朝9:30家を出て福山西インター約3時間かかりました。あれからしまなみ海道をわって来島海峡SAで昼食たべたあと、外にでてみたら雨でした。
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木蝋(西蝋)の生産と豪商の暮らしぶりを学ぶ
豪商・本芳我家の文家の屋敷で、重厚な漆喰の壁と名家らしい風格が漂ゥ建物です。広大な敷地には、住宅と土蔵、釜場、蝋搾り小屋などが並んでいます。明治27年(1894)に建てられた主屋をはじめ、各建物は質の良い材をもちいており、敷地も往時の面影がよく伝わってきます。平成2年(1990)に国の重要文化財に、平成3年(1991)には . . . 本文を読む
江戸後期から明治期の商家をそのまま利用し、大正10(1921)年頃の商家(薬屋)の暮らしを人形と当時の道具類を使って再現しており、店先では「おいでない」と人形の丁稚のあいさつに驚きます。併せて、内子町の歴史や民俗、郷土の生んだ人物について、模型、映像などを用いて説明しています。
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マイントピア別子
新居浜で唯一と言って良いほどの観光地。
別子銅山の「端出場」地区に建てられたマイニング(鉱山)に関するテーマパーク。
別子銅山には、多くの坑道が有ったが、蜂の巣のように巡られた坑道からの鉱石は約10.000メートルの直線坑道である第4通洞から搬出されていた。『端出場」とは、第4通 . . . 本文を読む
負夫(おいふ)と堀子(ほりこ)
An ore carrier and excavator
坑口の上には、銅山の守護神がまつってありました。背に葛で編んだ篭を背負った運搬夫(負夫)と採鉱夫(堀子)は螺の貝殻でつくった明かり取りを手にして抗内に入りました。
堀場(つぼ)
採鉱は主 . . . 本文を読む
紙本榮一
香山(94m)一帯は香山公園となっている
洞春寺や毛利家墓所、そして瑠璃光寺があるところだ
瑠璃光寺前の駐車場の一面に
紙本榮一の銅像があった
明治から昭和にかけて剣聖と呼ばれた剣道、居合道、杖道の範士である範士とは、大日本武徳会、今の全日 . . . 本文を読む
<瑠璃光寺>
大内家筆頭家老陶氏(陶弘房)の菩提寺で、本尊は陶弘房念持仏の薬師寺如来である。陶氏は大内家筆頭家老で、代々周防国の守護代をつとめた名門の家柄である。この寺は、文明3年(1471)山口市の奥地仁保の地に創建されたものです。当寺は中国三山の一つと言われ、長門の大寧寺、周防の龍文寺と共に江戸末期迄、西日本の僧録司(禅宗の統括、人事)の責務を果た . . . 本文を読む
(1352-1380)
周防・長門ニ国の守護となり、大内氏繁栄の基礎を固める。1360年頃、政庁と館(大内館)を今の龍福寺に移し、憧れた京の都に模して町造りをはじめる。弘世は大内氏中興の祖と呼ばれ、墓は大内御掘の乗福寺にある。 . . . 本文を読む