ギタリスト天野丘のブログ『恋するギター弾き』

日々感じる事、音楽、人間・・・自分の心の中の「今昔物語」

やあ!エリス!久し振りだったね。

2022-05-21 10:03:58 | 日記
エリス・レジーナ。
ヤツに、会いたくなったんだ。

エリスの歌声を10何年振りかに、聴いた。

・・・気分の問題じゃないんだ、
うまく言えないけど、とにかく・・・最初にエリスを見付けた時、つまりは「聴いた」ってだけじゃなくて、
音楽に、だけじゃなく彼女に、彼女の人生に・・・己のそれを重ねようと必死になるほど、それもごくごく自然に。

そう、一緒に「生きていきたく」なる、
そんな経験がオレにはあるからだ。

ずっと、想い続けてきたことなんだ。

だからさ、オレの毎日に、日常に関わることだからさ、
とてもじゃないけど(笑)こんな凄い人生・・・オレの想像だぜ、こんな女と毎日一緒に過ごしたら、
オレの望み、一生、たった一人の、本当の「いい女」の尻に敷かれて生きていけたらなって(笑)
それって、本当に、幸せなんだぜ。
どの男にも同じ気持ちがあるとは言わないけどさ。

オレとエリスじゃ言葉も通じっこないし、お互いに言葉も学ぼうとはしないだろう。

ほら、あるだろ?・・・言語が共通だって「通じ合う、合わない」っていうのがさ。
だから、言葉は、よく選ばなきゃいけないし、語気や何かで「間違って伝わったら、勘違いされたらどうしよう」とか心配になることがさ。

だからホントに携帯の変換間違いとか(笑)話したい言葉やスピード感とか・・・
機械ってやつは本当に人間のこと、わかっちゃいないよね。困っちゃう(苦笑)

でもさ、オレには分かるんだよ、今なら。
エリスみたいな凄い奴となら、分かり合えるんじゃないかって。
言葉なんかじゃ伝えきれない、
「本当のこと」が。

それってさ、
きっと「愛」だよね。
そうだよ、そうに決まってる。

本当に久し振りにアルバムを引っ張り出してきて「或る女」・・・「Falso brilhante」・・・「@モントルー」・・・そして、あの「saudade do Brazil」

オレにエリスの存在を教えたのは、青木カナという日本人のくせにブラジルからの使者(笑)みたいなヤツだった(爆)
ヤツはオレの思った通り、ブラジルに渡り、最愛の伴侶を見付けて、この住み難い日本に夫婦伴って帰国し、今も素晴らしい音楽を奏で続けている。
本当に良いヤツだし、生き様も立派だ。
ヤツには今も感謝している。

5秒聴いたらすぐにエリスの声はすぐわかる。
・・・そうだな、彼女の名前を忘れてしまっているくらい、心に、深く、刻まれた歌声だ。

そう、エリス。エリスのことだ。

今、慌てて、心に去来するものを文章に書きとめようと頑張っているが、
この気持ち程、言葉にし辛いものはないように思う。。。

だが、

すぐに書き留めておきたかった。
今日オレの心の中に起こった、最も新しくて、それでいてとても旧い、付き合いの長い出来事として。

彼女は、エリスは、死と闘い「為すべきことをして、生きるのみ。生き抜くのみ」と、
オレが出会う頃にはもうその身体はこの世に亡きものとなっていた。

しかし、彼女の生き様は「歌」「うた」そのもの。

その歌は、生きることの喜びと、生きることの悲しみに満ち、
彼女の生きた人生の時間はその全てが『本当の事』
・・・『真実』で溢れている。

オレはポルトガル語がわからない。
だけど、

オレを、
・・・そうだ、決して「魅了」などしない。
夢見心地になんて、させない。
ただ、オレに向かって「お前は、『今、生きているか』」と、
彼女の身体は朽ちてしまった後でさえ、鋭いあの心の眼光で、今日も、10数年経った今日も、

わけのわからない何やら語で、迫ってくる。

オレは、答えざるを、得ない。

「勿論!生きてるさ!」
「愛を、心に、身体にまとって、生きてるよ!エリス!」

でも、今、オレの頬を伝ってとめどなく流れて止まらない涙の訳は・・・
・・・絶対に、ありきたりの・・・そんな言い方、合ってるかどうかわからないけどさ・・・
そんな甘っちょろいもんじゃないんだ。

そう、
今、エリスに言われたんだ。

「私は、生きている」「身体は死に負けたが、真実、生きているよ」
「でも、お前」
「私を、神に、してはいけないよ」

「私は、お前を、神のように、決して助けたりはしない」
「私を見て、私を聴いて・・・そして。」
「私が、どうして『私に』なったのか」
「その意味を、私の」「ある時期、お前の目の前で生きられた時間を通して」
「知って欲しいんだ」
「いや、知って欲しいんじゃない、お前が知りたければ、私の人生でよければ、すぐにわかるさ、私を見れば」

「人生は、悲しみでいっぱいだ。少なくとも、私の知る限り」
「そして、人生は、喜びでいっぱいだ。少なくとも、私の知る限り」

「そして、そう、お前の悲しみ、お前の喜びは」
「お前にしか証すことができないんだ」

「お前は、それを知るべきだ」
「喜び、悲しみ、生きるべきなんだよ」

「だからお前、私の人生を見て、私の歌うのを聴いて・・・その見るとか聴くとか、そういう行為によって『エリスに救われた』とか『エリスに人生を変えられた』とか」
「絶対に思わないで欲しい」
「言わないで欲しい」

「いいかお前」
「私の人生は、私が生きた証」
「私のものだ」

「だからお前は、まっすぐに己をみつめ」
「見たいもの、知りたいこと」
「見たくもないこと、知りたくもないこと」「生も、死も、全てを」
「知る。知るんだよ!」
「目を背けちゃだめだ」

「喜びも、悲しみも」
「私のせいじゃない」
「でもお前、よくまたここへ来たな!有り難う」

「お前が真実、お前になった時」
「私は必ず、お前と、笑う時がくるだろうよ」

そう、エリスがオレに望んだことは。

何をも神格化したり・・・そうだ、そうだよね。
「神」を「神格化」してしまった人間の、沢山の過ちが、多くの戦争を引き起こし、決して失われてはいけない命を亡きものにしてしまったり、

色々なことを「人のせいにして」きたことで、
「進んできた」などと言ってしまったり。

彼女はそんなこと、決して望んではいない。
神も、きっとそんなこと、望んではいない。

「お前は、いつも、お前を見つめていろよ」と、
「何度失敗しても・・・うまくいっても」
「必ず、お前の己の生んだこと、人生の、結果なのだから」

さあ、
今日も、活き活きと、生きなければね。

わかったよ、エリス、有り難う。
久し振りな気がしなかったよ。

ものわかりが悪くて、遅くてごめんね。
もう30年以上の付き合いなのにね。







「Tell me that you love me」・・・男はいつだって弱虫。(3)

2022-04-10 23:52:14 | 日記
(前回より続く)

・・・そのくらい、いつの時だって「100かゼロ」な、諦めない少年(笑)
恋には絶対恋することはないオレが、

恋人と時間を過ごすことなど想像もつかないこの頃。

この歌は「Tell me that you love me, As often as you can」
『オレを愛していると言ってくれ、できるだけ、何度も』
『オレ達の甘い恋は決して消えはしないと』

・・・エリック、一体何が不安なの?それに何故オレの目から涙が出てくるんだろう・・・
確かにオレは恋の機微なんて全然知らないけどさ、
そして何度も心に聞き返す、だから何度も聴く。

ギターソロはエリックじゃないな、
彼のバンドを凄く長く務めた名サイド・ギタリスト、ジョージ・テリーに違いない。
良いサイドメンっていうのはジョージのように「歌に、メロディーに」極めてしなやかに、寄り添う。
そういうもんだ。

「Straighten me out」
『オレを真っ当なヤツにしてほしい』
「Be my woman, Be my friend」
・・・オレは、最愛の人は「Friend」と表現すべきなんだ、と、この曲を通じて初めて知ったんだよ。
大分あとになってからだけどさ。

そう言えばもっと昔のフリーってバンドの大好きなバラード「Be my friend」でもポール・ロジャースは「Baby,baby be my friend・・・」と繰り返し歌っていたな。

『せめて友達でいて欲しい』って意味じゃなかったんだな。
「Tell me that you love me」で、ずっと引っ掛かっていたオレの思いは「親愛」こそ「最愛」なんだと分からせてくれたんだよ。

だから最後にエリックは「Stick with me until the very end」と願ったんだね。

「レイラ」の大ヒット。
そして一時引退、復活。そして「461オーシャン・ブールバード」ここにも「Let it glow」っていう名曲があるね。

レイラのレコーディングの時にはゲストにスライド・ギターの名手デュアン・オールマンを迎えると企画を告げられ「え~っ・・・デュアン・オールマンが来るの?オレ、弾けないよ・・・ちゃんと弾けない」とナーヴァスになって酒を呑みまくり録音に臨んだというノミの心臓の持ち主、エリック・クラプトン。

そんな彼の心の叫びは、こんな一聴、情けない吐露に聞こえかねない静かな言葉で綴られている。
勿論15歳のオレにはそんな大人な、だけど自信なさげに聞こえるエリック・クラプトンの願いの真意は、理解するにはハードルが高かったはずなのだが。

何故か、この歌詞に惹かれ、この「弾かない」名手エリック・クラプトンの「心の叫び」に惹かれていたみたいだな。

人の生涯で・・・本当にわかるのは難しいかも知れないけど、勝手極まりない言い分かも知れないけど・・・
本当の本物の、最愛の人「Friend」に出逢えたらさ、死んでもいいなって思うよね。
でも死んでもいいって思った途端にきっと死ぬのが怖くなる、そういうものかも知れないな。
最愛の人の為には、死ぬわけにはいかないよね、生きるよ。

その人の為に生きる、できることは全てやる。
それがどういうことか、きっと解ってやる。
やってやるさ、きっとね。

エリックが今も幸せだといいな。
自身なさげに「見える」けど、芯のある男。
エリックの「100かゼロ」は・・・
「音楽に人が生きてるか、そうじゃないか」
「人生を歌えているか、そうじゃないか」
だとオレは思う。

エリックはその重大な責任を見事に果たしていると。




「Tell me that you love me」・・・男はいつだって弱虫。(2)

2022-04-06 00:14:14 | 日記
(前回より続く)

大分、話の筋が離れてしまったみたいに見えるけど、ホントはそうじゃない。

やっぱり1978年は凄い豊作年なんだな、
エリック・クラプトンの前年に続く新作は「バックレス」というタイトルの、
何とボブ・ディランの書き下ろし2曲を含んだ鳴り物入りのアルバム。
前アルバム「スロー・ハンド」は「Cocaine」「Wonderful tonight」の2曲が大ヒットしたこともあってか、かなり売れたアルバムになった。
勿論、新作ってことで予約して、小遣いをはたいて待ちに待って買った。
シングル・カットはディランの「If I don't be there by morning」だったと思う、まぁ当然か。

だけど・・・オレのにとってのこのアルバムの意味は、
「Tell me that you love me」この曲の、
『歌詞』にあるんだよ。
シングルにもならなかったし、ライヴでも多分やってない。
アルバムの中での配置はA面のラスト。

アルバムの中身全部がオレは好きだけど、
この名曲のことを憶えている人は何人いるかな・・・

同じタイトルのヒット曲も何曲もあるみたいだし、やっぱりネットでも上位に挙がるようなもんじゃないけど。

話の中核の前に関連して思い出したことがある。

オレは今でも子供だが、恋に、恋したことなんか一度もない。絶対に。
太田裕美がとにかく好きだったけど、この大馬鹿野郎は真剣そのものなもんだから(笑)「太田裕美と恋人になる可能性」をマジで信じてたし、

素晴らしいシンガーソングライターの種ともこを親友のギタリストから初めて聴かせてもらってあまりの素晴らしさに感動して写真を見た時にはその可愛らしさに益々感動して好きになってしまい、
「Blues for "Tane-chan"」という曲まで書いてるくらいだった。
ボーヤ(ローディの俗称)時代に知り合ったバイオリンの方が「今度、種ともこさんのレコーディングに参加するわよ、そんなに好きならスタジオに入れてあげるから来ない?」

「え~~~~~!?本当ですか?絶対に参ります!!!」と二つ返事、
ミュージシャンとしての自分をアピールする為なんだか、そうではないんだかわからないが「Blues for”Tane-chan”」の入ったデモ・テープを手に(そう、当時はカセットテープ!)憧れの種ともこに「大ファンです、すごく好きです。種さんの為に曲を書いたので聴いて下さい!」と手渡したのは良いが、連絡先も何も書かずに渡してしまった為(爆笑)当たり前ではあるが、何の反応も得られてはいないという何ともオレらしい実績がある(笑)

デモに必須の連絡先を渡し忘れたことに気が付くまでの期間はしかも相当に長い時間がかかっているというオマケもついてとても大切な思い出として心に残っている(笑)

そう、本題。
「恋に恋したことは一度もない」ということ。

それがエリックの人生とどう関わっているか、だが。

(更に続く)

「Tell me that you love me」・・・男は、いつだって弱虫。(1)

2022-04-02 20:04:44 | 日記
2022.3.23

1978年こそはポピュラー音楽最大の当たり年だとこの間書いたけど、
このメロディ、そしてこの「詩」はどうだろう・・・「Tell me that you love me」クラプトンの書いた中でオレは一番この曲、好きだな。
本当に男らしい、それに、悲しい、そしてこんなにも愛しい。

エリック・クラプトンを知らないって人は少ないよね?・・・それとも凄く若い奴らには、名前だけ知ってる過去の人なのだろうか。

今でも現役のミュージシャンだし、数々の賞やゴシップで彩られた彼の人生はまさにスーパースターというに相応しい。
だけど、そんなエリック(心を込めてそう呼ぶよ)の音楽人生は、いや、彼の人生そのものは、
「ギターを捨て、ヴォーカリストとしてのスター街道を選んだ」みたいに言われて・・・多分ギターヒーローとかスーパーギタリストとか決めつけてエリックのことを音楽家として、いや、誰とも変わらない『人、人間』としてのエリックを、言ってみれば「認めない」とも取れる言葉で酷評された記事もあった時代があるんだよね。

でもさ、オレは、そういう世の中の騒ぎ方、嫌いじゃないけどね。
だって、それだけ「人」が自分と違う事をやり、自分にできない事をやり遂げることを心から祝福する人がいる。
そしてそれに反論する人がいる。
そんな出来事が今の世の中にどれだけ普通に存在すると思う?

この世に産まれ、生きる人それぞれが自分に「できること」と「できないこと」を知り、自分以外の人間にもそれがあると認識する。

そんな思いで人生を生きる者同士として、一体どれだけの人間同士が出会えるというんだ。
お互いを知り合い、認め合い、愛し合う、人として。人間として。
大体、スピードが早過ぎることが多いし、お互いの言語が(英語と日本語っていうような意味じゃない、『心と心』でちゃんと話す時間を中々持たせてもらえないっていう意味だ)違っていても平気で「解決」を決め込んでしまう。

まぁ、今日の話はそんな大それたものじゃないとは思うし、大体オレ如きが大したことは話せやしないけど。

でも、エリックが「461オーシャン・ブールバード」を発表した1974年は「本調子じゃない」とか「弾く気がなくなった」とか散々だったみたい。
あ、ギターヒーローらしい(笑)彼を体験したい人は(聴いたことない人は)「クリーム(エリックがほんの短期間だけやった凄いバンド)」ジョン・メイオールの「ブルース・ブレイカーズ」なんかを聴いてみてね。マジ最高だから!

でもね、絶対に「別人」なんかじゃないんだよ。

とにかく、長い人生を「マジに」生きていれば、
どうしようもなくトンがってしまったり、やる気が失せてしまったり。そういうもんだろう。

別にエリックがスターダムに乗っかってしまった人だから言うんじゃない。
断じてそうじゃないが、彼、エリック・クラプトンという人は「なんとなく」は無くていつの時も「100かゼロ」って人なんじゃないかとずっと・・・っていってもオレはアルバム「スロー・ハンド」が例の新所沢の音楽研究室の店先に並んだ1977年以来の新参者だから、
クリームやデレク&ドミノス(レイラで有名なあのバンドね)には相当日数をかけてさかのぼることになるんだけど・・・彼のことをそんな「正直な」人だと、そう思ってる。

そうなると、レコード制作から何年も離れて「酒ばかり吞んでいる」とか「生活の心配がないスターはいいよね」とか言われても世の中的には仕方ないし、
さっきも書いたけど、そういうエリックみたいな生活をしているヤツを「人間離れした大物」的に扱ったりする世間は、今に比べれば全然いい、素晴らしい「人間的な」良い世の中だったなと思ったりもするね。

グラミー賞に選ばれるようなスターだって、凡人のオレだって、皆んなが「自分が何者か」くらいは分かっていないと本当の意味では生きていけやしない。

そう、エリックだってオレだって、同じ「人間」なんだ。

(続く)

Mr. Peteからのメッセージ(2)

2022-03-17 22:43:30 | 日記
2022.3.10(2)

やっと、本題。

ロックが好きになった天野少年(笑)この音楽研究室のような素晴らしい店で沢山のレコード、音楽を次々に身体に叩き込まれることになる。
・・・ギターが好きだから、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、レッド・ツェッペリンは勿論、ジャズなどの未体験音楽も。

そんな中、時は1978年。

オレの勝手なネーミングだが(笑)この年は『アメリカのポピュラー音楽最大の豊作年』
あのTOTOとヴァン・ヘイレンという不世出のバンド二つが同時にデビュー・・・TOTOのスティーブ・ルカサーの自伝によれば「自分たちのアルバムをレコーディングしていた時、隣のスタジオで凄いバンドが録音していた」それがヴァン・ヘイレン。

そして今はもうその二つともが最良の音楽を形成し合うメンバーを失い、解散してしまっているけど・・・
その後の話はまた機会を改めて。

今日話したいことはね、

TOTOやヴァン・ヘイレンほど有名にはならなかったけど、オレの人生にとって最大級の、深い、音楽をここ、新所沢の音楽研究室(!)で聴いた時と、その後のオレのこと。

1978年はフュージョンと言われる類いの音楽、特にインストゥルメンタル(ヴォーカルが入らないもの)がポピュラーを主に扱うラジオ番組やアルバム・チャートにも上がってくる状況が徐々に表出し始めた頃。所謂ジャズというカテゴリーには入らないものだけど。
・・・オレ自身はカテゴライズとか、全然意味ないと思うけどね・・・でもラジオやなんかでは大事なことだったりするんだね。

この時期以前にもジェフ・ベックが画期的なアルバムをインストゥルメンタルでヒットさせたり、イエスや他にも沢山のプログレッシブロックのカテゴリーに入る(又かよ!?(笑))インストゥルメンタル中心の部分が多い音楽はロックにはあったんだけど。
そうだ!ディープ・パープルの壮大な壮大な、フル・オーケストラとの共演なんて素晴らしい音楽もあったね。

でも今日話したいのはそういう類いのものではないんだ。

この年、オレ的に忘れられないアルバムが、ひっそりと、制作され、売り出されていたことをね、話しておきたいんだ。

ギタリストのPete Carrという人物を知ってる人はいる?
経歴は全然表舞台では無い人でね、スタジオ・ミュージシャンとしての経歴で有名な「良い音楽の裏方」で働き続けた・・・オレ、知らなかったんだけど、亡くなってしまっていたんだ。
一度でいいからライヴを見たかった。できることなら話したかったことがある。。。

音楽が好きな人なら、もしかしたらサイモン&ガーファンクルは知ってるかもね・・・彼らの再結成コンサート「セントラルパーク・コンサート」のビデオなら知ってるかも?そのバンドの中で弾いてる。

そのPete Carrがリーダーとして残した2枚のアルバムのうちの2枚目「Mutiple Flash」
それも1曲目の「Someday We Will」っていうバラッド。これにオレの1978年が詰まっている、と言っていい。
うまく言えないんだけどさ・・・聴いたことない人がいたら今すぐ聴いて欲しい、と言いたいような、

「聴いて欲しくなんかない、オレの気持ちなんか分かるわけないさ」ってひねくれてしまいたくなるような(苦笑)・・・
おい、ちょっと待てよ、オレが作曲したワケじゃないじゃん(笑)それにオレが弾いているワケでもない。

だけどさ、オレには、なんか分かるんだ。
このタイトルの意味が、この音に込められた心が、そして何故一曲目なのか。
伝わるんだ、どうしようもなく。

社長は言った「天野君!今月出た新譜なんだけど、これ良いよ!!!」
「君もギター弾くんだったら、こう弾かなきゃダメだよ!」って、この一曲目をかけてくれた。

ここにはさ、大好きなラリー・カールトンの、やっぱりこれも(!)1978年作のヒット作「Room335」に弾かれてるような早弾きもないし・・・言っとくけどラリーが良くない演奏をしてるって意味じゃないぜ、ラリーはいつだって最高の音楽をする。

派手なアドリヴも、ただの一ヶ所も、ない。無いんだ、ひとつも。
メロディーを丁寧に、丁寧に。ほんの少しだけ変えながら。
2コーラス。ただそれだけ。

その音楽がオレの心をとりこにしたんだよ。

オレの大好きな、大切なひとがこう言った「これはメッセージソングだよ。だから1曲目である必要があるんだよ」
初めてこれを聴いた、とりこになったその時、オレはまだ15歳。
でも繰り返し、この一曲目ばかり聴いていた長い長い時間がオレにもあった。
他の曲も・・・こんなにいいのにね。

その頃はね、好きな人はいたよ。でもさ、好きだとなったらただガムシャラに好きだと思うだけ。
言うだけ。
・・・好きな人のお母さんという人からある日突然電話がかかってきて家に呼ばれて、ビビりまくって出ていったらお父さんが待ってて・・・「ウチの娘を追い掛けないでやってくれないか。君のことを『しつこくて』と言っているぞ」って凄く怒られたことがある。
オレは泣きながら「ごめんなさい、もう追い掛けません。だから彼女の写真を一枚でいいからくれませんか」・・・もっと怒られた「そんなことは自分で頼めよ!」そりゃそうだよな・・・勿論彼女にそんなことは言えなかった、というか口をきいてくれないのに頼めるワケもない。

これ、ホントだよ。
本当に馬鹿な子供。恥ずかしいったらないよ。

ブラバンの同学年のヤツが夏休みのとある日の早朝にすごく可愛い子と二人で歩いているのを誰かが見たって噂になって。
それを人から聞いて「そうかぁ・・・いいなぁ・・・」何が「いい」のかもよくわからないクソガキが(笑)・・・

でも今なら、少しは分かる。
Mr.Pete Carrの想い。

もしかしてさ、このAマイナー・ソングのメロディーには本当はすごく、すごくスゥイートな歌詞があってさ、って思った。
何度も何度もあらわれる半音や一音のチョーク、むせび泣くようなヴィヴラート・・・その全てに。

「Honey・・・Someday We Will・・・」
「Walk・・・together」
「I・・・I wanna be・・・」って。
歌ってるよ、あなたのギターが。
聞こえるよ、ちゃんと聞こえる。

オレが「何に」とりこにされたのか。

今なら、なんとなく、分かりますよ。
Mr.Pete 今もその人と、いられますように。