今を生きることとは、過ぎてしまったことを後悔することではありません。
それぞれの魂にはすべて役割というものがあります。
そしてその魂たちは互いに学び気づいて相互に成長していきます。
どんなに悲惨な状況の中で生まれてきたとしても、どんなに悲しい運命を背負っていたとしても、それはその魂自らが選択したことです。
でなければ生まれてくることはありません。
『今を生きる』とは自分が選択した今この瞬間を、後悔せず生きるということです。
『今を生きる』とは、こうであれば良かったとか、ああしておけば良かったという思いの外側に存在します。
今の状況から、逃げることなく向き合うということです。
あれもできなかった、これもできなかったということは、それらを経験する必要がないからできないのです。
そのように設定されているのです。
今経験していることは、今まで経験したことがないから魂にとって必要だから起こるべくして起こっているのです。
ですから、たとえ地球で天変地異が襲ってきて肉体を離れたとしても、魂にとっては次へのステップに過ぎないのです。
今を生き満足しているなら、今死んで肉体を離れたっていいじゃありませんか。魂は永遠に生きるんですから。
魂にとって人生とは愛であり喜びです。それは肉体を離れても変わりはないんです。
今世界で起こっている地震や火山活動、異常気象・社会の混乱は人々のカルマに関わっていることです。例えそのようなことが世界のどこかであったとしても、自分の現実として選択しなければいいことではないでしょうか。
要するに、ネガティヴに関わらなければいいんですから。
自分から積極的にネガティヴと関わっておきながら、やれ病気になったのだの、やれ人に裏切られたのだの、あーだのこーだのと不満を持つ人が多すぎます。
豊かに生きるということは、後悔せず生きるということです。それは自分の欲望の全てを満たすことではなく、欲の塊である満足できない自分に終止符を打つということではないでしょうか。
今この状況に満足できないなら、どんな状況に変化しても満足できないものです。
今この瞬間に幸せを実感し、感謝ができなければ、どんな状況になっても幸せを感じることはできないのと同じです。
私は幸せ~
という『思い』と『情緒』が幸せな暮らしを『創造』するのです。
マシューくんも言ってましたよね。心配することは愛でない、自分や他を許すことが愛だ…と。
家族や世界のことをあーじゃない、こーじゃないと心配することは愛ではないんです。
たとえどんな家族であろうと、どんな世界であろうと運命を共にし許して認めていくことが愛なのです。
またもしも、幸せを実感できないなら、いっそのこと不幸せを認め、そんな自分を許してみるのはどうでしょうか。
満たしのプロセスが進まない場合は許しのプロセスを先に進めてみるのも一つの手段です。
どうしたら、意識的に幸せになれるか自分なりの心の在り方を模索していくことが望ましいと思います。
幸せになるということは、私たちが思っているよりも難しく
思っているよりも、すごく簡単・単純なものです。
生きとし生けるもの
すべてが
幸せでありますように
あるがままで