瑠璃光寺
山口香山町にある曹洞(そうとう)宗の寺。保寧山(ほねいさん)と号する。本尊は薬師如来(やくしにょらい)。応仁(おうにん)の乱で戦死した陶(すえ)弘房の菩提(ぼだい)を弔うため、その夫人が1471年(文明3)に吉敷(よしき)郡仁保(にほ)村(現山口市仁保中郷)に一寺を建立し安養(あんよう)寺と称した。開山は大庵須益(たいあ . . . 本文を読む
(1898-1972)
日本画家、版画家。東京・深川の商家に生まれ、本名はー(はじめ)。1911年(明治44)鏑木清方(かぶらききよかた)に入門、翌年から巽画会(たつみがかい)、日本美術院展に出品、入選する。16年(大正5)版元渡辺圧三郎の主唱する画家・彫師(ほりし)・摺師(すりし)三者分業の「新版画」運動に参加、当時流行の創作版画運動とは別に、浮世絵以来の木版画の伝統を創造的に継承してみせ . . . 本文を読む
(1856-1907)
明治の洋画家。安政3年6月21日、江戸・木挽町(こびきちょう)の佐倉藩邸内に生まれる。7歳のとき父を失い家督を継ぎ佐倉に帰る。1872年(明治5)ふたたび上京、1875年国沢新九郎の彰技堂で西洋画の初歩を学ぶ。翌年工部美術学校が開設されるや、来任したイタリアの画家フォンタネージについて本格的な西洋画の指導を受けた。その師が病のため帰国すると、後任の教師を不満とし、同窓の小 . . . 本文を読む
(1882-1958)
洋画家。本名満吉。東京生まれ。幼少から父鼎湖(ていこ)に日本画を習う。浅井忠(ちゅう)について油絵を始める一方、无声(むかい)かいの新日本画運動に加わり会員となる。1904年(明治37)東京美術学校洋画科に入学太平洋画会展に印象派風の『草上の小憩』を作品し、翌年中退。07年『方寸』誌を同志と創刊し、近代版画運動の先駆となり、さらに「パンの会」を創始する。明治末にヨーロッパ . . . 本文を読む
学問の神様、菅原道真公を祀った神社で、京都の北野天満宮福岡の太宰府天満宮と共に日本三天神と称せられています。道真公は九州への西下の途中、防府に立ち寄りすっかりこの地が気に入り、自分が死んだら魂となって帰ってくると約束します。九州で公が亡くなった翌年(904)日本で最初の天満宮として創建されました。 . . . 本文を読む
フランスの画家 。私生児としてパリのモンマルトルに生まれる。母親は、ルノアールやドガやロートレックのモデルをつとめ、のちに自ら女流画家としてたったシュザンヌ・バラドンSuzanneValadon(1865-1938)。1891年、スペイン人のミゲル・ユトリロがこの父なし子を戸籍の養子とし、以来ユトリロの姓を名のる。しかし、絵を描き始めたときの画中の署名は . . . 本文を読む
岡田三郎助
洋画家。明治2年1月12日佐賀県に生まれる。初め曽山幸彦(そやまゆきひこ)につき、のち黒田清輝(せいき)に外光派の技法を学ぶ。1896年(明治29)白馬会の創立に参加し、新設の東京美術学校西洋画科の助教授となる。翌年フランスに留学してラファエル・コランに師事、ヨーロッパ各国を見学して、1902 . . . 本文を読む
島崎藤村
詩人、作家。本名春樹(はるき)。別号古籐庵無声(ことうあんむせい)。明治5年2月17日(旧暦)筑摩(ちくま)県(現長野県)の旧中山道(なかせんどう)馬籠(まごめ)宿(現在は岐阜県中津川市に所在)で本陣、庄屋(しょうや)、問屋(といや)を兼ねた島崎正樹の四男として生まれる。島崎家は正樹で17代目の旧家であったが、藤村の出生時は明治維新に伴う諸改革 . . . 本文を読む