チァンバー・ストリートに出た。信号を待っていると、女子高生がおずおずと訊ねてきた。
「みんな、どうかしたの?」
「貿易センタービルが攻撃されたのよ。」そばにいる女性が答えた。
「それって、何処にあるの?」
まさにその目の前に居ながら女子高生が聞く。
まるで「未知との遭遇」のように5本の手がいっせいに燃えているビルを指差す。
「あっ・・・」恥ずかしそうに彼女は答えた。
「なんでこんな事故がおこるの、いったいどうなっているの?」年配の女性が聞いた。非常に年老いた女性だ。この言葉が私の怒りにさらに油を注いだ。事故ではない。明らかに攻撃だ。なのに、彼女は受け入れたくないのだ。真実を聞くよりも耳を覆っていたほうがましだと言うのだろう。
私はブロードウェイの方向に急いだ。そこはすでに交通が遮断され、非常灯とサイレンと混乱の渦だった。警官の姿はほとんど見えない。道路交通局の人間が人々の整理に当たっている。その場をうろうるしている人々。八方へ逃げ惑う人々。
あらゆる種類の、制服、バッジ、身分証明書を身につけた人間がサイレンと共に現場に押し寄せて行く。私もその中にいた。歩きながら私はどうやってシャツに警察の身分証明書を固定しようかと考えていた。その日に限ってなぜかカードホルダーを家に忘れてきてしまったのだ。毎日仕事に行く為に身につけていたのだが、後になって思うと、この日カードホルダーを忘れた事が私の命を救う事になったのかもしれない。
貿易センタービルから2ブロック離れたパーク・プレイスの角を曲がりチャーチ・ストリートへ向かった。この通りは貿易センターの東側に沿っている。何かをしたい、役に立ちたいと思う一心だった。私は、週に3、4回武術の訓練のために通っている護身術の道場の前を通り過ぎる時、心の中で先生に頭を下げたが、すぐに通行人を遮断しようとしている係員に行く手を止められた。彼らの背後に、ブロードウェイより更に喧騒に満ちているチャーチ・ストリートが見えた。非常灯を持った集団が現場へ進行している。
群集を押し戻そうとしている何かのバッジをつけた人間たち、警官、その他並みいる係員にもまれ、私はポケットから身分証明書をを取り出す間も無かった。もし身分証明書をきちんと胸につけていたら通過できていたかもしれないが、あまりに多くの人間が身分証明書を掲げて叫んでいるので、私はあきらめて別の通りを試す事にした。
ダウンタウン方向は封鎖されていたので、歩けるのはアップタウン方向へのみだ。すでにブロードウェイには、FBIのウインドブレーカーを着た人間が出ており、通行人をアップタウン方向へ誘導している。どの通りも封鎖され、通行人は全てブロードウェイへと誘導されている。
地下鉄とバスが停まっていると誰かが言うのが聞こえた。どうやってブルックリンへ帰れというのだ? 私の中でするべき事の優先順位が変わった。子供と妻だ。妻はミッドタウンで働いている。携帯電話がつながらない。妻の無事を祈るばかりだ。
ブルックリン・ブリッジは閉鎖されているらしい。私は先ずマンハッタン・ブリッジへ向かう事にした。そこがだめなら次はウイリアムズバーグ・ブリッジだ。
私は再び貿易センタービルに思いを馳せた。どうしたらこれほど多くの罪のない人間の命を奪うほど残忍になれるのか?何故、何のために?
機内にいた乗客は?私は飛行機が嫌いだ。衝突すると知りながら機内に座っていることの恐怖がどのようなものかとても想像できない。例えほんの数秒間だとしても・・・。 自分があの飛行機の乗客だったらと考え戦慄する。
頭の中からいやな考えを振り払おうとしながら、アップタウンに向かって歩いていた時、別の考えに思い当たった。今度は恐怖ではない。ある真実が夢から私を現実に引き戻した。この真実は茫然としている私の横面を張り倒した。これは戦争だ。敵は軍服を着ている集団ではない。彼らは何千キロも離れた壕に潜んでいるわけではなく、ジープの後ろで機関銃を前に戦闘の瞬間を狙っているのでもない。敵はここ、アメリカ合衆国、ニューヨークで私の隣に立っているのだ。それは地下鉄のプラットフォームかもしれないし、キャッシュマシーンの後ろで順番を待っている人間かもしれない。カウンターの向こうから私にコーヒーとベーグルを渡してくれる店の人間かもしれないのだ。
考えながら歩いている私を、さまざまな困惑の思いを顔に浮かべた人々が足早に追い越して行く。だが一人、道路脇に佇みこれらの成り行きを冷静に見守っている30代の中近東風の男は違った。
その男は気が転倒しているようにも、少なくとも心配しているようにも見えない。茫然自失という風でもない。感情というものが見えないのだ。ひたすら、脳みそに全てを記録しておこうとでもいうようにこれらの光景を凝視している。
混乱している人々の中にあって、彼の印象がひときわ私の心に引っかかっり、私はとたんに周囲の人間に対して警戒心を抱き始めた。この異常な喧燥と理屈では計れない状況において、今なら何が起こっても不思議ではない。次第に不安がひろがる。
しばらくそのまま進んだが群集の中にいる事にとうとう我慢ができなくなり、レオナード・ストリートを東に折れマンハッタン・ブリッジに向かった。と、角を曲がってすぐに轟くような喧燥と悲鳴がおこった。振返ると、ブロードウエイの方向から群集がもみ合い、ひしめき合い、雪崩のようにこちらに押し寄せてくる。
ニューヨークに住んで学んだ事が一つある。恐怖にかられて逃げてくる人々に遭遇したらぼんやり立ち止まって、何が起こったのか訊ねようとするな。撃たれたり、殺されたり、踏みつけられたりするだけだ。先ず一緒に逃げろ。質問は後でいい。
私は走った。不安は的中したのだ。地上への攻撃が始まったのだ。敵は街中を狙い始めたのだ。何故この事を予想できなかったのか? 警官たちは先ず現場へと駆けつける。それが警察や消防隊の仕事だ。街には交通係りのみが残されることになる。では誰が防御に当たる?敵は空からビルを二つとも破壊するほどの組織だ。地上戦に出る事など簡単にやってのけるはずだ。
私はラファイエット・ストリートにぶつかるまで走り続けた後、センター・ストリートを曲がりさらに歩き続けた。逃げ惑う人々より更に興奮した様子で人々を誘導している裁判所の係員に何が起こったのか訊ねた。ツインタワーの一つが倒壊したという。・・・これだ、なんてこった。パニックにつきものの噂。私は振返って確かめる気もせず、そのままキャナル・ストリートに向かって歩き続けた。
「墓地」と呼ばれている、新しくできた留置所の横を通り過ぎた。裁判を待つ犯罪者が監禁されている近代的な建物だ。こちらからは中の様子は解らないが、囚人達がこちらを見つめているような気がする。彼らは何を考えているのだろう?もし街で暴動が起きたり、看守が全て細菌攻撃で死んでしまったら?檻の中で彼らはどうなるのだろう?囚人達の事が頭によぎったが、そのまま進み続けた。(その4に続く)
グラウンド・ゼロに生きる ~ その1 ~
グラウンド・ゼロに生きる ~ その2 ~
「みんな、どうかしたの?」
「貿易センタービルが攻撃されたのよ。」そばにいる女性が答えた。
「それって、何処にあるの?」
まさにその目の前に居ながら女子高生が聞く。
まるで「未知との遭遇」のように5本の手がいっせいに燃えているビルを指差す。
「あっ・・・」恥ずかしそうに彼女は答えた。
「なんでこんな事故がおこるの、いったいどうなっているの?」年配の女性が聞いた。非常に年老いた女性だ。この言葉が私の怒りにさらに油を注いだ。事故ではない。明らかに攻撃だ。なのに、彼女は受け入れたくないのだ。真実を聞くよりも耳を覆っていたほうがましだと言うのだろう。
私はブロードウェイの方向に急いだ。そこはすでに交通が遮断され、非常灯とサイレンと混乱の渦だった。警官の姿はほとんど見えない。道路交通局の人間が人々の整理に当たっている。その場をうろうるしている人々。八方へ逃げ惑う人々。
あらゆる種類の、制服、バッジ、身分証明書を身につけた人間がサイレンと共に現場に押し寄せて行く。私もその中にいた。歩きながら私はどうやってシャツに警察の身分証明書を固定しようかと考えていた。その日に限ってなぜかカードホルダーを家に忘れてきてしまったのだ。毎日仕事に行く為に身につけていたのだが、後になって思うと、この日カードホルダーを忘れた事が私の命を救う事になったのかもしれない。
貿易センタービルから2ブロック離れたパーク・プレイスの角を曲がりチャーチ・ストリートへ向かった。この通りは貿易センターの東側に沿っている。何かをしたい、役に立ちたいと思う一心だった。私は、週に3、4回武術の訓練のために通っている護身術の道場の前を通り過ぎる時、心の中で先生に頭を下げたが、すぐに通行人を遮断しようとしている係員に行く手を止められた。彼らの背後に、ブロードウェイより更に喧騒に満ちているチャーチ・ストリートが見えた。非常灯を持った集団が現場へ進行している。
群集を押し戻そうとしている何かのバッジをつけた人間たち、警官、その他並みいる係員にもまれ、私はポケットから身分証明書をを取り出す間も無かった。もし身分証明書をきちんと胸につけていたら通過できていたかもしれないが、あまりに多くの人間が身分証明書を掲げて叫んでいるので、私はあきらめて別の通りを試す事にした。
ダウンタウン方向は封鎖されていたので、歩けるのはアップタウン方向へのみだ。すでにブロードウェイには、FBIのウインドブレーカーを着た人間が出ており、通行人をアップタウン方向へ誘導している。どの通りも封鎖され、通行人は全てブロードウェイへと誘導されている。
地下鉄とバスが停まっていると誰かが言うのが聞こえた。どうやってブルックリンへ帰れというのだ? 私の中でするべき事の優先順位が変わった。子供と妻だ。妻はミッドタウンで働いている。携帯電話がつながらない。妻の無事を祈るばかりだ。
ブルックリン・ブリッジは閉鎖されているらしい。私は先ずマンハッタン・ブリッジへ向かう事にした。そこがだめなら次はウイリアムズバーグ・ブリッジだ。
私は再び貿易センタービルに思いを馳せた。どうしたらこれほど多くの罪のない人間の命を奪うほど残忍になれるのか?何故、何のために?
機内にいた乗客は?私は飛行機が嫌いだ。衝突すると知りながら機内に座っていることの恐怖がどのようなものかとても想像できない。例えほんの数秒間だとしても・・・。 自分があの飛行機の乗客だったらと考え戦慄する。
頭の中からいやな考えを振り払おうとしながら、アップタウンに向かって歩いていた時、別の考えに思い当たった。今度は恐怖ではない。ある真実が夢から私を現実に引き戻した。この真実は茫然としている私の横面を張り倒した。これは戦争だ。敵は軍服を着ている集団ではない。彼らは何千キロも離れた壕に潜んでいるわけではなく、ジープの後ろで機関銃を前に戦闘の瞬間を狙っているのでもない。敵はここ、アメリカ合衆国、ニューヨークで私の隣に立っているのだ。それは地下鉄のプラットフォームかもしれないし、キャッシュマシーンの後ろで順番を待っている人間かもしれない。カウンターの向こうから私にコーヒーとベーグルを渡してくれる店の人間かもしれないのだ。
考えながら歩いている私を、さまざまな困惑の思いを顔に浮かべた人々が足早に追い越して行く。だが一人、道路脇に佇みこれらの成り行きを冷静に見守っている30代の中近東風の男は違った。
その男は気が転倒しているようにも、少なくとも心配しているようにも見えない。茫然自失という風でもない。感情というものが見えないのだ。ひたすら、脳みそに全てを記録しておこうとでもいうようにこれらの光景を凝視している。
混乱している人々の中にあって、彼の印象がひときわ私の心に引っかかっり、私はとたんに周囲の人間に対して警戒心を抱き始めた。この異常な喧燥と理屈では計れない状況において、今なら何が起こっても不思議ではない。次第に不安がひろがる。
しばらくそのまま進んだが群集の中にいる事にとうとう我慢ができなくなり、レオナード・ストリートを東に折れマンハッタン・ブリッジに向かった。と、角を曲がってすぐに轟くような喧燥と悲鳴がおこった。振返ると、ブロードウエイの方向から群集がもみ合い、ひしめき合い、雪崩のようにこちらに押し寄せてくる。
ニューヨークに住んで学んだ事が一つある。恐怖にかられて逃げてくる人々に遭遇したらぼんやり立ち止まって、何が起こったのか訊ねようとするな。撃たれたり、殺されたり、踏みつけられたりするだけだ。先ず一緒に逃げろ。質問は後でいい。
私は走った。不安は的中したのだ。地上への攻撃が始まったのだ。敵は街中を狙い始めたのだ。何故この事を予想できなかったのか? 警官たちは先ず現場へと駆けつける。それが警察や消防隊の仕事だ。街には交通係りのみが残されることになる。では誰が防御に当たる?敵は空からビルを二つとも破壊するほどの組織だ。地上戦に出る事など簡単にやってのけるはずだ。
私はラファイエット・ストリートにぶつかるまで走り続けた後、センター・ストリートを曲がりさらに歩き続けた。逃げ惑う人々より更に興奮した様子で人々を誘導している裁判所の係員に何が起こったのか訊ねた。ツインタワーの一つが倒壊したという。・・・これだ、なんてこった。パニックにつきものの噂。私は振返って確かめる気もせず、そのままキャナル・ストリートに向かって歩き続けた。
「墓地」と呼ばれている、新しくできた留置所の横を通り過ぎた。裁判を待つ犯罪者が監禁されている近代的な建物だ。こちらからは中の様子は解らないが、囚人達がこちらを見つめているような気がする。彼らは何を考えているのだろう?もし街で暴動が起きたり、看守が全て細菌攻撃で死んでしまったら?檻の中で彼らはどうなるのだろう?囚人達の事が頭によぎったが、そのまま進み続けた。(その4に続く)
グラウンド・ゼロに生きる ~ その1 ~
グラウンド・ゼロに生きる ~ その2 ~