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ありのまま日記

生きても地獄、死んでも地獄

*「戦争責任のこと」昭和天皇、晩年の苦悩

8/23(木) 14:18配信

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180823-00050065-yom-soci

 
 1987年(昭和62年)4月、85歳だった昭和天皇が先の大戦の戦争責任に言及されることに苦悩していたとの記述が元侍従の小林忍氏の日記に残されていたことがわかった。昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記されている。

 日記は小林氏の遺族が23日に公開した。87年4月7日の欄に「昨夕のこと」として、戦争責任を巡る発言が書かれている。高齢となった昭和天皇の負担軽減が検討される中で、当直の侍従だった小林氏に語ったとされる。「兄弟など近親者の不幸」とは、2か月前の同年2月に弟の高松宮が亡くなったことなどを指すとみられる。

 昭和天皇の気弱な発言に対し、小林氏は「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」と励ましたと書かれている。

 この時のやりとりについては、すでに公表されている卜部(うらべ)亮吾・元侍従の日記でも、4月7日の欄に「長生きするとろくなことはないとか 小林侍従がおとりなしした」と、同じ趣旨の記述がある。

*********
 
魂は人として一生を過ごす過程において、個人的次元上昇を達成すれば天の住人となります。
 
その後は死ぬこともありません。なぜなら魂は永遠不滅だからです。
 
昭和天皇は国民に神として崇められていた割には、神らしい天の住人とは思えない苦悩に満ちた人生だったようです。
 
多くの若い男性を戦争に狩り出し、たくさんの子供たちが親なしになり、何万人もが原爆で死傷した
 
戦争によって国民がどれだけ苦しい思いをしたか、昭和天皇が受けた苦悩など比では無かったのではないでしょうか?
 
『自分の苦悩など国民の比ではない』
 
ぐらいのことが思えなかったということですね。哀れなことです。
 
 『昭和天皇の気弱な発言に対し、小林氏は「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」と励ました』

とありますが、説得力のない気休めですね。
 
戦後復興したのは、誰でもない国民の血の滲むような努力の賜物です。復興したからと言って戦争が無かったかことにはならない。
 
どんな理由があろうと、軍にそそのかされようと、どんな形であれ最終的にそれを止められなかった、戦争を決断したのは当時その決定権を持っていた昭和天皇。つまり昭和天皇はA級戦犯の一人ということなのです。
 
こういう大切なことを有耶無耶にするのはやめましょう。
 
地球とその住人の次元が高くなればなるほど、その責任が明らかにされていきます。歴史の一コマだから忘れ去られるなら、人は何をしても罪に問われる必要も警察も裁判も要らないですよね。
 
昭和天皇は国民のために後悔していたのではなく、自分がその国民の辛い思いを受け止めきれなかった、単なるワガママな性格。正常な感覚ではなかったことがよく分かるやり取りです。
 
昭和天皇の社会的責任、そこを履き違えさせるような曖昧な記事やニュースは見極めなければなりませんね
 
もう二度と戦争を起こさないためにも、天皇を崇拝することは洗脳だということに気づきましょうね。
 
戦争を引き起こし、多くの国民の命を虫ケラ同然に落とした昭和天皇。
 
魂の記録であるアカシックレコードに刻まれる記録は、自分だけが知っている秘密さえも残ります。
 
社会的責任を免れたとしても、個人的カルマは免れることはできません。
 
昭和天皇と戦争犠牲者たちは、私たちに平和の尊さを気づかせてくれています。
 
 
 
 
 
 
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