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札幌・円山生活日記

ドキュメンタリー映画《オードリー・ヘプバーン》~シアター・キノ~

世代を超えて愛され続けるオードリー・ヘプバーン。 『ローマの休日』(1953)や『ティファニーで朝食を』(1961)をはじめとする数々の名作で知られるハリウッド黄金期の伝説的スターの知られざる素顔に迫ったドキュメンタリー映画《オードリー・ヘプバーン》が全国公開中です。札幌では狸小路の「シアター・キノ」で5月6日(金)から6月初旬(最終日要問合せ)の予定で上映されています。

今日は妻に誘われ「シアター・キノ」でドキュメンタリー映画《オードリー・ヘプバーン》の鑑賞です。先日TVで放送されていた『ティファニーで朝食を』(1961)を見て作品につきあれこれ話をしていたところ本作の上映を知ったそうです。私自身「シアター・キノ」は行ったことが無かったので良い機会と出かけてきました。もちろん世代を超えて愛され続けるオードリー・ヘプバーン”の生涯を描いたという映画にも関心大です。なお帰路には「大通公園」で当日開幕した「ライラックまつり」を見物してきました。

「シアター・キノ」は狸小路6丁目グランドビルの2階です。当日は地下鉄東西線「大通駅」から狸小路商店街まで徒歩です。
「シアターキノ」は市民出資によるNPO型の小さな映画館でA館(63席)とB館(100席)の2スクリ-ン体制。当日の《オードリー・ヘプバーン》の上映は9:30、13:10、18:45の3回で1回目の上映に合わせて9時10分頃入館。料金はシニア(60歳以上)で1,200円。それほど混んではいませんでした。

ドキュメンタリー映画《オードリー・ヘプバーン》のチラシ(写真はウェブサイト等より拝借、以下同じ)。映画は2019年のオードリー生誕90周年を記念して制作されたそうです


幼少期に父が家を出て両親が離婚し、母とともに住んだオランダはナチスに占領されるという過酷な環境で育ち飢餓から栄養失調にまで陥ったオードリー。初主演作『ローマの休日』(1961年)でアカデミー主演女優賞を受賞し、映画スターとして輝かしいキャリアを築きあげる一方、実生活では幾度も離婚をし、愛される喜びを得られずにいたオードリー。晩年にはユニセフ親善大使など慈善活動を通して多くの人々に癒しと救済をもたらしたオードリー。そのの生涯を描いたドキュメンタリーです。

“世界中から「愛された」彼女は一方、実生活では愛に恵まれなかった。しかし、「人生の最後に、自分ことを好きになれた」と語る彼女の本当の人生とはー。今解き明かされるオードリーの生き方は、あなただけの幸せを見つけてくれる(公式パンフレットより、以下同じ)が映画のテーマ。 

「ローマの休日」(1953年)のオードリー。

“オードリー・ヘプバーンは「ローマの休日」で主演女優として大抜擢、初の主演作で24歳にしてアカデミー賞主演女優賞を受賞し、世界で最も称賛を浴びる偉大なミューズとなった。”


ゴルフを楽しむオードリー(1955年頃)。

“一世代に一人と言われた圧倒的な美貌、そしてハリウッド黄金期の伝説的スターと称されたオードリー。そして、彼女の独自の流儀やライフスタイルは今も人々にインスピレーションを与え続けている。そんなオードリー・ヘプバーンは、本当はどういった人物だったのだろうか?。”


ジバンシィのドレスを試着するオードリー。「麗しのサブリナ」(1954年)で初めてジバンシィのドレスを着たオードリーはその仕立てのすばらしさに魅了されたそうです。映画ではオードリーとジバンシィが生涯の友人になり映画史、ファッション史に残る衣装を作り出す様子も描かれています。
「ティファニーで朝食を」(1961年)の冒頭シーン。映画史に残るファッションの一つ黒1色のジバンシィのドレスのオードリー。


待望の第1子となるショーンを抱くオードリー。子供との時間を大切にしたいと考えていたオードリーは『いつも2人で』『暗くなるまで待って』(1967年)の出演を最後に表舞台から身を引いたそうです。再度映画に登場するのは『愛の世界』(1971年ユニセフ・ドキュメンタリーテレビ映画)。映画スターであるよりも‘普通’の母親でありたいとしたスタイルも彼女の魅力なのでしょう。

”幼少期に経験した父親による裏切り、そして第二次世界大戦という過酷な環境で育ったオードリーは過去のトラウマと一生涯向き合うことになり、私生活にも影を落とすこととなった。輝かしい映画女優として活躍する一方、幾度の離婚を繰り返して愛に破れていくが、子供達への深い愛情を注いでいく。”


1960年代半ばに幼くして別れた父親を探し出し再開した時の写真。わざわざアイルランド・ダブリンまで会いに来たオードリーに対し父親の反応は冷たかったそうです。最初は父親は娘を捨てたことへの罪悪感と成功した娘に世話になることへの抵抗やプライドなどから敢えて冷たい態度をとったのかと思ったのですがそうでは無かったようです。解説ではオードリーはそんな父親を許し彼がなくなるまで約20年間も連絡をとり経済的なサポートを続けたということですから通常の父親なら持つ娘への愛情が欠落していた人だったのかも知れません。

スイスの自宅でくつろぐパンツ姿のオードリー(1987年)。映画では華やかな銀幕の世界から離れた等身大の彼女の様子も描かれています。


1988年にユニセフ親善大使に就任したオードリーは、1993年に63歳で他界するまで精力的に活動したそうです。写真は視察のために訪れたバングラデシュの学校にて。 

“そして後年、ユニセフ国際親善大使として彼女は世界中の子供達のために、自身の名声を捧げ、この活動に生涯を捧げた。恐怖や憎しみに溢れる世界で愛の重要性のために立ち上がったオードリー。この信念こそが私たちの中に永遠に彼女が生き続けている証であり、貴重なアーカイブ映像や近親者たちのプライベートに迫るインタビューとともに、極めて特別なひとりの女性の人生が鮮やかにスクリーンによみがえるー。ライフスタイルは今も人々にインスピレーションを与え続けている。そんなオードリー・ヘプバーンは、本当はどういった人物だったのだろうか?。”


Sean Hepburn Ferrer(ショーン・ヘプバーン・ファーラー)氏。オードリーの長男。映画の中では過去のアーカイブ映像とSean Hepburn Ferrer氏ら近親者や友人、仕事仲間などのインタビューもあり名声の裏側に隠されたオードリーの本当の姿を浮かび上がらせていいます。華やかな映画シーンとともに見応えがありました。


「母はいつも自分に欠陥があると感じていたようだが、そんな心の傷を愛に変化させた」Sean Hepburn Ferrer氏。

いくつか関心が沸いたことがあります。オードリーに再会した父親の心理とともにオードリーの最後の様子がその一つ。オードリーがスイスの自宅で亡くなる際に周囲の家族に“あなた達には見えないでしょうか私にはお迎えが来ているのが見えるのよ”と言ったとか。彼女の目に映った“お迎え”の人は誰でどんな姿をしていたのでしょうか・・。映画はまだ公開したばかりなのでこの辺りでこの話は終わります。オードリーファン必見です。

【さっぽろライラックまつり@大通公園】)
「札幌市制100周年記念第64回さっぽろライラックまつり」の大通公園西5丁目会場。
5丁目会場のライラック。例年5丁目で開催している「野だて」は中止で代わって各茶道家の紹介パネルが設置されていました。
アンティークマーケット。
いけばな展示コーナー。
ライラック展示及び販売・相談コーナー。各社のテレビクルーが取材に来ていました。

6丁目カフェテラス会場の入り口。
各種の食べ物にアルコール類も販売していました。日を改めて来ることにします。
ステージで開催予定の「ライラック吹奏楽祭」スケジュール。

会場で咲く艶やかなライラック《センセーション》でした。

「シアターキノ」
札幌市中央区南3条西6丁目南3条グランドビル2F
TEL:011-231-9355 FAX:011-231-9356

「第64回さっぽろライラックまつり」
<大通会場(大通公園5丁目~6丁目)>
5月18日(水)〜29日(日)の12日間
<川下会場(川下公園)>
5月28日(土)、29日(日)の2日間(予定)

「札幌市制100周年記念第64回さっぽろライラックまつり実行委員会(一般社団法人札幌観光協会内)」
札幌市中央区北1条西2丁目 北海道経済センター4F
TEL080-3267-65695/18~5/22(10:00~16:00)
TEL011-281-64005/23以降

(2022.5.18訪問)

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