田代さんや他の実際に会った方々を見ていても、そう思います。
そこまでする労力があるなら、ほうっておいて、他のことに努力するべきとも思います。
でも、なんか心にひっかかります。
彼らがなぜ、立ち直ろうと思うのか、
逮捕や解雇や家庭がきっかけなのでしょうか。
それとも、社会にかけた迷惑を償い、
残りの人生を少しでも誠実にいきるためでしょうか。
私は、薬物中毒から立ち直ろうとする人たちの文章を読み、
感動したことがあります。
うわべのきれいごとは通じない、
本当の自分をさらけ出し、すべてを捨て、それでもやめられず、他人を傷つけ、苦しむ。
なかなか前進しない。
それならば、中毒者のまま、適当に生きた方が楽な気もします。
でも、そこで、たち治りたいと思うのは、
やはり生きることの大義や、充実感、本当の幸せのためではないかと思います。
それは、実際に闘っている人たちにきいてみないことにはわからないかもしれません。
でも、周りを傷つけ、いろいろ失い、堕落し、
そこから少しづつ立ち直ろうとするとき、
本当の幸せとは何か、生きる意味とは何かが、わかるのかもしれません。
それは、普段、世間体や見栄に惑わされたり、
正しいと言われていることを信じ無難に生きている一般の人たちに、
生きるという意味を、もしかしたら教えるきっかけになるかもしれません。
それが、システム化され閉塞感漂う社会に、小さな穴を開け、
人間らしい気持ちを注ぐきっかけになるかもしれないです。
それが大きな流れとなり、循環していくかもしれない。
薬物から立ち直ることの意味は、そこにあるかもしれません。
そして、それが、なぜ人が薬物に依存してしまうのかという、
今の社会への問題提起にもなるのではないでしょうか。
私は、ある特定の種類の人が、理想を求め、それゆえに傷つき、
堕落し、周りを振り回し不幸にし、
そこからどうやって生きるかを世間にみせるのが、
芸能の一つの役割かと思います。
さらには、どうしようもないありのままの自分を見せるという、
今の私が好まざるとさせられていることです。
それがまた芸能のきっかけにもなる。
人は、自分の意思で人生を歩めない、
戦争や犯罪によって、簡単に人生を弄ばれる、
それが人間社会の真実の姿なら、
そこから、どうやって、本来生きたいように生きる努力をするか、正しく生きるか、
そこで今までなおざりにしていた、他者とのつながりが、出てくると思います。
それが、残酷な社会も変える。
芸能は、どんな背景があるにせよ、残酷な社会へのアンチテーゼだと私は思います。
残酷な社会と密接でありながら、一方で清らかさを求める世界だと。
それが人間の持つ矛盾だと。
その矛盾を規律正しく生きる他者にみせつけるのが芸能だと。
人間は本来矛盾に満ち、世の中は逆さまゆえに秩序がある。
女性はやめてと思うけど、心の底はは求めている。
そういうものをダイレクトに世の中に見せる。
うわべだけで騒ぐ人もいれば、人生を見る人もいる。
本気にする人もいれば、その愚かさを面白がる人もいる。
世の中にはいろいろな人がいるんだということなんだと思います。
その世の中で、各自が自分らしく幸せにいきられればいい。
難しいですけど、そうなればいい。
薬物から立ち直らなくても、立ち直っても、どちらもその人の人生でしょう。
ただ、薬物をすることで、世の中から正しさや清らかさを奪っているのは事実でしょう。
今の世の中はそうです。
だからといって、今の世の中が嘘というわけでもないでしょう。
といって、私のようにそれに抵抗するのが愚かとは一概には言えないでしょう。
普通が希少になり、さらには非現実になり、芸能として残っていく。
それがまた、現実を変えていく。
私はもう、自分が嫌です。うんざりしています。
薬物についてもその他のことも、考えるのをやめたい。
人生をやり直したい。
幸せとは何かがもうよくわからない。
でもそんな中でも生きていかないといけない。
利用されるのは嫌なんですが、手助けはしたい気持ちはあります。
こんな私のぐちゃぐちゃした気持ちを、もののわかった方々が整理して、
正しい方向に役立ててくださったら、本当にありがたく思います。
今の私はもう、なんというかパンク寸前です。
がんばろうと思うと、死にたくなる。
なんかもう、後遺症なのか、自分の気持ちが定まらず、迷ってばかりです。