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わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

不確定性原理の問題点と主観と客観の物理学

2015年08月22日 | 医学と健康

 

キャイ~~ン

 

な、なんだ!

 

はい、題名だけで尻尾を巻いて逃げて行く子犬の鳴き声です♪

 

ふふふ、先回の猫死んじゃった♪ で参ったと思っていたら、未だいたのか w¥

 

むずがゆい話はこれが最後になります。

ふ~~~~ (って!)

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

250P
   (5)不確定性原理の問題点

  ①神はサイコロを撮り給わず(アインシュタインの悩み)

 最後に時間の問題に移ります。
まず話の順序として、現代物理学上の最も基本的な問題ーーーアインシュタインとファインマンの二人のノーベル賞学者の悩みについて、先程述べた東晃史博士の著書から引用してお話しさせて戴きます。

 まず、第一点はアインシュタインの悩みです。

先程お話ししたように、彼は不確定性原理に最後まで反対しますが、その理由を明かにすることが出来ず悩み抜くわけです。

 不確定原理とは、この世の事象は全て確率的で、未来のことを確定的に予知することは出来ないという原理です。
これは現代量子論(ミクロ世界観)が到達した結論でハイゼンベルグが提出した理論です。
何を意味するかと言うと、ミクロ(量子)の世界では因果律が成立しない、ということです。
これをマクロの世界に拡張しますと、未来のことは確率的にしか分からないということです。
例えば最近、天気予報が当たらないと良く言われますが、これは現在の予報技術が過去のデータを因にして将来を確率的に予測するために、過去のデータにない事象は当たらないわけです。
つまり、現在の予知予測技術は過去のデータがあるものは確率的に予測できるが、過去のデータが無いもの一切分からない、ということです。

 ところが、人間はそれでは不安で生きていけませんから、何か縋ったり、拝んだりするために宗教を求めるわけです。
現在の若者は既成大教団を嫌らって、霊現象とか、チャネリング、あるいはUFOやスプーン曲げ等の超常現象がブームになっていますが、これは若い人が前途に非常な不安を抱いているからです。
戦前の日本は、好い悪いは別として、皇国史観という偏狭な歴史観によって一億玉砕とか悠久の大義を信じて、一つの目的性を持って、前向きに生きて来た。
ところが、戦後はその価値観がひっくり返って目的を失ってしまった。
この思想的混乱の中で、唯物的な科学至上主義が台頭するわけですが、最近になってスペースシャトルの爆発事故がテレビ放映されたり、ジェット磯が墜落するとか、列車事喝交通事故……等が頻発し、科学技術が進めば進むほどそれと裏腹に危険性が増大して、科学技術への信頼が揺らぎ、誰しも一寸先は闇とひしひしと感じている時代です。
実は、それを原理的に保証しているのが不確定性原理です。
これに対してアインシュタインは、そんなことはない、宇宙は見事な秩序と調和がある、神様がサイコロを振られる筈がないと反対したわけです。
しかし、不確定性原理を論破することが出来ず、晩年は学界から孤立して悩み抜くわけです。
なお、この悩みに対して東博士は、アインシュタインはエネルギーと時間の関係を見抜けなかったためだ、と指摘されていることを一言付け加えて置きます。



251P
   ②自然を理解したとは思えない(ファインマンの悩み)

 第二点はファインマンの悩みです。
ファインマンは日本の朝水振一郎博士と共に、一九六五年に光の理論によってノーベル賞を受賞した科学者です。
ファインマンの理論を簡単に申し上げますと、光の不思議な件質を独創的な「時計の理論で解析したもので(経路和積分法)、その方法は時空全体を一気に見渡して光の全経路を時計の針で表わすのです。
この方法を彼は「巨人の観測者」と呼び、この視点から「不確定性原理は過去のものになるだろう」と著書で述べています。
つまりミクロの視点では「不確定性」でも、時空全体を一気に見渡すマクロの視点では全て正確に示せる、というわけです。
ところがこの巨人の目で眺めた時空を数式化(経路和積文法)すると、現在の物理学で表わされる数式(時間微分法)と一致するのです。
つまり数式上は《不確定=確定》ということになるわけでして、何とも奇妙な話です。
彼はこの矛盾に終生悩み抜くわけで、自著の中で「なんとも不思議だ。
どうも自然を完全に理解したとは思えない」と述懐しています。

 このファインマンの悩みに対して東博士は、彼もアインシュタインと同じように時間とエネルギーの関係を解決できずこのため時間の階層性に気付かなかったと述べています。
時間の階層性とは、時計の針(時針、分針、秒針)が一定の比例関係で進むように、時間には一定の比例関係を持った階層性(固有哲があるということです。
なお、この時間の階層性(固有時)を物理量として数学的に表わしたものを東博士は「確率の振幅」と呼んでいます。

要するに宇宙の時空間は秩序整然とした演算可能な階層的連続体だという理論です。

 この辺になりますと、私の守備範囲を遙かに超える問題であり、かつ煩雑な説明が必要となりますので、東博士の著書をお読みになることをお奨めいたします。

 要は、時間の階層性と及び時間とエネルギーの関係を明かにすれば、アインシュタインとファインマンの二人のノーベル賞学者の悩みは自ずと解決し、同時に生命の謎も物理法則によって説明出来るということです。
実は私共の腸造血説も東理論で綺麗に説明できるし、進化論のところで申し上げた時間のカラクリも説明できるのです。



 252P
  ⑨ネコのパラドックス--シュレーディンガーの洞察

 次に《観測の理論)について触れてみたいと思います。
この問題を最初に提起したの波動力学の創始者シュレーディンガーで、《生命とは負のエントロピーなり》という仮説を出した人でもあります。
彼は波動力学者として、量子力学の確率論に対して、ネコのパラドックスという有名な思考実験を提出して問題提起をします。
図がネコのパラドックスの思考実験の概念図ですが、かい摘んで説明しますと、右側の箱は暗箱になっていて、覗き窓があります。
左側の箱の中には放射性元素が入っています。
そして、この放射性元素が半減していく過程でα粒子を出す時間を凡そ一時間後に設定します。
つまり一時間経つとα粒子が出るか、あるいは出ないか、ということになるわけでして、その確率は二分の一です。
さて、α粒子が飛び出すとガイガーカウンターが作動して、ハンマーがパーンと降りる。
すると毒ガスの上のガラス蓋が破れて、中からシアンガスがバッと出て来て、ネコは一分以内に死んでしまうというお膳立てです。

 さて、一時間後にこのネコは生きているか、死んでいるか、ということが問題です。
一時間後にα粒子が飛び出す確率は二分の一ですから、一時間後にネコが死んでいる確率と生きている確率は五分五分です。
そこで暗箱の外からネコの生死を知るには覗き窓を開けてみる以外にはありません。
開けるまではネコの生死は絶対に分からないわけです。
しかし理論的にはネコの生・死の確率は二分の一と言えるわけですが、実際のことは観測しなければ分からないわけです。
これを《観測の理論》と言い、大変な議論を呼ぶのですが、未だに解決出来ないでいます。



 この問題に対して、コンピューターの生みの親であるノイマンは確率論を振りかざして、ネコは半分死んでいて、半分生きているという答えを出します。
どうでしょうか。
納得できますか。
しかし、これが現代物理学の主流であるコペンハーゲン学派の答え(不確定性原理)なのです。
流石に、これに対してデイヴィッド・ボームは「そんな馬鹿なことはない。
それは可笑しい」と真っ向から反対します。
こうして現在のニューエイジ運動(ニューサイエンス)が始まるのですが、今なお決着が付いていません。
ここで大事なことは、実際は、ネコの生死は決まっているのに、蓋を開けて我々が実際に観測するまでは、ネコの生死は絶対に分からない、ということです。
この図が示しているように、まずネコの身体から出た光子が瞳孔のレンズに入って神経を伝わり、脳で生き死にの判断をするわけですが、それではその判断をするのは脳の何処だと、何処までも突き詰めていくと、最後は意識ということになってしまいます。
つまり、目とか、神経、脳等の形あるものは全て道具であって、真の観測者は目に見えない意識そのものである、ということに帰着します。

 シュレーディンガーが言いたいのは、そこのところです。
大事なのは意識そのものです。
実は不確定性原理を出したハイゼンベルクは「観測とは究極においては客観的実在の蒸発である」と言っています。
実に意味深長な言葉ですが、これは現代物理学が、観測者(主任と観測対象(客体)を切り離して考えることに起因します。
そこで、観測の主人公は脳ではなくて意識そのものであり、意識が脳をアクセスする、ということを物理学的に説明する理論が必要となるわけです。




254P
   (6)主観と客観の物理学

 さて《観測理論》に立つと、新しい物理学は観測者、つまり意識を観測の系に入れなければなりません。
要するに《主観》と《客観》の関係を明らかにする理論が必要なわけです。
ところで、我々が何かを観測しようとすると、光を当てなければ何も見えませんしかし、ミクロの量子に光をぶつけると対象が弾き飛ばされてしまうため観測が出来ません。
こうした現実を踏まえて不確定性原理が出て来るのですが、アインシュタインもファインマンも、反論が出来できずに悩んだわけです。
ところが東博士は、アインシュタインの相対論とファインマンの時計の理論に答えが隠されており、この両理論を脳の覚醒と睡眠の視点から捕らえることで、全てが解決できると述べておられます。
そこで、このような新たな視点(脳の覚醒と睡眠)から物理学を見直す試みを、東博士は「主観と客観の科学」と名付けています。
恐らくそれは、物理と化学と生物学の三者を統一する理論であり、それによって科学と宗教の対立は消失するであろう、と私は考えています。





255P
   ① 東晃史理論

 医学は生命を対象にしながら、肝腎の生命については一切答えていません。
生と死の違いは明々白々であるのに、この問題は棚上げにされています。
またシュレーディンガーが提起したネコのパラドックスも、究極的には意識の問題に突き当たって、立ち往生したままです。
睡眠も同じで人間誰しも毎日眠っているのに、その実態は闇の中です。
これらの謎を解く鍵は時間の本質を知ることです。
問題の焦点は時間の階層性及び時間とエネルギーの関係を明かにすることですが、それはアインシュタインの相対論とファインマンの「時計の理論」を脳の「睡眠と覚醒」の視点から捕らえることで解決できるというのが東晃史理論です。
ここで東理論のさわりの部分を一括して掲げて置きます。


一、時間の階層性(等時空間と確率の振幅) *確率の振幅=マックス・ボルンの概念
二、時間は物質とエネルギーの相互変換を実行する
三、時間=光(エネルギー)であり、脳内では時間の逆行(睡眠時)と超光速が成り立つ
四、主観と客観は統一的に把握され、宗教と科学の対立は消失する。

 以上を纏めると《時間(光)=生命(意識=神(宇宙)》という結論が導かれます。




257P
  ②東節男博士の純粋思索空間

 最後に「観測の理論」に関連して、私が日大歯学部の理工学研究室に在籍しておりました時の主任教授で、私の恩師である東節男博士が五十年前に提出された物理・化学の統一理論について、簡単に紹介したいと思います。
さて、現代科学は正確な測定によって成立します。
そして測定するためには尺度となる一定の単位を設定する必要があります。
例えば《C・g・S》単位です。
では単位とは何か?
と言うと、数学的には《1》という数値に外なりません。
この抽象化した《1》をユニバーサル単位と呼びます。
そう致しますと、この《1》を半径とする球の中は論理的に測定出来ません。
単位を再分割すればいいではないかと思われるかも知れませんが、最初に測定の単位を《1》と約束したわけですから、それは許されないわけです。
敢えて分割すると、分割した《1》が単位となります。
従って単位を決めるということは、実は、その単位《1》を半径とする測定不能空間を設定することになるわけです。
時間が無いので結論だけ申しますが、このような論理展開をいたしますと、1.6.36.216……という6を公比とする無限等比級数となり、これをモデル化すると、図のような測定不能空間の階層的な連続体が得られます。
これを数学化したものを統一方程式と呼びます。

 次にこの統一方程式における運動の軌道計算を致しますと、不思議なことに、その解は九十二個の元素の原子量とピタッと合致するのです。
それだけでなく、メンデレーエフの周期律や原子価まで今日の原子の概念とピタッと合うのです。
人間の主観(思索)から出発した理論と今日の科学的客観(実測値)とが一致するのです。
一体これは何を意味するのでしょうか。
全く不可解ですが、これが事実です。

 この理論は昭和十六年に出されたのですが、この時、同教授の指導教官で、当時、日本のエジソンと言われていた東工大の加藤与五郎教授が、「お前さん、これは引っ込めておけ。
これは五百年先の理論だからこんな理論を振り回わすと気違い扱いされてしまうから絶対に発表するな」と言われて、それを守って今日に到っています。

実は、この階層モデルが、先程お話した東晃史博士理論の階層論とそっくり同じなのです。
お二人が同じ東姓ですから話がこんがらがりますが、一方は純粋思索空間から導かれた階層論であるのに対して、他方は時計の針の理論から導かれた時空間の階層論です。
前者は意識(主観)から物質(元素)の質量が計算できることを示し、後者は意識(生命)そのものが物理法則(確率の振幅)によって説明し得ることを明かにした理論です。


 私はこの二つの東理論に巡り合って愕然と致しました。
それと申しますのも、東晃史理論との出会いによって私自身がそれまで(東節男理論では)説明し得なかった生命科学上の《腸造血理論》(生命の自然発生)や進化論における時間のカラクリなどがすんなりと説明し得るだけでなく、さらにこれまで不可知の聖域であった《意識・生命》が《確率の振幅》という演算可能な物理量として科学上の共通概念で語ることが出来ることを知ったからです。


そして《確率の振幅》は数学的に演算可能な物理量(無限等比級数)ですから、任意の点まで自由に計算可能であり、その究極(最大振幅)が全宇宙ということになろうかと存じます。
まさに「色即是空・空即是色」の世界であり、「神は科学法則として甦った」ということです。
神は宗教的・体験的な信仰上の観念ではなく、厳然たる科学法則として、我々の個々の意識(生命)から無限大の宇宙まで全てを統一して支配されているわけで、またその理論は日本の二人の科学者によって既に出されている、というのが本日の拙い私の話の結論でございます。


       東理論五部作
Ⅰ 脳の主人 - 脳の中のブラックホール ー (南斗書房)
Ⅱ アインシュタインの悩みとファィンマンの悩みの解消に向けてーーー宇宙と意識 ー (技術出版)
Ⅲ ポスト「不確定性」文明の曙ー一日本の科学 ー (技術出版)
Ⅳ「政治権限」と「地球環境」--大脳生理学の立場から ー (技術出版)
Ⅴ「万能量子論」による「天国と地獄」の構図 ー 「太陽系」の「生理学」 ー (技術出版)



ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

うう^^^^うう^^^む____¥¥¥¥¥

 

(何か言いたいことあったら言ったら~?)

うう~~むうう~~~

ふぁ、ファイト~! マン  (ファインマン?)

 

 

 

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