いま、ひそかなるブームでその道の愛好者が探し求めているのが“大正の広重”と呼ばれた鳥瞰図絵師・吉田初三郎の作品(商品化された印刷物)である。その作品は1600点以上あるといわれているが、私はそのうち淡路島を描いた絵図を探している。これまでに二点を入手しているが、残念ながら淡路全域を描いた作品にはまだお目にかかっていない。
鳥瞰図というのは、地形や風景を上空から鳥の眼でみたように描いた俯瞰図であるが、大正から昭和10年代にかけて日本列島全域に起った観光ブームのなかで、観光地を鳥瞰図で描いて、乗物や行路、風景や史跡の案内をする絵地図が盛んにつくられた。この鳥瞰図を描く絵師も、吉田初三郎、金子常光や山本章園のほか有名無名の沢山の絵師が競って需要に応えた。吉田初三郎以外に、幾人かの絵師の手になる淡路島の鳥瞰図も何種類かある。今回は、吉田初三郎の作品を紹介したい。
[1] 「鳴門」
この絵の表題は「鳴門」であるが、副題が「淡路鉄道沿線名所鳥瞰図」とあるように、絵図が描く主題は島の南部を走る淡路鉄道沿線の風景や名所旧跡である。
絵図には洲本・福良間を走る鉄道各駅の名を記し、その周辺の名所旧跡を詳細に描いている。神社仏閣などはその建物配置まで克明で、例えば、先山千光寺では庫裏、大師堂、展望台、仁王門、三重塔、本堂に東西の茶屋まで描きこんでいて正確である。沿岸風景でも、洲本大浜海水浴場に発し宮崎ノ鼻を越えて古茂江の旅館街をへて由良に到るまでのうち、古茂江(小路谷)では古城園、梅桜園、四州園の旅館名から住吉神社、由良では成ヶ島まで丹念に描いている。
吉田初三郎は絵図作成の依頼を受けると弟子をつれて現地にきて写生をしたうえで絵図を制作したと研究書は記している。
写真にみるように、絵図は島の南部一帯を中心に、その北辺は島の中央部にある伊弉諾神社(現、神宮)、先山千光寺、鮎原天神まで詳細に描いている。そしてさらに鳥瞰の眼は島の北端にある絵島から対岸に霞む本州までも視界の内に捉えている。
また、絵図の表題「鳴門」の絵も細密である。狭い鳴門の海門に白波をあげ沸き立っている渦潮の描きかなどは広重ばりである。観潮船も走っている。そしてさらに、鳥瞰の眼は対岸の撫養から高松を越え遠く讃岐の金比羅神社まで見通している。
1、「鳴門・淡路鉄道沿線名所鳥瞰図」表紙 *以下、画像をクリックすると拡大します。
2、「鳴門・淡路鉄道沿線名所鳥瞰図」全景
3,同上部分「先山千光寺と古茂江・由良」
4、同上部分「鳴門と福良・橅養」
5、吉田初三郎の落款
6,データ
著者 吉田初三郎
発行人 淡路鉄道株式会社
発行日 昭和9年4月20日
欄外付記 昭和9年3月6日由良要塞司令部検閲済
注 絵図裏面の「淡路鉄道沿線案内」の文章(写真入り)に付して「絵に添へて一筆」と作者の吉田初三郎が一文を書いている。
寸法 177×583(八ツ折177×98)㍉
付記 淡路鉄道は1966年に廃線となっている。
[2] 「梅桜園・三熊館御案内」
洲本市の東海岸にあった三熊館と別館梅桜園ともその名は今はない。昭和25年昭和天皇が淡路島行幸の際お泊りになった梅桜園も今は姿を消し、三熊館は改築のうえホテルアレックスと名を変えている。 当時、三熊館や梅桜園が絵図にあるような幾棟もの建物が重層する旅館であったかどうか知るよしもないが、地図いっぱいに旅館の姿を大きく描いたため他の事物の省略が目立つ。例えば梅桜園がある古茂江海岸には明治期からの老舗の四州園があったが描かれていない。三熊館の周辺にも松栄館、海月館など数軒の旅館があったが省略されている。
このことも、この絵図が主題の三熊館・梅桜園を"海の仙境"(絵図の賛語に記す)として際立たせるため、他を省略するデフォメルの手法を用いた鳥瞰図法の特徴の一つであると理解できよう。
また、二つの旅館の周辺の見所である洲本大浜海岸や三熊山頂にある洲本城址の模擬天守閣や城石垣、中腹にある競馬場の位置などは丁寧に描いているが、一方、島の南部や北部は略画にとどめている。しかし、鳥瞰の眼は島の北端は岩屋からはるか本土の神戸・明石を、西は鳴門海峡から四国までを一望していて雄大である。
1、「梅桜園・三熊館御案内」表紙
2、鳥瞰図(全景)
3、鳥瞰図(部分)
4、吉田初三郎の落款
5、データ
著者 吉田初三郎
発行人 三熊館
発行日 昭和9年3月25日
寸法 175×630(六ツ折 175×107)㍉
(参考)
[3]「日本鳥瞰中国四国大図絵」
この大絵図は表題のとおり、東は近畿、西は九州に挟まれた中国四国を、多くの島嶼を抱え複雑な海岸線を描く瀬戸内海を中央に挟んで描いていて、眺めているだけでも楽しい鳥瞰図である。
先の二点の絵図と違い、描く範囲が広域なので鳥瞰の視点は非常に高々度にあり、淡路島も小さくしか描かれていない。しかし,主な町村や名所旧跡の位置は記している。
今のところ、吉田初三郎が描く淡路島は、先の二点以外この図絵があるだけなので参考のために取上げた。
1、 収納紙袋表紙写真
2、 鳥瞰図部分 淡路島とその周辺
3、データ
副題 大阪毎日新聞大正16年元旦付録
著者 吉田初三郎
発行人 大阪毎日新聞社
発行日 昭和2年1月1日
寸法 276×1068((八折 276×135)ミリ
鳥瞰図というのは、地形や風景を上空から鳥の眼でみたように描いた俯瞰図であるが、大正から昭和10年代にかけて日本列島全域に起った観光ブームのなかで、観光地を鳥瞰図で描いて、乗物や行路、風景や史跡の案内をする絵地図が盛んにつくられた。この鳥瞰図を描く絵師も、吉田初三郎、金子常光や山本章園のほか有名無名の沢山の絵師が競って需要に応えた。吉田初三郎以外に、幾人かの絵師の手になる淡路島の鳥瞰図も何種類かある。今回は、吉田初三郎の作品を紹介したい。
[1] 「鳴門」
この絵の表題は「鳴門」であるが、副題が「淡路鉄道沿線名所鳥瞰図」とあるように、絵図が描く主題は島の南部を走る淡路鉄道沿線の風景や名所旧跡である。
絵図には洲本・福良間を走る鉄道各駅の名を記し、その周辺の名所旧跡を詳細に描いている。神社仏閣などはその建物配置まで克明で、例えば、先山千光寺では庫裏、大師堂、展望台、仁王門、三重塔、本堂に東西の茶屋まで描きこんでいて正確である。沿岸風景でも、洲本大浜海水浴場に発し宮崎ノ鼻を越えて古茂江の旅館街をへて由良に到るまでのうち、古茂江(小路谷)では古城園、梅桜園、四州園の旅館名から住吉神社、由良では成ヶ島まで丹念に描いている。
吉田初三郎は絵図作成の依頼を受けると弟子をつれて現地にきて写生をしたうえで絵図を制作したと研究書は記している。
写真にみるように、絵図は島の南部一帯を中心に、その北辺は島の中央部にある伊弉諾神社(現、神宮)、先山千光寺、鮎原天神まで詳細に描いている。そしてさらに鳥瞰の眼は島の北端にある絵島から対岸に霞む本州までも視界の内に捉えている。
また、絵図の表題「鳴門」の絵も細密である。狭い鳴門の海門に白波をあげ沸き立っている渦潮の描きかなどは広重ばりである。観潮船も走っている。そしてさらに、鳥瞰の眼は対岸の撫養から高松を越え遠く讃岐の金比羅神社まで見通している。
1、「鳴門・淡路鉄道沿線名所鳥瞰図」表紙 *以下、画像をクリックすると拡大します。
2、「鳴門・淡路鉄道沿線名所鳥瞰図」全景
3,同上部分「先山千光寺と古茂江・由良」
4、同上部分「鳴門と福良・橅養」
5、吉田初三郎の落款
6,データ
著者 吉田初三郎
発行人 淡路鉄道株式会社
発行日 昭和9年4月20日
欄外付記 昭和9年3月6日由良要塞司令部検閲済
注 絵図裏面の「淡路鉄道沿線案内」の文章(写真入り)に付して「絵に添へて一筆」と作者の吉田初三郎が一文を書いている。
寸法 177×583(八ツ折177×98)㍉
付記 淡路鉄道は1966年に廃線となっている。
[2] 「梅桜園・三熊館御案内」
洲本市の東海岸にあった三熊館と別館梅桜園ともその名は今はない。昭和25年昭和天皇が淡路島行幸の際お泊りになった梅桜園も今は姿を消し、三熊館は改築のうえホテルアレックスと名を変えている。 当時、三熊館や梅桜園が絵図にあるような幾棟もの建物が重層する旅館であったかどうか知るよしもないが、地図いっぱいに旅館の姿を大きく描いたため他の事物の省略が目立つ。例えば梅桜園がある古茂江海岸には明治期からの老舗の四州園があったが描かれていない。三熊館の周辺にも松栄館、海月館など数軒の旅館があったが省略されている。
このことも、この絵図が主題の三熊館・梅桜園を"海の仙境"(絵図の賛語に記す)として際立たせるため、他を省略するデフォメルの手法を用いた鳥瞰図法の特徴の一つであると理解できよう。
また、二つの旅館の周辺の見所である洲本大浜海岸や三熊山頂にある洲本城址の模擬天守閣や城石垣、中腹にある競馬場の位置などは丁寧に描いているが、一方、島の南部や北部は略画にとどめている。しかし、鳥瞰の眼は島の北端は岩屋からはるか本土の神戸・明石を、西は鳴門海峡から四国までを一望していて雄大である。
1、「梅桜園・三熊館御案内」表紙
2、鳥瞰図(全景)
3、鳥瞰図(部分)
4、吉田初三郎の落款
5、データ
著者 吉田初三郎
発行人 三熊館
発行日 昭和9年3月25日
寸法 175×630(六ツ折 175×107)㍉
(参考)
[3]「日本鳥瞰中国四国大図絵」
この大絵図は表題のとおり、東は近畿、西は九州に挟まれた中国四国を、多くの島嶼を抱え複雑な海岸線を描く瀬戸内海を中央に挟んで描いていて、眺めているだけでも楽しい鳥瞰図である。
先の二点の絵図と違い、描く範囲が広域なので鳥瞰の視点は非常に高々度にあり、淡路島も小さくしか描かれていない。しかし,主な町村や名所旧跡の位置は記している。
今のところ、吉田初三郎が描く淡路島は、先の二点以外この図絵があるだけなので参考のために取上げた。
1、 収納紙袋表紙写真
2、 鳥瞰図部分 淡路島とその周辺
3、データ
副題 大阪毎日新聞大正16年元旦付録
著者 吉田初三郎
発行人 大阪毎日新聞社
発行日 昭和2年1月1日
寸法 276×1068((八折 276×135)ミリ