わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

おじいさんとの対話 12   免疫と抵抗力&薬毒の効果と夜昼転換論

2013年03月30日 | おじいさんとの対話シリーズ

一票の格差

選挙無効!

 

痴股では大変なことになってきましたねえ。

せっかくのムサシ屋さんの努力もひっくり返っちゃうじゃないか!

ふふふ・・・越後屋を超えようとしたって無理邪よ・・・

 

かくして悪巧みは空中分解となり・・・・
ムサシ屋さんと悪代官様は示談だ、いや、地団駄踏んで悔しがったそうな・・・

(近未来予測)

 

まあ、悪人役は

けっこうまじめにやっているんですけどねえ~

と嘆いているようですが・・

 

あのね、舞台が変わったんじゃよ、チミィ~

え?

悪役共が主役級に収まっていた古い舞台が新しい舞台に変わったんじゃ

きみ、気づかなかったの?

え?いつ?

回り舞台だからな、うひゃひゃひゃひゃ~

 

下品な笑い声だなあ・・・・・・入れ歯かな・・

 

おっと、前置きが長くなったようじゃ

え?

 

おじいさんとの対話シリーズ

分割後悔じゃ。

分割?

そう支払いも分割でよいぞ。

 

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おじいさんとの対話 12
  免疫と抵抗力&薬毒の効果と夜昼転換論


※ここまで切り口を変えて同じような内容を繰り返してきましたので、かなり洗脳が出来たかなと思います。そろそろ最終段階に入りたいですね。


himaari: よく医学では麻疹、チフス、赤痢を初め種々の伝染病に罹り全治すると免疫ができて、後は一生かからなくなるものがあるそうですが。その理由として、その種の感染症に対して抗体ができるといいますね。


おじいさん:その理由を言うと驚くだろうが、まずその前に病原菌と言われる細菌の働きはなんだと思うかね?


himaari:それはもちろん細菌が毒素を発生させて細胞を食い尽くすんでしょうね。


おじいさん:うんそうじゃな。免疫という意味を次の様に解釈しているのじゃろう。「白血球などがばい菌やウイルスなどに対して食菌作用を起こす」という様にね。しかし、人間の病気というのは体の中を掃除するための浄化作用だといってあるじゃろうが。感染症といえども浄化作用の原理から離れるものじゃないのだよ。


himaari:浄化作用の原理と言うと、「体内にある汚物毒素を排除するために自然良能力が働く」ということでしたね。


おじいさん:そういうことじゃ。ただ少し違うのは体の働きだけで浄化作用を行わないというところじゃな。


himaari:でも、汚物毒素として排毒の対象になるのが細菌やウイルスということですね。


おじいさん:そこが少しばかり違うんじゃな。細菌やウイルスが病原としての対象物ではなく、じつは浄化作用の協力者となることなんじゃ。細菌とウイルスは体内毒素と密接な関係になるんじゃがな。


himaari:え!協力者ですか!医学では病原となっていますよ。体にとって悪さをする敵じゃないのですか?


おじいさん:一見そう見えるものじゃからな。そう解釈されるのは無理もないんじゃが、じつは体の中の毒を早く掃除してくれる味方というものじゃな。


himaari:おどろきました。これも信じられない話ですが。


おじいさん:細菌は大きいから直接的に、ウイルスは小さいから情報拡散という間接的な働きじゃろうな。


himaari:ちょっと意味が分からないんですが。外から入ってくるウイルスや細菌を防ぐのが免疫という意味じゃないでしょうか?


おじいさん:そう、体内に原因があるというより外に原因があり、それに抵抗する働きを免疫力として医学は解釈すのるだろうそれは根本から見るといささか見当違いというもんじゃ。


himaari:もう少し詳しくお願いします。


おじいさん:その前に伝染病とか感染症と言われているものの正体を知らねばならんのじゃ。そもそも伝染病とは人間の血液中に存在する悪性養分を消滅させんが為のものである。
血液浄化のために自然がつくって用意してある恩恵なんじゃ。


himaari:え!病菌やウイルスが恩恵なんですか!?


おじいさん:そうじゃな、あらかじめそういう自然界の仕組みを作ってある中に吾ら人間が生息しているようなものじゃ。わしらの体内は常に汚染や毒素から守られるようにあらかじめ浄化装置としての働きが備わっているのは説明したが。


himaari:それと病原菌やウイルスがどうして毒素排泄の浄化作用とどう関係あるんですか?


おじいさん:もちろん大いに関係あるのじゃ。菌やウイルスが働くときは必ず体内の毒素と関連しているのじゃからな。そして、伝染病にかかる時は、最も急速に行われる浄化作用であって、これ程結構なものはないのだよ。


himaari:結構なものなんですか?


おじいさん:そう、濁血者は虚弱で病気もおこり易いから、ここに自然はその濁りを排除するために浄化作用がおこるのじゃが、面白い事には、その濁りを解消する作用として黴菌という微生虫が発生してその仕事をするのじゃ。


himaari:ばい菌がですか?病原じゃないのですか?


おじいさん:病原は体内の毒素、血液の濁りが真の病原じゃ。


himaari:感染症もやはり浄化作用として見るわけですね。そして細菌やウイルスなどに対して汚れた血液が病原としてあるわけですね。


おじいさん:そうじゃ、濁血をきれいに掃除する役目。細菌はもちろんその毒素を排泄する役割じゃ。分解して外に出すと言ってもよいかな。そこのところが重要ポイントだね。
で、まず黴菌が侵入するや伝染病が発生するものとしないものとあるだろう。


himaari:はい、それを「免疫力」とか「抵抗力」とか言うんでしょう。


おじいさん:そうだね。それは説明した如く体内にある毒素の多少によるのだ。しかし細菌に対しての抵抗力という意味としてもあるが、「必要とするかどうか」という意味も含まれている。


himaari:必要?体にとってですか?


おじいさん:そうじゃ、体の方が主体だからね。つまり血液がきれいな状態なら必要ないが、汚れた状態なら必要だということじゃね。


himaari:発想の転換というか、視点が全然ちがうというのか、解釈が医学とは反対なんですね。主導権を握っているのが人体の方だとは!


おじいさん:もちろん本人の表面上の意識ではないがね。身体の方の意識というか、身体の方で必要な状態ということが細菌を引き寄せたり、しかも発生させたりもする。
感染症に限らず病気発生者は毒分多有者である。というのは今日の人間は非常に血が濁っている。この原因はいつもいう通りむやみに薬を体内に入れるからで、薬は元々毒であってその毒が血液へ吸収されて濁血者となるのである。


himaari:現代では薬だけじゃないですよ。あらゆる毒性物質が食べ物や環境から入ってくるし。


おじいさん:うむ、君の時代になると多種多量の毒物があふれているようじゃな。
そこで、病原菌をばい菌として説明してみよう。一度ばい菌が血液中に入り込むや、たちまち自己の食物である毒分を喰いつつ非常な速度をもって繁殖するのだね。


himaari:え、ばい菌の食べ物!細菌が毒素を食べるというのですか?


おじいさん:そうだね。ばい菌にもえさがあるはずだろう。細菌と言っても生き物だからね。何かしら食べ物があるはずだ。微生物の分解作用と言ってもよいのじゃが。


himaari:そのえさとなるのが体内の毒素、つまり血液中の毒分というわけですね。


おじいさん:そうじゃ。血液ばかりじゃないだろうよ。細胞内にもぐり込んでいる溜まっているはずじゃ。それらを食うということは毒素を分解処理して早く外に排泄してくれるということになるね。


himaari:それって、どんどん繁殖して拡がるんですよね。細菌がどんどん身体の中で増殖して行くんでしょうか?


おじいさん:無限に繁殖を続けるのではないのじゃ。都合の好い事には一方では繁殖しつつ、他方では自己の役目だけ果たしたものは次々と死んで逝く。そして毒素排泄物と一緒に体外に排泄される。その様にしてある程度の毒分を喰い尽す事によって病気は治癒するという事じゃ。


himaari:ということは浄化作用そのものなんですね。ただ、普通の浄化作用とちがうのはそこに細菌やウイルスが関与しているかどうかの違いでしょうけど。でも結果として体内がきれいになるのは同じことなんですね。


おじいさん:そういう事じゃ。このようにして細菌は毒素を喰いつつ繁殖するのだが食べた後は次々に死んで行く。そして死んだ細菌はいろいろな形で体外へ排泄されることになる。発疹や膿や下痢、出血などいろんな形で毒素とともに排泄される。というわけじゃね、簡単に言えば。


himaari:感染症にかかると、かなり高熱になる事が多いようですが?


おじいさん:浄化作用で発症の際は固結した毒素では喰いがたいし排泄しにくいじゃろう。だから固まった毒素を液状化する必要があるのじゃ。このため体の働きによって毒素のある局部に熱を発生する。高熱ほど毒素溶解に効果あるのは言うまでもない。


himaari:なるほど、液体化すれば移動も容易だし、だいいち堅く固まった毒素じゃ分解処理が難しいですよね。医学の方でも、細菌やウイルスは高熱に弱いと言いますし。高熱は必要なんですね。


おじいさん:まあ、高熱で固結毒素を溶解すればあとは熱の必要がなくなるから自然に熱が下がるのじゃ。同時に微生物の役割も終わるという事じゃろうな。微生物たちが攻撃されるためというよりも、固結毒素が分解され液状化して排泄し易くなった為に「微生物の手助けが必要なくなる」からじゃろう。


himaari:人体と微生物が一体となっての浄化作用なので、高熱が出る時には必要なくなるという事と、高熱で微生物が死滅するのと同時的なんでしょうか。どちらの理由にしても固結毒素が溶解して外に排泄されれば、微生物たちも用無しになるという意味なのですね。


おじいさん:伝染病と呼ばれる病気の目的は、あくまでも体内の毒素の排泄作用ということじゃ。それが自然界の中で人体が微生物に助けられて行われる人体浄化作用だが。
その結果、毒分のない浄血者になる以上、再びその伝染病にかかる憂いがなくなる。
そして、ばい菌の食べる毒素にも種類があり、その毒素に対応した細菌がいるのじゃ。


himaari:なんと、毒素の種類に応じて掃除役の微生物の種類も異なるのですか。
地球上には、色々な種類の毒を分解してくれる細菌が存在しているそうですから、体の中でも同じような事になっているんですね。


おじいさん:微生物の方では毒素の分解に手助けしてやり、一方、人体の方では食いやすくするために、高熱を発して固結した毒素を溶解する。高熱は必要あってのことだから、氷で冷やしたりするのはせっかく溶けて移動しやすくなった毒素を再び固結させることになるからじゃ。


himaari:高熱を出すというのは人体の働きなんですね。それは細菌のせいというより自ら発生させているわけか。だから冷やしたり、解熱剤などで熱を無理矢理下げたりすると、どこかにまた固まってしまい具合が悪いということか。で、一生免疫というのはどういう意味なのでしょうか?


おじいさん:それは保有毒素の種類によってだね。風邪などは一生のうち何度もかかるだろうが、麻疹とか百日咳とか幼児期にかかるものは一生免疫となる。保有毒素が遺伝的古い毒素は決まったばい菌が担当して掃除するという関係じゃな。


himaari:ばい菌にも好き嫌いがあるのですね。


おじいさん:好き嫌いと言うよりもその食する餌である毒素の担当が決まっているという意味じゃよ。ばい菌の餌とは毒素の事だからその種類によって異なるわけじゃ。しかも、最初はその餌から湧くのだから当然と言えば当然じゃが。もともとその毒素からそれを食する(分解する)性質を持った菌が発生するというのが自然界の姿じゃね。


himaari:それは不思議な関係ですね。体の中だけで無く自然界でも排水溝などの毒性のある汚染物質に対応した細菌が、その毒分を分解してくれるそうですね。この地球上では、ある種の毒が存在すれば、毒に対応した細菌が現れて分解してくれるというのですね。


おじいさん:まあ、この地上はそういう風に創られているんじゃから、微生物が地球を守っているようなものじゃな。したがって、体内で、ばい菌のえさになる毒分がなくなれば、再びその浄化は必要なくなる。それは抵抗力というよりも、もう細菌に喰われるエサが無くなるからじゃ。その種の毒素が無くなったので担当の細菌も働く場所がなくなったという事が免疫じゃ。


himaari:それでその種の感染菌が侵入しても発病しないということになるんですね。その菌の食べるえさが無ければ繁殖のしようもない。だから一生免疫となる。まあ、理屈として納得できますね。


おじいさん:君は「まあ、理屈だ」と言うけど、これは自然界の仕組みなんじゃから、現象が先で理屈はあとじゃよ。血液を汚せば微生物が発生して掃除してくれる。それで人体内を清浄化できるという仕組みがあるからこそ、人間は健康を維持できるのじゃな。


himaari:感染症の原因はウイルスやばい菌などの微生物じゃ無くて、根本は血液の濁りか・・・そしてそれが細胞の汚れにもなるわけか・・そして血液の濁りとは毒素の事なんですね。

 

ーーーーーー今日はここまでーーーーーーー

 

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