わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

医学試稿3 インフルエンザ(=風邪)原理を知れば医学は振り出しに戻る

2009年11月01日 | 岡田茂吉医学論研究会用
ちょっと前書きに問題有り と思いつつ・・・

 医学試稿の基本中の基本、風邪の原理を知ればインフルエンザ対策も変わる。

いや、日本からこれを世界に示す絶好のチャンスが天から与えられているのだ。

世界中を巻き込んでしまった新型インフルエンザ創造(騒動を起こすためにかなり準備されてきたようだから)は
まさに医学の基本をひっくり返さない限り、この不安恐怖から逃れる事はできないだろう。



 ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

<title>第二篇 病気</title><style type="text/css" media="screen"></style>

病気の真因


 病気というものを一言にしていえば、

『生の為の浄化作用なり』である。






元来、人間が健康を保持し、生活を営みいる条件としては、

ある程度全身が清浄でなければならないのである


何となれば、

血液を初め、新陳代謝の完全に行われるには、汚濁があってはならないからである。




であるから、

自然は、飽迄その汚濁を排泄せんとして、浄化作用がおこるのである。

 


そうして、浄化作用の表れが

発熱となり、痛みとなり、不快となる。

嘔吐、下痢、咳嗽、喀痰、鼻汁、出血等、すべて痛苦は伴うものである。





この浄化作用へ対して、

今日迄悪い意味に解釈し、

これら痛苦作用緩和又は停止せんとして、発達して来たのが医術を初め、各般の療病法である。




従って、言を換えていえば、

既存療法は〃浄化作用の停止〃が目的であって、汚濁の排泄をとどめんとするものである。



その最も世人の熟知せる事実は

〃病気を固める〃

という言葉――、


それは汚濁の排泄を留め、固結せしめる方法である


再発とは

右のごとく

一旦固結した汚濁――

即ち病毒は、再び浄化作用発現によって、病的症状を呈する――


それをいうのである。


これに就ての実際と理論を次に述べる事にする。






病気の実例


 まずあらゆる疾患中、最も多きは感冒であろう。

しかし、今日迄医学上感冒の原因は、今以て不明とされている。

(注;現代医学ではウイルス感染によるものとされているが、非ウイルス性感染もあるわけで決定的なものではないのと、ウイルスの正体についても完全に解っていないのであるから、未だ未決定、即ち医学の進歩途上にある想像説、もう少し突っ込むと未完成、未熟な医学の想像説の一端でしかないことになるでしょう)

 

 


しかし、私の発見によれば、この病原位はっきりしているものはないと思うのである。



 そもそも、

人体の浄化作用は、二六時中一秒時といえども浄化作用が行われつつある。

 

そうして、その浄化作用はいかなる順序、いかなる経過を執るかというと、それは、

身体の各部に汚濁即ち病毒が集結するのである。



それで集溜凝結する局所は、大体きまっているのであるが、特に神経を働かせる個所に集溜するものである。

 


その関係上、頸部の周囲、及び頭部、両肩部等を主なるものとし、

肋骨、骨盤、腎臓、股間リンパ腺(特に右が八、九十パーセント)

稀には、胸部を中心とする腹部、肩胛骨、横隔膜の下辺等である。




そうして

これらの局所に、病毒(この病毒に就ては後項に詳細説明すべし)が集溜し、

ある程度固結したる時浄化作用が起るので、

その際一個所又は数個所発(おこ)る事もある。

 

 

 




それは

その固結を排泄し易からしむる為、溶解作用が行われるのである。

 


そうして、

溶解されたる毒素は液体となって喀痰又は鼻汁、稀には下痢、嘔吐等によって外部へ出ずるのである。

 

その際、咳嗽は喀痰を吸引排泄するポンプ作用のごときものである。

嚔(くさめ)も鼻汁を吸出するポンプ作用である。

 

 

この理によって

感冒は何等の処置を施さず、放任しておけば、短期間によく自然治癒をされるのである。

 

 

そうしてかくのごとく

自然治癒によって、感冒を何回も経過するにおいて、毒素は漸次減少し、ついに全く感冒に罹らぬ健康体になり得るのである。

 

 

 

右の理由によって

一回毎に軽滅する事実は、前述の理論を裏書するのである。

 


 しかるに、

今日迄この理論を逆解せる為、

熱に対する氷冷、湿布、解熱法等、極力浄化作用を留めんとするので、

従って、

治癒状態迄の経過が長く、何回も繰返すのである。

 

 

 

故に、

 

感冒とは神が与えた最も簡単なる浄化作用であって、

恐るる所か大に感謝するのが本当である。

 

 

 

 

昔から風邪は万病の因というが、

実は私からいえば

〃風邪は万病を遁(のが)るる因〃

といいたいのである。

 

 ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


次は結核の稿に移りますが、

昭和14年当時という講義録ですがその後の岡田茂吉論文を読んでみてもそれほどの違いはなく、やはり基本は変わらないのだという思いです。


その後の著述は左のリンク中にありますので、そちらは終戦後から昭和30年までに書かれたものが中心となっています。

考えてみれば、人体が何万年前と今もほとんど変わらないとすれば、医学論も何十年だろうが何百年程度で変わるはずもなく、ただ説き方や言い回しが変化する程度なのでしょう。

そもそも医学が進歩するという言葉の裏は

進歩しなければならないほど未熟なもの

という意味で、

未だ進歩途上と言うなら、

今はまだ未熟なものだから、この先どんなに変わるか分からないよ。という意味ですね。

だから前とおんなじじゃないか?というものほど、完成に近いわけです。

進歩し続けるというのは未完成なんですから、これだけ進歩している医学という意味は未完成なんだから信用できないものがあるんだよという事です。

そう思ってよ~~く読んで自分の頭で考えてみましょう。

取捨選択眼はセルフサービスなんですよ。


そういうゲームを選んで来たんですから(苦笑)



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