草木染めニットALUN  手しごと日記

今日は何を作ってるかな?

レメディ物語り

2024-06-12 16:29:16 | ホメオパシー

Nux-v ナックスボミカ  〜70代男性 私の妄想物語り

「鳩おじさんの人生」 

 

 荒川を跨ぐ大きな橋の下に、鳩おじさんは住んでいた。夕方、散歩の途中におじさんの家の脇を通ると、いつもおじさんはラジカセで音楽を聴きながら、お弁当を食べている。たくさんの鳩が集まってきて、おじさんの頭や肩に留まり逃げない、その姿はまるでボロをまとった仙人のようだ。

家と言っても、テントとゴミの山がおじさんの家、彼は世間でいう所の、ホームレス、路上生活者である。

そのおじさんが、ある日ゴミとテントと共に消えてしまった。立退にあったのか、病気になったのか、はたまた死んでしまったのか・・

散歩を続けながら、私は鳩おじさんの人生を空想するのであった。

 

******

 

 俺は貧しい家に生まれた。

親父は安い賃金で働く労働者だった。毎晩、酒を飲むのが唯一の楽しみ。自分でも、もっとマシな人生があったと思っているからであろう、その酒は楽しいものではなく、酔っては管を巻き、酔い潰れるまで手が付けられない。

 親父のようにはなりたくない。俺を促すのは常にその気持ちだった。自分の生まれた境遇を嘆いている暇は俺にはない、自分の力で、この世界から抜け出てやる。こんな生活はまっぴらごめんだ。親父と俺は違うんだ。俺の人生の目的はエリートになること、一番になること、それのみに突き動かされて生きてきた。

 

エリートコースを歩むには、まず高学歴を得ることだった。アルバイトをしながらとにかく猛勉強した。誰にも負けたくない。その気持ちは受験戦争を勝ち抜くには、有利に働いた。

おかげで、奨学金を得て、有名大学を卒業、大手商社に就職、トントン拍子で出世コースへと進むことができた。

 とはいえ仕事の世界でトップに登り詰めるのは大変なことだった、勉強は一人相撲で済んだけれど、仕事はチームプレーだ、できの悪い部下にはいつもイライラして怒号を浴びせたが、結果を出している間はみんな俺についてきた。

俺は、ライバルを出し抜く策略に長けていた。今となって思うと、みんな俺の下にいたら出世コースに乗れるだろうと思って、ついてきたのだろう。

 いつも仕事のことばかり考えていて、私生活などなかったが、それなりに女にはモテていた。ブランドのスーツに身を固め、名のある店に女を誘えば、どんな美女でも、令嬢でも口説けた。毎日のように、女を変え、酒を飲み、SEXをした。仕事でのサバイバルの緊張は、酒と女でやっと忘れて、眠りにつくことができた。

そして朝、コーヒーをがぶ飲みして体に残ったアルコールを飛ばし、戦闘体制で、また仕事に臨む。

自分は父の飲む酒とは違う、輝かしい人生なんだ。そう思い込んでいた。

 

 結婚したい気持ちはなかったが、上司の勧めで、結婚した。従順そうな、品の良い女性で、彼女と家庭を築き、落ち着いた幸せを手にするのも、悪くないなと思った。そろそろ取っ替え引っ替え女と付き合うことに飽きてきたのもあるが、ある年齢になったら、結婚していた方が信頼され出世の役に立つというのが、大きな動機の一つだったかもしれない。

その頃の俺の収入は右肩上がり、世の中もバブル景気の真っ只中、郊外にローンで新築の家を建て、まもなく息子も産まれて絵に描いたように、幸せな家庭だった。

 

 しかし結婚しても差して生活は変わらなかった、相変わらず仕事だけが人生の毎日で、子供の事は妻に任せっぱなしで、家庭など省みる暇はなかった。

妻にも子供にも、いい暮らしをさせている、そのために働く、当時はその自負しかなかった。家族は自分がいなければ生きていけないのだ。俺様が養ってやっているのだ。仕事がうまく行かなくて、妻や子供に当たり散らす日もあったが、そのぐらい受け止めて当然だと思っていた、なんと言っても俺が食わしているんだから。

そして相変わらず仕事の息抜きと称しての女遊びや、それも仕事のうちと、仕事関係の知り合いと飲み歩き、いつも帰りは午前様だった。

 

輝かしい人生に翳りが出てきたのは、バブルが弾けたころからだった。というより、ピンポイントであの日。俺が一番で無くなったあの日が、転がり落ちる人生のスタートだった。

 俺のプロジェクトが負けたんだ。今思うと、自分の古いやり方が通用しなくなっていたんだな。若手でITにも強く、考え方が柔軟な後輩のプランが通った。

それを境に、上司も部下も、信頼があいつに移っていった。

 もちろん、そんな奴にはもろともせず、バリバリ働いたさ。俺は俺のやり方で。でもな、身体の方も翳りが出てきちまった。

酒とコーヒーと激辛が好きで、胃薬は欠かせない、他は至って健康のつもりだった。所がついに胃潰瘍になり、肝機能も衰えて、検査の数値がレッドカードだという。そういえば、体がいつもだるくて、頑張りが効かなくなってきた。それでも、酒がないと眠れないから、酒量は減ることがなかった。

何もかも悪い方に転がるとはこのことだ、会社では営業職を外され、事実上の降格だ。

今まで、ついてきてくれると思っていた部下も、自分に一目置いてくれていた上司も、自分から離れていった。

そんな状態には耐えられずに、自ら会社を辞職し、今度は株の売買で一旗あげようと、資産を全て投じた。転がして儲けようと、借金をして、不動産も買った。

そこにおり悪く、リーマンショックだ。株は暴落、あっという間に借金が膨らみ、家のローンも払えず、売却する。自己破産だ。

狭いアパート暮らしになり、それでも俺は、酒浸りとギャンブル。妻がパートで働いて、なんとか生活を支えてくれたのに、それにも、自分は暴言を吐き、暴力を振るった時もあった。俺は大荒れに荒れた。

妻が子供を連れて、家を出ていくのにそう時間はかからなかった。

 

一人になった。家賃が払えず、大家に追い出された。いつの間にか、路上生活者だ。

役所の人が生活保護を勧めたが、そんなのはまっぴらごめんだった。今更、ハローワークなんか行って、働くことはできない。

最初は、炊き出しなんかしてくれる公園で寝泊まりしてたんだ、だけど俺はそこでもうまくやれなかった。そこでも一番になりたがってしまったんだな。

ボランティアの人に楯突いたり、やたら仲間内で仕切りたがったり、まあ一言でいえば威張っていた。

だんだん煙たがられてな。居づらくなってここに流れてきた。

ここで、空き缶や、空き瓶を集めて暮らしている。炊き出しなんかに並ぶよりずっといい。

 

 それで、ここで川の流れを見て、朝日と共に起きて、夕日と共に寝床につく暮らしをしてるうちに、思い出したんだな。

親父とよく河原でキャッチボールした事を。ずっと軽蔑していたけど、俺が小さい頃は、優しかったんだよ。俺は親父よりマシな人生だと思っていたが、子供と遊んだこともなかったよ。ひどい父親だよ。自分の人生を振り返って泣きに泣いた。

 

今は人生で一番心が穏やかなんだ、イライラすることもない。冷えるのがちょっときついがな。あとはこの生活が幸せなんだよ。

俺は一体何を頑張っていたんだろう。後悔しても仕方がないが、失って初めて、自分が間違っていたことに気付いたんだよ。

今はな、鳩が俺の家族。時々、路上生活者の仲間も遊びにきたりしてな。結構楽しくやってるよ。

 

*******

 

おじさん今どこにいるのかな。

 

 

コメント
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