ギタリスト天野丘のブログ『恋するギター弾き』

日々感じる事、音楽、人間・・・自分の心の中の「今昔物語」

Mr.Peteからのメッセージ(1)

2022-03-14 13:24:16 | 日記
2022.3.10(1)

オレの生きてきた日々は殆どが音楽と人間との間に起こった出来事の記憶で成り立ってると、よく思う。

自分の小遣いで初めて買ったレコードはピンクレディーの「ペッパー警部」だったと思う、
その日から・・・新所沢にミナミプラザっていうマンションが駅前にできて、多分西口初のレコード屋が上陸したってことだと思うんだけど・・・

とにかくあの頃はテレビの歌謡番組が盛んに新しいヒット曲を流して、凄く夢中になった。
ピンクレディー、ジュリー(沢田研二)、岩崎宏美・・・中でも一番のお気に入りが太田裕美(!)
子供・・・今でも十分に子供だが(笑)子供の男心をがっちり掴んだその可愛らしさと、今思えばとてもアーティスティックな魅力にもすっかり参っていたな。

だって学校では勿論、家で家族にだって「オレ、太田裕美が、好きだ」なんて恥ずかしくて言えなかったもんな。

ジュリーのバックバンドのあまりのカッコ良さに憧れた。
「太陽にほえろ」のサントラ盤も2枚持っていて、擦り切れるほど聴いていた。
そこでギターを弾いていたのが名手、井上堯之、あの「太陽にほえろ」のギタリストだと知った時には頭も心も興奮して(笑)まるで所沢一の物知りにでもなったような気がしていたな(笑)

マズいな、本題が遠くにいってしまう(笑)

えっと、とにかくその頃から今に至るまで長い付き合いをしてもらっている「ハリウッド・レコード」に大きな勇気をもって、500円玉はまだなかった頃だ、100円玉5枚を握りしめて「ピンクレディー、下さい!」と(ピンクレディーの何て曲?(笑))顔を真っ赤にしてレジにまず聞きに行った子供のオレを、
社長はオレの顔を真っすぐにみて「はぁい!ちょっと待ってね!」と出してきてくれたんだ。

次に行った時はジュリーの「勝手にしやがれ」だったかな、記憶は定かじゃないけど。

・・・すごく良い、「人と人」の関係は、こういう「一人で飛び込んでいく」時にこそ始まるんだな、と今改めてそう思う。
そう、彼は、オレを子ども扱いしなかったんだ。

以来、日本のフォーク・ミュージックも、所謂洋楽を姉貴がラジオで聴いていたからオレも好きになって・・・ビートルズ・・・それが解散して四人が一人一人になって、ポールの音楽はウィングスに発展して・・・それが「ロック」なんだ、なんていうこともハリウッドレコードで覚えたんだ。

まるでオレの「学校」のような場所だった、
気が付くと3時間くらい居た、なんていうこともしょっちゅうになった。
それでも社長はひとつも嫌がらずに日曜日なんて、一日中、音楽のことを沢山話してくれた。
彼はベーシストなんだっていう話も聞いたな。
オレは一人前に自分を扱ってくれるこの場所に入り浸りだった。
何にもわかっちゃいないクソガキが唯一「オレの知り合いの店」みたいに思っていてもいいよと許してもらえた大切な大切な場所だったんだ。

勿論その思いは変わらないよ。

今でもね、
店の唯一の窓を晴れた日に開け放ってる時の、そこから入ってくる夕日がずっと目に、心に焼き付いてる。
時々そこにあらわれるその風景と空気も好きだったな。

ブラバンの部室以外は好きじゃなかったから、なおさらかな。

今はね、ハリウッドレコードは同級生の・・・当時はスポーツ刈りでバレー部のエースだった男が受け継いでいるんだよ。
やっぱり音楽って、すごいよね。

(続く)