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わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

このロクでもない、素晴らしい世界?

2011年01月14日 | 宇宙精神

あ、コーヒー会社のまわし者じゃありません。

 

例の通り、肝心かなめなところは後です。前書きはすっ飛ばしてね。

といいながら、やたらに書いているヤカラ。

 

先回はポチの告白で人間のどうしようもない面をかいま見たのですが、じつはこのポチ現象はすべての人間に大なり小なり潜んでいることでして。

(自分には充分ありますね)

そんな人間が集まってしまうと大きな集団の力となって社会を作ってしまう、現代医学の虚構性がなんでこんなに永続してきたのかという原因にもなっていると思いました。

なかでもマスコミという情報産業体が真実の隠蔽とまで堕ちてしまったのも、人間みなポチ化現象が進んでしまった事かも知れません。

なんて書いていながらサッカー見ていますが、

ああ、またあ~~なんだあ~~この審判は~~!!

などと独り言をいいつつ。

まあ、人間みなポチ化もコーヒー会社のコマーシャル、「素晴らしい『ロクでもないこの世界』」がなんで創られ、しかも好きこのんで今の世界に多数の人間が産まれてくるという意味について、自分の愚かさはもちろん!棚にあげて考えていました。

しかし、このゲーム、レッドやらイエローやらとやたらに出まくったなあ~~
選手がロクでもないのか、審判がロクでもないのか・・・

いや、審判が厳正過ぎるのか?

それではこの世の審判は誰がするのだろうか?

神か? いや、それにしては今まで何をしていたんだろうか?

審判など怠けていて、どっかで飲んでいたんじゃないの?
ちっとも働いていないんじゃないの?

などと不遜な思いを神様に対して愚痴を言いながら濁り酒飲んでいる輩には答えられるはずもなく・・、

しかし、

ちゃんと答えてくれる方がいらっしゃいました。 ふでき感激~~!

 

例の通り転載大王様のくせで

強調文字、改行を加えてありますので、ごめんなさい。

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

地球という世界は、霊的世界のインターネットに



地球という世界は、霊的世界のインターネットにつくられた数多くの仮想世界の一つですが、たいへんユニークな特徴のある世界です。
もっとも霊的世界のインターネットにつくられた仮想世界はそれぞれにユニークです。そうでなかったらその仮想世界の存在意義はないのですから。


いま地球世界ゲームに参加して集まっている霊的存在すなわち私たち人間は、特別の体験をする任務を帯びています。
それは任務であると考えてもいいし、自ら進んでその任務を選んだのですから、好きでその体験を選んで遊んでいると思ってもかまいません。



その任務とは、いったん完全に神を忘れ、自分が霊的存在であるという本質も忘れてしまって、そこから再び自分の本質を思い出し、神を思い出すという体験をすることです。

これが「地球世界」という仮想社会ゲームのユニークさです。



なぜこのようなゲームをするかというと、

一つは神を忘れることによってしか体験することのできない体験をするためであり、

もう一つは神を忘れた状態から再び神を思い出すというところにたとえようのない喜びがあるからです。


近年あちこちに巨大迷路という遊びの場があります。それは人間が中に歩いて入って行ける迷路で、そこに入って行った人はその中で出口を見つけるために悪戦苦闘します。時には6時間も迷って係員に助け出され、地方新聞の話の種になるというような人も出てきます。

人はなぜ、わざわざ入場料を払って、迷子になるために、このような迷路に入って行くのでしょうか。

それは、困難を克服するために自分の能力を極限まで高めて働かせ、首尾よく出口を見つけることができたという、達成感を楽しむためです。



「地球世界」というゲームも同じです。
このようなゲームは、もし目標達成に成功することができたなら、困難が大きければ大きいほど楽しいのです。

本来の私たちが存在する霊的世界は神の意識の中にあります。
地球世界ゲームというのは、神の意識の中にあって神を忘れるのですから、これはまったくの仮想の体験です。

そのために霊的世界のインターネットの中に、物質宇宙という仮想世界がつくられ、その中に地球という仮想世界がつくられました。



そして霊的存在である私たち人間は、この仮想世界の中に肉体という仮想の人間をつくり、自分はまったく肉体であると思い込むところまで下りていって、そこから再び神を求めるという困難な旅を続けているのです。


霊的インターネットの中のゲームに、このように自分が霊的存在であることを忘れる旅をする仮想世界が、ほかにあるかどうかは知りません。もしあったとしても、地球という仮想世界はもうひとつ特別の個性を持っています。

その個性とは地球の人間の肉体にあります。
地球の人間の肉体は、理性と感情という二つのエンジンをつけた車のようなものです。

それはエンジンが二つあるために、非常に複雑な反応をします。時には二つのエンジンが別々の方向に走ろうとして車を引き裂いてしまいます。

そのような難しい乗り物を乗りこなしながら、サハラ・ラリーのように、荒果てた砂漠や、険しい山岳地帯や、スリップして進まない沼地を乗り越え、車の故障や互いのあいだの衝突事故を克服して、神を求める旅を続けているのが私たち人間という霊的世界の「ゲームおたく集団」なのです。


地球世界ゲームの究極の目標は、人類のすべてがいったん忘れた自分の本質を思い出し、神を思い出し、本来の霊的存在に戻ることです。


けれども、ただそれだけではありません。

そこへ到達するまでのあいだに、人類はありとあらゆる生命のドラマを展開して行きます。 

それは、神を忘れ、自分が不生不滅の霊的存在であることを忘れることによってのみ可能となる強烈なドラマです。


生と死、愛と憎しみ、喜びと悲しみ、希望と絶望、・・・そのドラマにかかわっている当人にすれば、とてもそのドラマを鑑賞する余裕などはありませんが、それは神の眼から見れば、そしてこのゲームに参加していない第三者的な立場にいる霊的存在たちから見れば、とても言葉に言い尽くせないほどの美しく切なく感動的なドラマなのです。


地球世界というところは霊的世界の素晴らしい劇場で、私たち人間はその舞台で演じている素晴らしい俳優たちだと考えることもできます。

それは生命と愛のあらゆる様相を描き出すための無限のドラマです。私たちはそのドラマを、大勢の仲間たちと協力しながら、いわばアドリブでつくり上げて行きます。


私たちは劇作家であり、脚本家であり、演出家であり、そして自らそれを演じる俳優でもあるのです。
そして、その多様なドラマのすべてを覆っているのが、いったん忘れた自らの霊性を思い出すというスーパードラマなのです。


人間が体験する地球世界のドラマは霊的存在から見ればすべて仮想のドラマですが、仮想だからといって価値が低いということはありません。

人間界の演劇も映画もすべて仮想のドラマですが、それがどれほど人を感動させるか考えて見てください。霊的世界の演劇はそれよりもはるかに感動に満ちたものなのです。


地球のドラマを見守っている霊的存在たちは、神を忘れたところから再び神を思い出すということがどんなに困難なことか、よく知っています。
彼らは心からの感動と敬意をもって、私たちの過酷なゲームを見守り声援を送ってくれているのです。


21世紀を迎えたいま、私たちのゲームは大詰めを迎えています。フィナーレの時が近づいています。


地球世界ゲームという霊性回復ラリーは、到着順序を競うものではありません。できるだけ多くの人がゴールまで完走することが大事なのです。みんなで手を取り合い助け合いながら、霊性を思い出し、神を思い出す努力を続けてください。


DATE:2011/01/12
URL:http://members.jcom.home.ne.jp/dawn-watcher/Internet/Net106.html


 ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

なるほど・・・まだ納得できないけど。
そう思いたいね。

あるゆるロクでもないこと=困難  とすると・・・・・・・

まあ、全然楽しくはないけどね(楽しかったら人生も卒業か?)

困難が大きければ大きいほど楽しいのです。


このゲームも私たちのゲームは大詰めを迎えています。フィナーレの時が近づいています。

 

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