願望がある存在なのだと
それは自分と向き合い
そして赦すことです
世間で人がどんな評価をしようと
あなたがあなたを批判する必要などないのです
あなたは地球上全ての人が敵に回っても
あなた自身の最後の友であるべきなのです
さて自分の願望が全て分かったならばそれらを抑圧することを辞めたならば
次には実行することですがこの世では抜き差しならない状態に陥ることもあります
全てを白日の下にさらす覚悟が出来ない人は
紙に書くことをお勧めします
そのようにともすれば他人に露呈する可能性のある状態に置くことで
積みは軽くなります
言ってみれば荷物を置くことに相当します
全てをさらすことは荷物を手放すことです
心を書くことは荷物を置いて休むことになります
自らをイヤシロチに変えられた人は存在自体が癒しとなります
その人が触れるだけで気が整い病が癒えることさえあります
逆に存在がケガレになっている人は出逢う人全てにケガレを移してゆきます
罪と穢れが最も祓われる瞬間は死です
故に今回の音楽会では音楽を通して死への旅生まれ変わりの旅をします
人は死の可能性を感じるとき
全ての偽りが剥がれ落ちます
自分一人で生きていたのではなく
生かされていたことを思い出します
今の今までいかに傲慢に染まっていたかに愕然とします
心臓1つ自分で動かしていなかったことを思い出します
そして大切なものだけが残り
いかに無益なもののために奔走していたかを知ります
いや無益なものこそ人を奔走させる使者だったのです
大切な人や愛する人にかけた最後の言葉は何だったでしょうか
それがお別れの言葉です
その言葉で良かったのでしょうか
今死ぬことを前提に入れてかけた言葉だったのでしょうか
それがあなたの本心の中の本心だったのでしょうか
私たちが人に語り掛ける言葉はいつもそれが最後になる可能性を秘めています
この世で溜めた全ての物は置いて行かねばなりません
この世で蓄えた知識はあの世でも役に立つのでしょうか
一体何が大切だったのか
この世で生きている時に考えていたものとはまるで異なることがハッキリと分かります
人は肉体から離れるとアストラル界へ移行します
次元間を渡るとき殆どの人は無意識になるようです
一部の人と特別な修行をした人は意識を保ったまま次元間を移行します
アストラル界ではまずこの世の旅の疲れを癒します
十分な休息をとる必要があります
それほどこの物質世界は大変な世界だったのです
休息地は魂の故郷に似た場所になります
人それぞれですが最も安らぐ環境で過ごします
十分な休息をとると今度は現世でのやり残しが浮かび上がってきます
もっと~をしたかったという欲求です
欲求はアストラルのエネルギーです
この欲求がアストラル体を維持し動かします
やり残しのない人は速やかに第二の死を迎えます
アストラル体が崩壊しもう一つ上の次元へと行きます
第五次元はメンタル界と呼ばれ理性や知性の座です
ここが人間霊の故郷です
ここに至ってようやく帰ってきたことになります
一人一人に家があったように
ここでは一人一人に世界があります
あなたを脅かすものは何一つありません
一般に天国と言われるのはこの世界のことです
さてメンタル体が十分に発達していない人にとってこの世界は退屈です
余りに退屈すぎて眠ってしまいます
メンタル体未発達な人とは
怠惰で創造力のない人です
他人の真似しかせず
自発的な考えがなく
好きにしていいよと言われると困る人です
あくまで問題がおこらない限り動こうとはせず
問題があっても極力避けて過ごします
そのような精神構造の人は完全にストレスのない世界に行くと
何もすることがなく眠ってしまいます
一方この世では様々な制約があり自分のアイディアを実行できなかった人は
ここにおいて創造性を解放します
退屈などとは正反対の生活を満喫します
さてここでの生活もじきに終わりメンタル体が崩壊し第三の死を迎えます
そしてコーザル界へと上昇します
ここは魂の世界の最下層であり
ようやく魂という自分の本質に完全に還る場です
ここでは多くの人が半覚醒状態で過ごします
生きているうちから魂が覚醒していた人コーザル体が活性化していた人は
意識を保ったまま存在することが出来ます
ここにきて初めて人生を魂の視点から見て公平に判断できます
魂に響く体験しかこの世界に持ち帰ることは出来ないからです
持ち帰れた宝物を鑑定することが出来ます
生れる前に予定した計画はどれくらい果たせたのか初めて分かります
この世界は下の界にまだ具現化されていないものが存在します
本当の意味での創造的な力を担当する世界です
下の世界を過去から未来に渡り俯瞰することが出来ます
そして下の世界に何が必要なのか
それが導入されるとどう変わってゆくのかその結果まで見ることが出来ます
意識のある人はこのコーザル界にて次なる生の目標を決めます
意識のない人は前の生の延長や反動としての次の生が決まります
そうして現世でまだ導入されていない考えやシステムという贈り物を携えて
それが開花できそうな環境と母体へと宿るのです
こうして各界で罪と穢れを落とし無垢な状態に還り新たな赤子として生まれ変わるのです
前の生で溜め込んだ罪と穢れの一切は落ちますが
罪を生み出す精神構造は維持されます
それ故に生まれ変わった先でも同様の罪を積んでいくことになります
しかしその生の中で魂に響く体験をするたびに少しづつ変化してゆき
ついには罪を積まない精神構造・メンタル体を獲得するのです
罪を積むことが上手い人は他人に罪を積ませることにも長けています
それは自動的にそうなってしまうのです
ちょっとした言葉で直ぐに怒りを爆発させる人の周りにいる人は
言葉を呑むようになります
それは即ち罪を積むことなのです
怒りを爆発させる人は感情を抑えていないので罪を積んでないように思えるかもしれません
しかしそうではないのです
常に怒りを爆発させるタイミングを伺っているような人は
心に自分で生産した怒りという毒を溜めているのです
そしてそれを他者のせいにしてぶちまける時を見計らっているだけなのです
表面的に怒っていない平時に溜めまくっているのです
罪を積み続けているのです
魂のエネルギーは六次元にあり
精神構造である五次元の身体を通り
感情という四次元の身体から
肉体という三次元で表現されます
543次元全ての身体をクリアにすることでしか
魂の力を正しくこの世に降ろすことは出来ません
2019年は秋分以降
特に冬至から春分にかけて創造力という魂の力を世界が必要としています
それは高次の世界において大幅な軌道修正の計画が持ち上がっていることを意味しています
そのためにここで罪と穢れを十分に祓っておく必要があるということのようです
最後までお読みくださりありがとうございました
次回は冬至12月22日(日)に音楽会とお話会をやります
このイベントは完全予約制です
開催場所は未定ですが関東でやる予定です
ご興味ある方はご連絡くださいませ
地球という惑星で季節の変わり目となる重要な日です
春分と秋分は地球上全ての場所で昼と夜が同じ長さになる日であり
太陽は真東から昇り真西に沈みます
夏至は最も日が長くなる日
冬至は最も日が短くなる日です
これらは人が勝手に決めたものではなく
地球という惑星において決定していることです
故にこれらの特別な日は細胞レベルで刻まれており
この日に大地や天と繋がるために
古来から人は祈りを捧げてきました
天地が新しい季節へと移り変わる日
世界が生まれ変わる日であり
その変化を身体と心で感じ同調し
新しい世界と共鳴するためです
そのような日にかれこれ数年前から私は音楽会とお話会というものを開き
次の季節で重要となることを話し
またその時に相応しい音楽を通して
新しい世界・季節との同調を促すのです
この日が近づくと私を通して今生きている人たちに語り掛けたい存在達が集まってきます
そして今回伝えるべきこととその情報を様々な形で教えてくれるのです
今までは来てくださった方に伝えるだけでしたが
今回からはアメノミミにも記録していくことにしました
何故ならそのメッセージは個人的なものではなく
主に今の日本に生きている人たちへ向けられているものだからです
2019年秋分の音楽会とお話会は23日に行われます
この文章を書いているのが22日なので
この通りの内容が伝えられるかどうかは定かではありません
瞬間的にメッセージが降りてくる場合もあるので
付け足される可能性が大ですが
今のところ来ている内容をお伝えいたします
今回は罪と穢れについてです
真の罪とは一般的に言われているものではありません
罪とは積むことを意味しています
どこに?何を?
外に出せない言葉や想いを心の中に積んでいくことです
それによってあなたの波動は重くなり
波動の重い世界ではさらに制限が厳しくなり
さらなる罪を心に積むことになります
そして下へ下へと沈んでゆきます
なぜそれがいけないのでしょう
いけなくはありません
苦しい世界が好みならば
しかし本来のあなたの波動は積みのない状態です
という事は本来の波動ではない世界に行くということになります
それは苦しいことなのです
本来の自分でいられないというのは不幸なことです
そしてあなたという存在を害しているという点で
宇宙にとっての損失でもあります
自分にとっても他人にとっても罪は積まない方がよいという事です
穢れとは氣が枯れることを意味しています
汚れと同じく普通に生活していれば穢れます
そのためお風呂に入って身体の汚れを落とすように
心の汚れも落としていかなくてはいけません
穢れには外からくるケガレと内から出るケガレがあります
外から来るケガレは清めれば良いです
それは沐浴や香で祓います
穢れは溜まっていくと運気が落ちます
健康も害し良い縁が紡げなくなります
内から来るケガレも生きている限り不可避な事象です
垢が溜まったり便を排泄して体内のゴミをださなくてはいけないのと同じです
心の新陳代謝が活発ならば内から来るケガレも多く出ますがそれはそれで良いことです
お通じが良いという事です
問題は内なるケガレが出てこないことです
これは罪と関係しています
罪を積む精神構造を持っている人は内なるケガレを外に出せず溜めてしまいます
溜まった毒は心と身体の中に浸透していきます
そしてその人自身がケガレの塊になります
こうなると洗っても落ちません
軽い場合は風邪などで済みますが
そのように罪を溜め込む精神構造を持っている人は
風邪のごときは封じ込めてしまいます
そしてやがて大きな病気や事故といった生命を脅かす事象へと繋がります
事そこに至って今までの考え方が間違っていたことに気付くのです
気付きとは精神構造の変革です
自分の本心に気付くことによって罪がいくらか解消され
流れが良くなりケガレもそれに応じて少なくなります
さて日本人の特性は無垢にあります
それは積みのない状態です
無垢なものを尊ぶ心が深いのです
気の枯れた土地をケガレチといい
気の良い土地をイヤシロチといいます
日本人はイヤシロチを作ることの出来る民族です
神社という場所は人工的に作られたイヤシロチです
元々イヤシロチだったところに造ることが多いですが
それもまたイヤシロチを尊び維持しようという心の顕れです
またそうでない土地に神社を作り
イヤシロチに準ずる土地にしていくことも多いです
そうすることで周囲の土地の気の流れが良くなり
実りが良くなり人々の病気も少なくなります
どのようにイヤシロチを作るのでしょう
それを説明するにはまず神社とは何かを知る必要があります
神社とは人なのです
人こそ神が宿る社なのです
我が身を清めること
あなたに与えられた空間である肉体を清め
癒すことこそイヤシロチを作る第一歩であり神髄なのです
神社には神の御霊が宿る依り代があり
依り代が安置される本殿があり
参拝者が入る拝殿があります
神の御霊の宿る依り代はあなたの魂です
そして魂の宿る心が本殿であり
身体が拝殿です
人に会うとは神社に参拝することを意味しています
またあなたの姿は神社の宮であり境内です
それが祀られているあなたの魂を神格を十分に現わしているかどうかが重要です
あなたの魂は何者なのか
どの様な性質なのか
知らなくてはいけません
そしてあなたの本殿に入れるのは基本的にあなただけなのです
自らの心という本殿に入り魂を感じます
魂と心が共鳴しているのか
不協和音を発していないか
深く聴きいります
共鳴しているならば次のステップに移行できます
心と身体は一致しているか共鳴しているか
思っていることや言っていることと行っていることがズレていないか
よくよく観察します
全てが共鳴してようやく人として生きることが出来るのです
魂の顕れとして生きることが出来るのです
それは罪のない状態であり
穢れを洗い流せる状態です
必要以上の穢れを溜めず貰わない状態です
この無垢の状態を生み出すことこそイヤシロチを作ることです
身体をイヤシロチにすることが出来るならば
それを外の世界に表現することも可能なのです
さて穢れは結果のようなものです
罪は穢れの源流に位置しています
罪を作らない積まない生き方を覚える必要があります
罪には二つあります
自分を赦さないこと
人を赦さないこと
の二つです
自分を赦さないとは
思っていることを言わないやらないこと
思う事すら許さないことです
そんなことしてはいけない
言ってはいけない
望んではいけない
思う事すら許されない
そんな思いこそが罪を作ります
一般には
そんな罪深いことを考えてはいけない
などと言いますが
真実は考えないようにすることこそが罪なのです
まず自分の望んでいることを素直に認めることです
自分とはそのような欲望や願望がある存在なのだと
それは自分と向き合い
そして赦すことです
世間で人がどんな評価をしようと
あなたがあなたを批判する必要などないのです
あなたは地球上全ての人が敵に回っても
あなた自身の最後の友であるべきなのです
さて自分の願望が全て分かったならばそれらを抑圧することを辞めたならば
次には実行することですがこの世では抜き差しならない状態に陥ることもあります
全てを白日の下にさらす覚悟が出来ない人は
紙に書くことをお勧めします
そのようにともすれば他人に露呈する可能性のある状態に置くことで
積みは軽くなります
言ってみれば荷物を置くことに相当します
全てをさらすことは荷物を手放すことです
心を書くことは荷物を置いて休むことになります
自らをイヤシロチに変えられた人は存在自体が癒しとなります
その人が触れるだけで気が整い病が癒えることさえあります
逆に存在がケガレになっている人は出逢う人全てにケガレを移してゆきます
罪と穢れが最も祓われる瞬間は死です
故に今回の音楽会では音楽を通して死への旅生まれ変わりの旅をします
人は死の可能性を感じるとき
全ての偽りが剥がれ落ちます
自分一人で生きていたのではなく
生かされていたことを思い出します
今の今までいかに傲慢に染まっていたかに愕然とします
心臓1つ自分で動かしていなかったことを思い出します
そして大切なものだけが残り
いかに無益なもののために奔走していたかを知ります
いや無益なものこそ人を奔走させる使者だったのです
大切な人や愛する人にかけた最後の言葉は何だったでしょうか
それがお別れの言葉です
その言葉で良かったのでしょうか
今死ぬことを前提に入れてかけた言葉だったのでしょうか
それがあなたの本心の中の本心だったのでしょうか
私たちが人に語り掛ける言葉はいつもそれが最後になる可能性を秘めています
この世で溜めた全ての物は置いて行かねばなりません
この世で蓄えた知識はあの世でも役に立つのでしょうか
一体何が大切だったのか
この世で生きている時に考えていたものとはまるで異なることがハッキリと分かります
人は肉体から離れるとアストラル界へ移行します
次元間を渡るとき殆どの人は無意識になるようです
一部の人と特別な修行をした人は意識を保ったまま次元間を移行します
アストラル界ではまずこの世の旅の疲れを癒します
十分な休息をとる必要があります
それほどこの物質世界は大変な世界だったのです
休息地は魂の故郷に似た場所になります
人それぞれですが最も安らぐ環境で過ごします
十分な休息をとると今度は現世でのやり残しが浮かび上がってきます
もっと~をしたかったという欲求です
欲求はアストラルのエネルギーです
この欲求がアストラル体を維持し動かします
やり残しのない人は速やかに第二の死を迎えます
アストラル体が崩壊しもう一つ上の次元へと行きます
第五次元はメンタル界と呼ばれ理性や知性の座です
ここが人間霊の故郷です
ここに至ってようやく帰ってきたことになります
一人一人に家があったように
ここでは一人一人に世界があります
あなたを脅かすものは何一つありません
一般に天国と言われるのはこの世界のことです
さてメンタル体が十分に発達していない人にとってこの世界は退屈です
余りに退屈すぎて眠ってしまいます
メンタル体未発達な人とは
怠惰で創造力のない人です
他人の真似しかせず
自発的な考えがなく
好きにしていいよと言われると困る人です
あくまで問題がおこらない限り動こうとはせず
問題があっても極力避けて過ごします
そのような精神構造の人は完全にストレスのない世界に行くと
何もすることがなく眠ってしまいます
一方この世では様々な制約があり自分のアイディアを実行できなかった人は
ここにおいて創造性を解放します
退屈などとは正反対の生活を満喫します
さてここでの生活もじきに終わりメンタル体が崩壊し第三の死を迎えます
そしてコーザル界へと上昇します
ここは魂の世界の最下層であり
ようやく魂という自分の本質に完全に還る場です
ここでは多くの人が半覚醒状態で過ごします
生きているうちから魂が覚醒していた人コーザル体が活性化していた人は
意識を保ったまま存在することが出来ます
ここにきて初めて人生を魂の視点から見て公平に判断できます
魂に響く体験しかこの世界に持ち帰ることは出来ないからです
持ち帰れた宝物を鑑定することが出来ます
生れる前に予定した計画はどれくらい果たせたのか初めて分かります
この世界は下の界にまだ具現化されていないものが存在します
本当の意味での創造的な力を担当する世界です
下の世界を過去から未来に渡り俯瞰することが出来ます
そして下の世界に何が必要なのか
それが導入されるとどう変わってゆくのかその結果まで見ることが出来ます
意識のある人はこのコーザル界にて次なる生の目標を決めます
意識のない人は前の生の延長や反動としての次の生が決まります
そうして現世でまだ導入されていない考えやシステムという贈り物を携えて
それが開花できそうな環境と母体へと宿るのです
こうして各界で罪と穢れを落とし無垢な状態に還り新たな赤子として生まれ変わるのです
前の生で溜め込んだ罪と穢れの一切は落ちますが
罪を生み出す精神構造は維持されます
それ故に生まれ変わった先でも同様の罪を積んでいくことになります
しかしその生の中で魂に響く体験をするたびに少しづつ変化してゆき
ついには罪を積まない精神構造・メンタル体を獲得するのです
罪を積むことが上手い人は他人に罪を積ませることにも長けています
それは自動的にそうなってしまうのです
ちょっとした言葉で直ぐに怒りを爆発させる人の周りにいる人は
言葉を呑むようになります
それは即ち罪を積むことなのです
怒りを爆発させる人は感情を抑えていないので罪を積んでないように思えるかもしれません
しかしそうではないのです
常に怒りを爆発させるタイミングを伺っているような人は
心に自分で生産した怒りという毒を溜めているのです
そしてそれを他者のせいにしてぶちまける時を見計らっているだけなのです
表面的に怒っていない平時に溜めまくっているのです
罪を積み続けているのです
魂のエネルギーは六次元にあり
精神構造である五次元の身体を通り
感情という四次元の身体から
肉体という三次元で表現されます
543次元全ての身体をクリアにすることでしか
魂の力を正しくこの世に降ろすことは出来ません
2019年は秋分以降
特に冬至から春分にかけて創造力という魂の力を世界が必要としています
それは高次の世界において大幅な軌道修正の計画が持ち上がっていることを意味しています
そのためにここで罪と穢れを十分に祓っておく必要があるということのようです
最後までお読みくださりありがとうございました
次回は冬至12月22日(日)に音楽会とお話会をやります
このイベントは完全予約制です
開催場所は未定ですが関東でやる予定です
ご興味ある方はご連絡くださいませ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます