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3.17 盛岡でのこと③(一歩出れば…)

もりおか歴史文化館の近代の盛岡の項で、宮沢賢治「ポラーノの広場」の序文が一部抜粋で描かれています。

その全文、とまではいかないと思いますが前後の文章が見られるのが、中ノ橋を越えた先のもりおか啄木・賢治青春館。
こちらはなんと入場無料で啄木・賢治関連資料が見られますよ!

(写真は喫茶「あこがれ」入り口になります)

奥の部屋に大正時代の岩手公園界隈のジオラマがあるんですが、そこの前で観光客らしき人が何か言ってたので、声をかけてみました。
すると、仙北町の徳清倉庫についての話で、どう行けばいいのかと言うことでした。

河南地区から徳清倉庫へ向かうには、明治橋を渡るようにと僕は言いました。そこで「向かいにあった浜藤(つまり今はなき岩手川)さんはもうないです」「酒蔵は現在改築されて町家資料館になりました」と補足説明も。おせっかいでしょうか?

(写真はもりおか町家物語館以前の在りし日の岩手川・浜藤の酒蔵)

そのことがあってからしばらくジオラマを眺めていましたが、よく見ると今の盛岡市内丸とほぼ変わらないことがわかります。それは石割桜から市役所まで、県庁や公会堂の配置も変わっていないことからも伺えます。
岩手公園が完成したのが1906年、この時代に岩手銀行のルーツとなる盛岡銀行・第九十銀行や盛岡殖産銀行(現在の盛岡信用金庫)が発足していますし、第九十銀行向かいの安田銀行は現在も後継のみずほ銀行ですね。
こうした点からも、盛岡は100年前の街が残っていると言えるのではないでしょうか?


ということで、3.17盛岡散歩のお話はこれまで。

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