あれは2010年6月のことだ。
とあるフェス(という言い方はかなり大袈裟だけれど)に参戦するため、二日間、僕とHさんの二人はY県に飛んだ。
当時はソロで活動していたHさんは演者としてライブに参加するので、僕は付き添い兼撮影係、という感じだった。
H空港から飛行機で一時間半ほど。降り立ったY県は雨が激しく降っていたけれど、空港で待ち構えていたkさんはそんなことは関係ない様子だった。
KさんはY県でイラストレーターをしていて、フェスのオーガナイザー。そのフェスは今でも毎年開催されていて、Kさんのバイタリティには驚かされてばかり。
挨拶もそこそこに、Kさんの車で会場のライブハウスへ。
今、思い出しても吐き気がするほどにリハからアウェイな空気。それは無理もなく、出演バンドの中で県外から来ているのは我々だけだった。
自信家のHさんも珍しく緊張していて、終始、硬い表情だった。
リハの後、温泉に浸かりながら、ぽつりぽつりと話をしたけれど、Hさんはずっと心ここにあらず、という感じだった。
で、肝心のライブはどうだったかと言うと………最高だった。
糞がつくほどアウェイな空気の中、Hさんは見事にやり切った。初披露された新曲は今、彼の率いるバンドのライブでの定番曲になっている。
…つづく
とあるフェス(という言い方はかなり大袈裟だけれど)に参戦するため、二日間、僕とHさんの二人はY県に飛んだ。
当時はソロで活動していたHさんは演者としてライブに参加するので、僕は付き添い兼撮影係、という感じだった。
H空港から飛行機で一時間半ほど。降り立ったY県は雨が激しく降っていたけれど、空港で待ち構えていたkさんはそんなことは関係ない様子だった。
KさんはY県でイラストレーターをしていて、フェスのオーガナイザー。そのフェスは今でも毎年開催されていて、Kさんのバイタリティには驚かされてばかり。
挨拶もそこそこに、Kさんの車で会場のライブハウスへ。
今、思い出しても吐き気がするほどにリハからアウェイな空気。それは無理もなく、出演バンドの中で県外から来ているのは我々だけだった。
自信家のHさんも珍しく緊張していて、終始、硬い表情だった。
リハの後、温泉に浸かりながら、ぽつりぽつりと話をしたけれど、Hさんはずっと心ここにあらず、という感じだった。
で、肝心のライブはどうだったかと言うと………最高だった。
糞がつくほどアウェイな空気の中、Hさんは見事にやり切った。初披露された新曲は今、彼の率いるバンドのライブでの定番曲になっている。
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