ロンドン・パブ巡り物語(1)
はじめに
ロンドンの北の郊外・ハイゲイト界隈の有名パブ・ツアーについては以前、「イギリス体験記」で書いた。今回はロンドン都心の有名パブの思い出に残るパブ・ツアーについて書きたい。
パブは「パブリック・ハウス」の略称で、「人々が集まる場所」という意味であることはよく知られている。しかし、パブの名称に「イン」とか「タヴァーン」とか付いている理由はどこからきたのであろうか。詳しくは省くが、それにはパブの歴史がある。「イン」が一番古くて、ローマ時代の宿泊施設であった。元はアングロ・サクソン語の「部屋」を意味した。次に「タヴァーン」であるが、語源的には、フランス語の「タベルナ」(意味は「小屋」「宿」)で、村の近隣の人々が集まって「食事を楽しんだところ」であり、「イン」とそう違わない意味である。次に「エール・ハウス」という言い方がある。「庶民が集まって飲酒するところ」といった意味である。簡単に言えば、「イン=宿泊」、「タヴァーン=食事」、「エール・ハウス=飲酒」といったニュアンスの違いがあると小林章夫氏が書いている(『図説・ロンドン都市物語―パブとコーヒーハウス』)。要するに、総称としての「パブ」は「居酒屋」である。
10数年以前のサバティカルで滞在中に訪れたロンドンのパブは50軒を下るまい。ホームステイ先の主人ジョージに案内してもらったパブだけでも30軒以上はある。その後10数年、毎年のようにロンドンに滞在していたおかげで、シティーやイースト・エンドからウエスト・エンドにいたる都心の有名パブには足繁く通った。だが、印象に残っているのは、その時々に通ったテムズ川沿いのパブ巡りである。テムズ川の下流と上流のパブ・ツアーについては、次のテーマにすることにして、今回は想い出に残る都心の有名パブを紹介しよう。
パブ・ツアーには、その折々の目的がある。漫然とパブをハシゴしているわけではない。一番多いのは、自分の観光目的で有名パブに寄る場合である。イギリス人の友人に案内されたり、日本からの客を案内する場合もある。ウォーキングやトレッキング、文学・歴史散歩の道すがら立ち寄る有名パブと組み合わせた印象深いパブ・ツアーについて書こう。
(文中の固有名詞は仮名)
1.タワー・ブリッジからサザーク界隈へ
ロンドン塔に隣接するテムズ河に架かるタワー・ブリッジは、ロンドンの象徴的な橋である。その上流、テムズ河南岸のサザーク界隈を歩くのは、最もポピュラーなパブ・ツアーで、よく出かけた。
(1) 超高層ビル・シャードと「ジョージ・イン」
タワー・ブリッジからロンドン・ブリッジまでのテムズ川南岸の遊歩道をウォーキングするのは気持ちがよい。特に、夏の夕方のウォーキングが最高である。かたつむり型をしたロンドン市庁舎あたりからロンドン塔やタワー・ブリッジを写真におさめるには、河岸からのアングルが絶好である。
この界隈でひときわ目を引くのは、ロンドン・ブリッジ駅南西側に建設中の超高層ビル「シャード」(シャード・ロンドン・ブリッジ)である。2008年9月に着工し、ロンドン・オリンピックが開催される2012年竣工予定である。地上87階建て、尖塔高310メートルで、オフィス、レストラン、ホテル、スパ、マンション、展望施設が入る。タワーの外壁は、ガラスの破片が光に反射して輝くように装飾され、外観は大航海時代の帆船のマストのイメージで、イギリスの再躍進を想わせる設計であるという。
シティのランドマーク・タワーは、かつては「ロイズ・ビル」であったが、現在は2004年に完成したキュウリの酢漬けの型の「ガーキン」が愛称の高層ビルである。タワー・ブリッジのテムズ河下流から上流を眺めると、右側に見渡せるビル群の中にそびえている。しかし、左側には完成間近い超高層ビル「シャード」の威風が見て取れる。(写真①)

(写真①)テムズが下流から見たタワー・ブリッジ。左側にシャードの威風が見える。
地下鉄ロンドン・ブリッジ駅からバラ・ハイ・ストリートを南に行き左手の少し奥まった所に、有名なナショナル・トラスト管轄の歴史のあるパブ「ジョージ・イン」がある。16世紀の旅籠劇場を偲ばせる古びた手すりの回廊が残っている。パブの室内は決して整ってはいないが、中庭のテラスは心地よい。中庭ではシェイクスピア劇が演じられることもあり、上階のレストランでは伝統的な料理のもてなしがある。(写真②) このパブの南隣のトルボット・ヤードは、チョーサーの『カンタベリー物語』の29名の巡礼がカンタベリーへの旅に出立した「タバード・イン」があった場所として有名である。今でもプラークの表示がある。

(写真②) 旅籠劇場を偲ばせる手すりの回廊が残る「ジョージ・イン」
(2) グローブ座と「アンカー」
ロンドン・ブリッジのたもとの南に、シェイクスピアの臥像のあるサザーク大聖堂がそびえる。その南側には、大衆的なバラ・マーケットがある。豊富な食料品がそろっているこのマーケットは、昼食時には近くの勤め人で賑わっている。
サザーク大聖堂の脇をすり抜け河畔に戻ると、キャノン・ストリート鉄道橋をくぐってすぐのバンクサイドに有名パブ「アンカー」がある。その先のサザーク・ブリッジを越えると再建なったグローブ座が目と鼻の先である。シェイクスピアもアンカーによく飲みに立ち寄ったそうだ。ここはシティーの対岸にあたり、セント・ポール大聖堂が目前に見える。ロケーションが便利なので、私は何かにつけ、しばしば訪れた。昼のパブ飯は安くてうまい。(写真③)

(写真③) シェイクスピアもアンカーによく飲みに立ち寄った歴史のある「アンカー」
休日の午後などは、大入り満員でカウンターに二重三重の注文客が群がり、ビターの一杯を注文するにももたもたして手こずった経験がある。キューを作るので有名なイギリス人も、さっすがに列が崩れ割り込む客が続出していた。イギリス紳士のひとりが遠慮勝ちの私を援護して、「この日本のジェントルマンが先ですよ」と大声を出してくれたので助かった。
この少し上流のグローブ座の先には、現代美術の殿堂「モダン・テート」がある。ここに寄って、すぐ前の歩道橋「ミレニアム橋」を徒歩で渡るとセント・ポール大聖堂に続く階段に着く。シティへの近道である。
2.フリート・ストリートからシティ界隈へ
都心のトラファルガー広場やストランドから、かつての新聞街フリート・ストリートに入ると行政区としてのシティになる。ここからセント・ポール大聖堂を経てチープサイドを通り、シティの中心のイングランド銀行、王立取引所、市長公邸マンションハウスなどが集まるシティ心臓部へのテムズ河北岸の市街は、「スクエア・マイル」と呼ばれる1マイル四方の狭い地域である。正式には「シティ・オブ・ロンドン」と呼ばれ、ロンドンの主要な金融街とビジネス・センターである。昼間働く人数は400万人だが、実際の住人は主としてバービカンの約8千人に過ぎない。ローマ時代から中世、近世、産業革命期から現代に至るまで、ロンドンの中心街である。かつては中世のギルド(同業組合)が強力な自治権をもっており、今日でも王室の馬車であろうと、シティに入る時は境界のテンプル・バーで停車しなければならない伝統を守っている。このシティの中の超有名パブをいくつか選び訪ねてみたい。
(1) フリート街の文人が通った有名パブ
シティで一番有名なパブは、フリート・ストリートのワイン・オフィス・コート(ワイン販売許可書を交付する役所があった所)にある「オールド・チェシャー・チーズ」である。ロンドン大火のあと再建された3階建ての建物を使って1667年に創業したシティの歴史を刻んだパブである。ここはサッカレー、ジョンソン博士やディケンズなどの文人が足繁く通ったことでも有名で、「ディケンズの間」には彼の肖像画が掛かっており、居心地が」よい。(写真④)

(写真④) シティの「オールド・チェシャー・チーズ」。向うにセント・ポール大聖堂が見える。
私は毎年のように、ディケンズのロンドンにおける足跡の調査でシティを訪れるが、その折には、このパブに寄る。昨年はステイ先の主人ジョージがオールド・チェシャー・チーズの夕食に招待してくれた。数年前に彼が来日したとき、京都旅行に招待した返礼だという。彼はシティのエリート・サラリーマンであったが、出身はケンブリッジ文学部である。ディケンズが卒論のテーマだったそうで、なかなかの論客である。この店でも、ディケンズについて彼の持論を展開し語りあった。この店にはレストランの他に、天井の梁がみえる小部屋があり、そこで食べたフィッシュ・パイの味は格別であった。
(2) ブラックフライアーズ界隈
このパブを出てセント・ポール大聖堂の方向に歩いていくと、右側にセント・ブライズ教会の尖塔が見える。この塔の形は、結婚式のウエディング・ケーキのモデルになったことで有名である。さらに先に進むと、ニュー・ブリッジ・ストリートと交差する橋に出る。そこを右折し、ブラックフライアーズ橋の手前のクイーン・ヴィクトリア・ストリートとの交差点の左角にあるのが、1896年創業の有名パブ「ブラックフライアーズ」である。(写真⑤)
太った陽気そうな修道士の像が正面の「174」の地番表示の上に取り付けられている。尖った、くさび型の奇妙な形状の外装からは想像できないが、豪華なアール・ヌーヴォー様式の内装が珍しい。サザークからブラックフライアーズ橋を渡ってテムズ河北岸にやって来た場合、シティの入口のランド・マークになっている。

(写真⑤) 外装が尖った、くさび型の形状の「ブラックフライアーズ」
(3) イングランド銀行近辺のパブ
ロンドン・ブリッジ界隈から大火記念塔モニュメント横を通り、チープサイドとクイーン・ヴィクトリア・ストリートとの交差点の角がイングランド銀行である。このあたりは、初期ディケンズ文学の揺籃期の舞台となったところであるので、ディケンズがらみの文学・歴史散歩がらみでよく出かけた。
マンション・ハウスの東側に、ロンバード・ストリートという細い脇道があるが、ここは、ディケンズの初恋のゆかりの地である。2番地に若きディケンズが熱烈に恋したマライア・ビートネルが住んでいた。父親は銀行家で1番地にその銀行があった。この恋は両家の身分的・社会的格差のために4年で破綻したが、若きディケンズの心の傷は深かった。
王立取引所脇にコーンヒルという細い通りがある。コーンヒルは、有名な『クリスマス・キャロル』(1843)の舞台になったところである。守銭奴スクルージの事務所があった場所に設定されている。その先の右側にセント・ピーター教会の墓地は『われら共通の友』(1864)の舞台に使われ、ロイズ・ビルの南側のレッドンホール・マーケットは『ピグイック・ペーパーズ』(1836-37)や『ニコラス・ニックルビー』(1838-39)の舞台設定の一部になっており、映画『ハリー・ポッター』の撮影場所にも使われた。
コーンヒルには18世紀創業のシンプソンズ・タヴァーンという有名パブもあるが、ディケンズとの関係でいえば、ディケンシアンのロンドンのランドマークとも言える代表的な有名パブ「ジョージ・アンド・ヴァルチャー」にのみ触れておこう。コーンヒル通り脇筋に17世紀から建つパブ・レストランである。ディケンズの『ピグイック・ペーパース』にも登場する。このレストランは、お昼どきには予約がないと入れないほどシティのエリート・サラリーマンで混雑している。店内には、ディケンズ・グッズや写真がところ狭しと展示してあり、重厚な雰囲気である。料理の味は一流であるが、値段もなかなかである。(写真⑥)

(写真⑥) ディケンシアンのランドマーク、レストラン・パブ「ジョージ・アンド・ヴァルチャー」
山本 證
はじめに
ロンドンの北の郊外・ハイゲイト界隈の有名パブ・ツアーについては以前、「イギリス体験記」で書いた。今回はロンドン都心の有名パブの思い出に残るパブ・ツアーについて書きたい。
パブは「パブリック・ハウス」の略称で、「人々が集まる場所」という意味であることはよく知られている。しかし、パブの名称に「イン」とか「タヴァーン」とか付いている理由はどこからきたのであろうか。詳しくは省くが、それにはパブの歴史がある。「イン」が一番古くて、ローマ時代の宿泊施設であった。元はアングロ・サクソン語の「部屋」を意味した。次に「タヴァーン」であるが、語源的には、フランス語の「タベルナ」(意味は「小屋」「宿」)で、村の近隣の人々が集まって「食事を楽しんだところ」であり、「イン」とそう違わない意味である。次に「エール・ハウス」という言い方がある。「庶民が集まって飲酒するところ」といった意味である。簡単に言えば、「イン=宿泊」、「タヴァーン=食事」、「エール・ハウス=飲酒」といったニュアンスの違いがあると小林章夫氏が書いている(『図説・ロンドン都市物語―パブとコーヒーハウス』)。要するに、総称としての「パブ」は「居酒屋」である。
10数年以前のサバティカルで滞在中に訪れたロンドンのパブは50軒を下るまい。ホームステイ先の主人ジョージに案内してもらったパブだけでも30軒以上はある。その後10数年、毎年のようにロンドンに滞在していたおかげで、シティーやイースト・エンドからウエスト・エンドにいたる都心の有名パブには足繁く通った。だが、印象に残っているのは、その時々に通ったテムズ川沿いのパブ巡りである。テムズ川の下流と上流のパブ・ツアーについては、次のテーマにすることにして、今回は想い出に残る都心の有名パブを紹介しよう。
パブ・ツアーには、その折々の目的がある。漫然とパブをハシゴしているわけではない。一番多いのは、自分の観光目的で有名パブに寄る場合である。イギリス人の友人に案内されたり、日本からの客を案内する場合もある。ウォーキングやトレッキング、文学・歴史散歩の道すがら立ち寄る有名パブと組み合わせた印象深いパブ・ツアーについて書こう。
(文中の固有名詞は仮名)
1.タワー・ブリッジからサザーク界隈へ
ロンドン塔に隣接するテムズ河に架かるタワー・ブリッジは、ロンドンの象徴的な橋である。その上流、テムズ河南岸のサザーク界隈を歩くのは、最もポピュラーなパブ・ツアーで、よく出かけた。
(1) 超高層ビル・シャードと「ジョージ・イン」
タワー・ブリッジからロンドン・ブリッジまでのテムズ川南岸の遊歩道をウォーキングするのは気持ちがよい。特に、夏の夕方のウォーキングが最高である。かたつむり型をしたロンドン市庁舎あたりからロンドン塔やタワー・ブリッジを写真におさめるには、河岸からのアングルが絶好である。
この界隈でひときわ目を引くのは、ロンドン・ブリッジ駅南西側に建設中の超高層ビル「シャード」(シャード・ロンドン・ブリッジ)である。2008年9月に着工し、ロンドン・オリンピックが開催される2012年竣工予定である。地上87階建て、尖塔高310メートルで、オフィス、レストラン、ホテル、スパ、マンション、展望施設が入る。タワーの外壁は、ガラスの破片が光に反射して輝くように装飾され、外観は大航海時代の帆船のマストのイメージで、イギリスの再躍進を想わせる設計であるという。
シティのランドマーク・タワーは、かつては「ロイズ・ビル」であったが、現在は2004年に完成したキュウリの酢漬けの型の「ガーキン」が愛称の高層ビルである。タワー・ブリッジのテムズ河下流から上流を眺めると、右側に見渡せるビル群の中にそびえている。しかし、左側には完成間近い超高層ビル「シャード」の威風が見て取れる。(写真①)

(写真①)テムズが下流から見たタワー・ブリッジ。左側にシャードの威風が見える。
地下鉄ロンドン・ブリッジ駅からバラ・ハイ・ストリートを南に行き左手の少し奥まった所に、有名なナショナル・トラスト管轄の歴史のあるパブ「ジョージ・イン」がある。16世紀の旅籠劇場を偲ばせる古びた手すりの回廊が残っている。パブの室内は決して整ってはいないが、中庭のテラスは心地よい。中庭ではシェイクスピア劇が演じられることもあり、上階のレストランでは伝統的な料理のもてなしがある。(写真②) このパブの南隣のトルボット・ヤードは、チョーサーの『カンタベリー物語』の29名の巡礼がカンタベリーへの旅に出立した「タバード・イン」があった場所として有名である。今でもプラークの表示がある。

(写真②) 旅籠劇場を偲ばせる手すりの回廊が残る「ジョージ・イン」
(2) グローブ座と「アンカー」
ロンドン・ブリッジのたもとの南に、シェイクスピアの臥像のあるサザーク大聖堂がそびえる。その南側には、大衆的なバラ・マーケットがある。豊富な食料品がそろっているこのマーケットは、昼食時には近くの勤め人で賑わっている。
サザーク大聖堂の脇をすり抜け河畔に戻ると、キャノン・ストリート鉄道橋をくぐってすぐのバンクサイドに有名パブ「アンカー」がある。その先のサザーク・ブリッジを越えると再建なったグローブ座が目と鼻の先である。シェイクスピアもアンカーによく飲みに立ち寄ったそうだ。ここはシティーの対岸にあたり、セント・ポール大聖堂が目前に見える。ロケーションが便利なので、私は何かにつけ、しばしば訪れた。昼のパブ飯は安くてうまい。(写真③)

(写真③) シェイクスピアもアンカーによく飲みに立ち寄った歴史のある「アンカー」
休日の午後などは、大入り満員でカウンターに二重三重の注文客が群がり、ビターの一杯を注文するにももたもたして手こずった経験がある。キューを作るので有名なイギリス人も、さっすがに列が崩れ割り込む客が続出していた。イギリス紳士のひとりが遠慮勝ちの私を援護して、「この日本のジェントルマンが先ですよ」と大声を出してくれたので助かった。
この少し上流のグローブ座の先には、現代美術の殿堂「モダン・テート」がある。ここに寄って、すぐ前の歩道橋「ミレニアム橋」を徒歩で渡るとセント・ポール大聖堂に続く階段に着く。シティへの近道である。
2.フリート・ストリートからシティ界隈へ
都心のトラファルガー広場やストランドから、かつての新聞街フリート・ストリートに入ると行政区としてのシティになる。ここからセント・ポール大聖堂を経てチープサイドを通り、シティの中心のイングランド銀行、王立取引所、市長公邸マンションハウスなどが集まるシティ心臓部へのテムズ河北岸の市街は、「スクエア・マイル」と呼ばれる1マイル四方の狭い地域である。正式には「シティ・オブ・ロンドン」と呼ばれ、ロンドンの主要な金融街とビジネス・センターである。昼間働く人数は400万人だが、実際の住人は主としてバービカンの約8千人に過ぎない。ローマ時代から中世、近世、産業革命期から現代に至るまで、ロンドンの中心街である。かつては中世のギルド(同業組合)が強力な自治権をもっており、今日でも王室の馬車であろうと、シティに入る時は境界のテンプル・バーで停車しなければならない伝統を守っている。このシティの中の超有名パブをいくつか選び訪ねてみたい。
(1) フリート街の文人が通った有名パブ
シティで一番有名なパブは、フリート・ストリートのワイン・オフィス・コート(ワイン販売許可書を交付する役所があった所)にある「オールド・チェシャー・チーズ」である。ロンドン大火のあと再建された3階建ての建物を使って1667年に創業したシティの歴史を刻んだパブである。ここはサッカレー、ジョンソン博士やディケンズなどの文人が足繁く通ったことでも有名で、「ディケンズの間」には彼の肖像画が掛かっており、居心地が」よい。(写真④)

(写真④) シティの「オールド・チェシャー・チーズ」。向うにセント・ポール大聖堂が見える。
私は毎年のように、ディケンズのロンドンにおける足跡の調査でシティを訪れるが、その折には、このパブに寄る。昨年はステイ先の主人ジョージがオールド・チェシャー・チーズの夕食に招待してくれた。数年前に彼が来日したとき、京都旅行に招待した返礼だという。彼はシティのエリート・サラリーマンであったが、出身はケンブリッジ文学部である。ディケンズが卒論のテーマだったそうで、なかなかの論客である。この店でも、ディケンズについて彼の持論を展開し語りあった。この店にはレストランの他に、天井の梁がみえる小部屋があり、そこで食べたフィッシュ・パイの味は格別であった。
(2) ブラックフライアーズ界隈
このパブを出てセント・ポール大聖堂の方向に歩いていくと、右側にセント・ブライズ教会の尖塔が見える。この塔の形は、結婚式のウエディング・ケーキのモデルになったことで有名である。さらに先に進むと、ニュー・ブリッジ・ストリートと交差する橋に出る。そこを右折し、ブラックフライアーズ橋の手前のクイーン・ヴィクトリア・ストリートとの交差点の左角にあるのが、1896年創業の有名パブ「ブラックフライアーズ」である。(写真⑤)
太った陽気そうな修道士の像が正面の「174」の地番表示の上に取り付けられている。尖った、くさび型の奇妙な形状の外装からは想像できないが、豪華なアール・ヌーヴォー様式の内装が珍しい。サザークからブラックフライアーズ橋を渡ってテムズ河北岸にやって来た場合、シティの入口のランド・マークになっている。

(写真⑤) 外装が尖った、くさび型の形状の「ブラックフライアーズ」
(3) イングランド銀行近辺のパブ
ロンドン・ブリッジ界隈から大火記念塔モニュメント横を通り、チープサイドとクイーン・ヴィクトリア・ストリートとの交差点の角がイングランド銀行である。このあたりは、初期ディケンズ文学の揺籃期の舞台となったところであるので、ディケンズがらみの文学・歴史散歩がらみでよく出かけた。
マンション・ハウスの東側に、ロンバード・ストリートという細い脇道があるが、ここは、ディケンズの初恋のゆかりの地である。2番地に若きディケンズが熱烈に恋したマライア・ビートネルが住んでいた。父親は銀行家で1番地にその銀行があった。この恋は両家の身分的・社会的格差のために4年で破綻したが、若きディケンズの心の傷は深かった。
王立取引所脇にコーンヒルという細い通りがある。コーンヒルは、有名な『クリスマス・キャロル』(1843)の舞台になったところである。守銭奴スクルージの事務所があった場所に設定されている。その先の右側にセント・ピーター教会の墓地は『われら共通の友』(1864)の舞台に使われ、ロイズ・ビルの南側のレッドンホール・マーケットは『ピグイック・ペーパーズ』(1836-37)や『ニコラス・ニックルビー』(1838-39)の舞台設定の一部になっており、映画『ハリー・ポッター』の撮影場所にも使われた。
コーンヒルには18世紀創業のシンプソンズ・タヴァーンという有名パブもあるが、ディケンズとの関係でいえば、ディケンシアンのロンドンのランドマークとも言える代表的な有名パブ「ジョージ・アンド・ヴァルチャー」にのみ触れておこう。コーンヒル通り脇筋に17世紀から建つパブ・レストランである。ディケンズの『ピグイック・ペーパース』にも登場する。このレストランは、お昼どきには予約がないと入れないほどシティのエリート・サラリーマンで混雑している。店内には、ディケンズ・グッズや写真がところ狭しと展示してあり、重厚な雰囲気である。料理の味は一流であるが、値段もなかなかである。(写真⑥)

(写真⑥) ディケンシアンのランドマーク、レストラン・パブ「ジョージ・アンド・ヴァルチャー」
(つづく)