去る4月30日、明兆顕彰会の第2回総会を塩屋の西来寺(せいらいじ)で開きました。会員は230名ですが、当日の出席者は50名程。会議は、これからの活動として、明兆生誕660年(生年は1352年だから2012年で660年)にむけての記念事業3件、単年事業として①来年3月の東福寺涅槃会参詣、②島内の明兆ゆかりの遺蹟遺物めぐり。初回は淡路市志筑引摂寺(いんじょうじ)の伝明兆画幅の拝観(交渉中)、③会報の発行などを決めました。
記念事業の3件は ①明兆顕彰碑の建立、②「明兆通り」の設定、③明兆作品の里帰り展の実現、です。この記念事業はどれひとつとっても大事業です。事業を具体化していくなかで、このブログを通じてみなさまにご協力をお願いをすることもあるかと思いますが、よろしくお願いします。
[淡路の三偉人の肖像・左から服部嵐雪、明兆、高田屋嘉兵衛]
ところで、この総会の前座として、私が「淡路の三偉人について」という講演をしました。このことに少しふれておきたいと思います。
淡路の三偉人という呼称は、淡路の人にとってもあまり耳になじんでないことばだと思いますが、その3人とは、室町時代の画家明兆(みんちょう)、江戸時代前期の俳人服部嵐雪(はっとりらんせつ)、江戸時代後期の豪商高田屋嘉兵衛(たかたやかへい)をいいます。
[重野安繹撰並書「淡州三偉人賛並序」]画像をクリックすると拡大します。
この淡路の三偉人という呼称とその人選は明治41年になされました。この3人を選びだした人は、当時、文部省の修史官を務め東京帝国大学教授でもあった文学博士重野安繹(しげのやすつぐ)で、この方が明治41年に選定命名しました。3人を選定した経緯を語る資料は残っていませんが、この3人の肖像画に添えた重野博士の賛語幷序言を記した画軸があり、これを複製した印刷物が残っているので、選定の結果とその理由は明々なのです。
でも、淡路に縁が薄いであろう東京の学者がどのようにして3人を選定したのか疑問がわくところです。しかしその当時は、大学者が選んだことでもあるし、また3人の人選も妥当なところと思っていたのでしょう。ところが、大正、昭和と時代が流れるなか、3人のうちの1人は賀集珉平(かしゅうみんぺい)がよいという意見をいう人がでてきました。でも、つぶやき程度で大きな話題にはならなかったようです。
[明兆の自画像]
[服部嵐雪の肖像]
[高田屋嘉兵衛の肖像]
そして現在、最初の選定から百年になろうとしています。時代が変われば偉人観も変わってくるでしょう。明治以降にも淡路島から沢山のすぐれた人物を輩出しています。今ちょいと書き出すだけでも、田中正平然り、三島徳七然り、安倍喜平然り、西川光二郎然り、永田秀次郎然り、岩野泡鳴然り、大内兵衛然り…です。
先覚者の顕彰は、先人に払う敬意と感謝の表現であり、後進の大切な仕事です。そして、先覚者の功績とその生き様は、後進に誇を与えてくれます。勇気と活力とそして自信を与えてくれます。
そうした意味で、今の時代にふさわしい淡路の偉人―偉人という表現はちょっと古くさいと思うのですがーを3人とは云わず改めて選び出し、淡路島の誇にしたいものだと思うのですが、あなたはどう思われますか。
記念事業の3件は ①明兆顕彰碑の建立、②「明兆通り」の設定、③明兆作品の里帰り展の実現、です。この記念事業はどれひとつとっても大事業です。事業を具体化していくなかで、このブログを通じてみなさまにご協力をお願いをすることもあるかと思いますが、よろしくお願いします。
[淡路の三偉人の肖像・左から服部嵐雪、明兆、高田屋嘉兵衛]
ところで、この総会の前座として、私が「淡路の三偉人について」という講演をしました。このことに少しふれておきたいと思います。
淡路の三偉人という呼称は、淡路の人にとってもあまり耳になじんでないことばだと思いますが、その3人とは、室町時代の画家明兆(みんちょう)、江戸時代前期の俳人服部嵐雪(はっとりらんせつ)、江戸時代後期の豪商高田屋嘉兵衛(たかたやかへい)をいいます。
[重野安繹撰並書「淡州三偉人賛並序」]画像をクリックすると拡大します。
この淡路の三偉人という呼称とその人選は明治41年になされました。この3人を選びだした人は、当時、文部省の修史官を務め東京帝国大学教授でもあった文学博士重野安繹(しげのやすつぐ)で、この方が明治41年に選定命名しました。3人を選定した経緯を語る資料は残っていませんが、この3人の肖像画に添えた重野博士の賛語幷序言を記した画軸があり、これを複製した印刷物が残っているので、選定の結果とその理由は明々なのです。
でも、淡路に縁が薄いであろう東京の学者がどのようにして3人を選定したのか疑問がわくところです。しかしその当時は、大学者が選んだことでもあるし、また3人の人選も妥当なところと思っていたのでしょう。ところが、大正、昭和と時代が流れるなか、3人のうちの1人は賀集珉平(かしゅうみんぺい)がよいという意見をいう人がでてきました。でも、つぶやき程度で大きな話題にはならなかったようです。
[明兆の自画像]
[服部嵐雪の肖像]
[高田屋嘉兵衛の肖像]
そして現在、最初の選定から百年になろうとしています。時代が変われば偉人観も変わってくるでしょう。明治以降にも淡路島から沢山のすぐれた人物を輩出しています。今ちょいと書き出すだけでも、田中正平然り、三島徳七然り、安倍喜平然り、西川光二郎然り、永田秀次郎然り、岩野泡鳴然り、大内兵衛然り…です。
先覚者の顕彰は、先人に払う敬意と感謝の表現であり、後進の大切な仕事です。そして、先覚者の功績とその生き様は、後進に誇を与えてくれます。勇気と活力とそして自信を与えてくれます。
そうした意味で、今の時代にふさわしい淡路の偉人―偉人という表現はちょっと古くさいと思うのですがーを3人とは云わず改めて選び出し、淡路島の誇にしたいものだと思うのですが、あなたはどう思われますか。